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追放された付与術士は、拾った奴らを食わせるためだけに無双する ~消えない付与を重ねてたら、誰も越えられない七層も越えていた~  作者: 自ら


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第51話「空き小屋」

トビが片足を水に入れて、すぐに引き抜いた。濡れた脛を灯りにかざして冷てえ、とだけ言う。膝の皿の少し下まで、ズボンの色が変わっていた。

右の道の水は、流れていなかった。溜まった水が通路の幅いっぱいに平らに張っている。昼から上がって朝に引くのが、この水場の決まりだ。朝に引かなかった水が、昼前になってもそのまま居座っている。鳴りが石の奥を通ると、水の面に細かい皺が寄り、しばらくしてまた平らに戻った。

ニナが段の縁にしゃがんで、自分の脛に水の高さを当てた。それから帳面を開いて刻限と、膝の下、と書き付ける。三層を何十度と上り下りしてきた娘が、水の高さを帳面に書くのはこれが初めてだ。

洗い場にするはずだった溜まりは、水の底に沈んでいる。刃と手は、通路の水溜まりで済ませることにした。水がなぜ引かないのかは、ここで眺めていても分からない。分からないものは出た場所で見るのが筋だが、背中には殻の袋が三つあって、中身は今夜の麦に換わる。見るのは、次に上がるときでいい。段を上がる前に一度だけ振り返ると、水の面がまた鳴りに合わせて皺を寄せていた。

塔の口を出たのは、日が傾き始める前だった。買取所で殻と鋏を麦と油に換え、工房へ戻る路地の角を曲がったところで足が止まった。

工房の前に、人が溜まっている。壁際にはキトの組の三人が骨の袋を下ろして座り、薪割りの娘が斧を抱えてその横にいた。戸口の脇には前に靴屋へ回された兄弟が並び、その後ろに、見覚えのない二人組が槍を一本抱えて立っている。兄の剣は照りが抜けて鈍く、弟は脛に布を巻いていた。戸の前では、ボルグが杖を持たずに立っている。

「あんたが戻るまで待つと言うて、帰らん」

兄弟は今朝二層へ上がり、町の付与屋に乗せてもらった照りが、骨の坂の手前で切れたという。弟の脛は骨拾いの歯だ。二人組のほうは三層の入口で槍の照りを落とし、一匹も獲らずに退いてきた。払える銭は、誰の袋にも入っていない。

ニナが帳面を開いて、黙って札を受け取り始めた。ボルグは剣と槍と靴を順に手に取って、これは刻む、これは研ぎで済む、と杖のない手で分けていく。並ぶ者に順を言い渡す声も、品を分ける指も、ここ数日の段取りのまま止まらない。俺は台の前に座り、預かった靴を一列に並べた。

一足ずつは刻まない。並べた順に、同じ線を端から入れていく。隊にいたころ、休みのたびに六人分の得物をこうして回した。一足に入れ終えたら次の一足、四足入れ終えたら最初の一足へ戻って崩しを足す。品が違えば線も違うが、靴なら線は同じでいい。剣と槍は刃の根に一本ずつ足し、弟の脛には刻まずにニナが布を巻き直した。人の体に入れる線は、靴に入れる線とは違う。四人の払いは裏の水汲みに決まり、汲み終えた者から昼の残りの麦の板を割って持たせた。四人とも、日のあるうちに相部屋の宿へ帰っていった。

キトの組は帰らない。帰る先が、塔の口の軒下だからだ。

「軒下は、隊が戻ってくると、は、端から追い出されるから」

キトは早口で言って、自分の言葉につっかえた。夜明け待ちの軒下なら、俺も追放の晩に一度寝ている。ここ三晩、四人は薪を割り終えたあとそのまま工房の土間で寝ていた。

土間は、それで埋まる。炉の脇にはトビが丸くなり、レイフは卓の隅の椅子を二つ寄せて寝る。ボルグの寝台とニナの小部屋は動かせない。夜中に誰かが水を飲みに立てば、作業台の脇の俺の寝場所まで、二人ぶんの足を跨ぐことになる。いちばん年下の娘は昨夜、寝返りでトビの踵を蹴り、二人とも目を覚ました。

