第40話「暁刃の終わり」
新しい鏨を、台の灯りにかざした。刃の面は素直で、焼きの色にむらがない。柄はまだ他人の道具の顔をしているが、これは使い込むほかに直しようのない部分だ。手の癖の形に減るまで、当分は付き合いの浅い間柄で仕事をすることになる。七層の壁と芯の間で、古いほうは刃をふた回り減らして、研ぎ直しても細工用が精々の身になった。道具屋の親父は、七層を刻んだ鏨なら店の看板に飾らせろ、と半分本気の顔で言ったが、断った。飾られる道具というのは、仕事を上がった道具のことだ。うちのは、まだ上がらない。細工用に格を下げて、袋の中で働いてもらう。
銀貨を払って表へ出ると、組合の前に人が集まっていた。触れ役が台に上がり、鐘をふた鳴らしして、紙を開く。買い出しの荷を提げたまま、群れの尻に立って聞いた。
「探索者隊、暁刃。本日をもって、隊を解く。隊長ゲイルは登録を組合へ返上。治癒師カリンは、町の治療院付きとなる。以上」
読み上げは、それで全部だ。二年、六層の最前にいた隊の終いにしては、紙の上の文字数が少ない。始まりの触れは長いのに、終いの触れは短い。隊というものの帳面の付け方が、そもそもそういう作りなのだろう。群れの中で誰かが声を上げかけて、隣に肘で止められたのが見えた。止めたほうが正しい。触れというのは、読まれた分だけが公の取り分で、残りは当人たちの取り分だ。取り分に手を突っ込む趣味はないから、買い出しの残りを片付けに、市場のほうへ足を向けた。市場では魚の値が朝より下がっていて、下がった分だけ多めに買った。塩も足した。五人で食った麦の板の袋が空いたままなのを、ニナが昨日から気にしている。
家路の途中の、厩の脇の道で、ゲイルと行き合った。旅装だった。治療院を出たという話は、ニナが市場で拾ってきていた。足が立ったその日に寝台を返して、勘定を全部済ませたそうだ、と。早い出立だとは思ったが、この男の中の順序を、俺が量る筋はない。背の荷は一人分で、腰には剣の代わりに、布で巻いた短いものが差してある。長さからいって、三寸の刃が残ったあの柄だ。足はまだ杖を頼っているが、杖の突き方に、担がれていた男の名残りはもうなかった。向こうが先にこちらを認めて、道の真ん中で止まった。避ける幅は互いにあったから、止まったのは避けないと決めたということになる。決めたのなら、こちらも立ち止まる。歩き比べをする間柄でもない。
「……麦の板が、二枚」と、ゲイルは言った。「担ぎの縄が、一式。水も飲んだ。ほかに、何がある」
数え上げの声だった。降ろせない荷の目録を、道々ずっと読み上げてきた声だ。それで全部だ、と答えると、ゲイルは眉のあたりを一度動かした。
「安いな」
「飯と道具の値段だ。それより高くする理由がない」
ゲイルはしばらく黙った。値切りの間ではない。言い値を袋のどこへ仕舞うか決めている間に見えた。それから、覚えておく、とだけ言った。何をどう覚えるのかは言わず、頭も下げず、杖を突いて歩き出した。すれ違いざまに一度だけ、こちらの腰の薄刃へ目が落ちて、すぐ前へ戻った。目の落ち方が、いつかの通りのメイズと同じで、読み方だけが違った。あの目利きは値を読んだ。この男は、たぶん重さを量った。量りの答えは訊かなかった。訊く筋の話ではない。
去っていく背中は、南の門のほうへ向かっていた。町を出るのだと、触れは言わなかったが、荷がそう言っている。杖の音が遠のいて、通りの生活の音に混ざり、聞き分けられなくなった。貸しにした覚えのない板二枚を、覚えておくと言った顔は、忘れる側の顔ではなかった。それで、この件の帳面は閉じることにした。閉じた帳面の置き場所までは、決めなくていい。置き場所を探し続けるのは、閉じていない者のやることだ。
帰り道、治療院の前を通った。戸口でカリンが、洗った布を竿に掛けていた。奥の寝台から、大男の笑い声がして、掛ける手が一度止まり、また動く。白い布が並んでいくだけの眺めだが、並び方に、塔の中で見た手当ての正確さがそのまま出ていた。声は掛けなかった。働いている治癒師に掛ける声は、けが人の声だけでいい。塔で預かった手当ての借りは、あの深い礼で帳消しにされてしまっている。こちらから足すなら、けがをしない側で足すのが筋だ。
工房の前に、人が立っていた。
若い探索者だ。ニナより幾つか上か、同じくらいの年に見える。装備はどれも安物だが、革の油の入れ方と刃の手入れに、値段より上の丁寧さがある。俺たちが近づくと、若いのは半歩下がって、それから思い直したように半歩戻った。
「あんたが、竈の、外一名か」
張り替え屋だ、と答えて、用は、と続けた。外一名、という呼び名がもう通りを歩いているらしい。紙の上の番号が、口づてでは名の代わりに育つ。育ち方まで面倒は見切れない。
「……刻んでくれって、頼んだら」
言い方が途中で細くなって、袋の口を握る手に力が入った。銀貨の音のしない袋だった。中身の当たりはつく。当たりがつく袋を提げて、それでも門口まで来る足のほうを、俺は買う。戸を開けながら、いつもの受け答えをした。
「物によるが、靴なら朝が空いてる。明日、持って来い。飯は済ませて来い」
若いのは、分かった、とも、ありがとう、とも言わず、二度頷いて、来た道を駆け戻っていった。駆け方に無駄が多い。あれは靴の減りが早い駆け方だ。ちょうどいい客ではある。
工房の戸には、留守の間に挟まれた頼み札が三枚になっていた。靴、革帯、それから、読めない字で長々と書かれた一枚。触れの前は、頼み札は五日にひと枚あるかないかで、それで飯は回っていた。回っていた頃の枚数を、戸のほうが先に忘れかけている。ニナが札を集めて、日付の順に台の端へ並べる。読めない一枚は裏に返して、明日、書いた本人に読ませましょう、と処理を決めた。並べ終えると竈に火を入れて、こちらを見ずに言った。
「……増えますよ、これから」
札の話か、客の話か、それとももっと別の何の話か、言い切らない言い方だった。増えて困るものの持ち合わせは、こちらには少ない。
「飯の量の話か」
ニナは答えず、竈の火が、薪をひとつ噛んで大きくなった。
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