ベルタが来たのは、土間の藁を広げ直しているときだった。店まで人の声が聞こえてきたと言って、土間の藁と寝床の足りない炉端を順に見る。それから戸口の外へ顎をしゃくった。

「隣の小屋、使いな。十年、持ち主が顔も見せない」

工房の隣には、板壁の小屋が一つある。戸は片方の蝶番だけで傾いていて、俺がここへ越してきてから一度も開いたところを見ていない。

「持ち主は、誰だ」

「町の者さ」ベルタは小屋の戸を見たまま言った。「文句を言いに来たら、そのときは、うちが受けるよ」

誰かの物を、断りなく使う筋はない。ただ、十年顔を見せない相手には、断りの入れようもない。入れようのない断りなら、持ち主が来たときに最初に目に入る場所へ置いておけばいい。作業台の端材から薄い板を一枚選び、炭筆で書き付けた。

使わせてもらう。家賃は言い値で払う。工房の張り替え屋。

板を戸の取っ手に釘で留めると、ニナが書き付けを読んで首を傾げた。

「名前は、書かないんですか」

「持ち主が、名前で分かるとも思えない。工房の、と書いておけば、隣を見れば済む」

小屋の中は、黒かった。床板の継ぎ目にも壁の板の目にも炭の粉が詰まっている。隅には口の破れた炭袋が三つ、潰れて重なっていた。鍛冶屋の炭を置いていた小屋なのだろう。キトの組が箒と桶で床を洗い出し、トビは戸口の柱に手を掛けると、そのまま屋根へ上がっていった。

「板は生きてる。開いてるのは継ぎ目だけだ。棟の端に二つと、軒のほうに一つな。釘はみんな錆びてるけど、抜けてるのは一本だけだよ」

屋根の上を、平らな床のように歩きながら言う。下から見上げると、板の隙間に三筋、空の色が覗いていた。

刻むのは、屋根と戸だけにする。継ぎ目に沿って雨を止める線を入れ、戸には、閉めれば閉まったままでいる線と、風に押し開けられない線を入れる。壁と床には手を入れない。借りた物に手を入れすぎれば、返すときに持ち主の物でなくなってしまう。線は浅く入れた。足さずに放っておけば、いずれ消える深さだ。持ち主が戻って要らないと言うなら、それで済む。

戸の板に下書きを頼むと、レイフは黙って炭筆を出した。三層で置いたのと同じ、揃ったまっすぐな線が、戸の板に三本並ぶ。その上に崩しを入れていくあいだ、レイフは一度も手元を覗き込まなかった。入れ終えて振り返ると、レイフはもう藁を取りに表へ出たあとだった。

ベルタが店から古い麻袋を抱えてきた。ボルグがそれを受け取って、寝床を作っているキトの組の前に置く。

「麻袋は二枚重ねろ。一枚だと、床の冷えが上がってくる」

二年、軒下で麻袋一枚にくるまって寝ていた男の言い方だった。娘は言われたとおりに二枚重ねてその上に寝転がり、床が遠い、と言って笑った。

日が傾くと、鍋のことを考えなければならなくなった。炉は工房にしかない。小屋には火を焚く場所がないから、炊いた粥は鍋ごと運ぶことになる。隊にいたころ、塔の口の荷運びが寝起きする小屋を、誰もが飯場と呼んでいた。寝て、食って、朝にまた担ぎに出ていく場所だ。キトの組がここで寝て、ここで食って、朝に塔の荷へ出ていくのなら、隣の小屋は飯場になる。

飯場で食うなら、椀は向こうに要る。工房の棚には、椀が五つしかない。これまでは空いた椀を洗って、土間の順に回してきた。卓と飯場が庭を挟んで分かれれば、洗っては回す順が成り立たない。今夜の鍋には、椀があと四つ足りない。ニナが帳面を開いて、明日の市場の欄に、椀、四つ、と書いた。今夜のところは、向こうで二つを洗っては回すしかない。

鍋の取っ手に布を巻いて、表の戸から提げて出た。小屋へは、表を回るのがいちばん近い。

夕方の表に、大男が立っていた。暁刃の前衛だった男だ。


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