第3話「飯」
声に、少女の肩が跳ねた。短剣を胸に抱え込み、壁伝いに身を引きながら顔を上げる。こちらを確かめた目が、途中で止まった。警戒の形のまま、見開かれていく。
「……あのときの。付与の人」
覚えられていたらしい。頷くと、少女は立ち上がろうとして、膝から崩れた。壁に手をついて、二度目でようやく立つ。細い腕が震えているのは、寒さの震え方ではない。
「最後に飯を食ったのは、いつだ」
少女は答えなかった。答えない代わりに、腹の側から低い音がした。本人が短剣を抱く腕に力を入れて、俯く。
「三日、前です」
「来い」
歩き出すと、足音が遅れてついてきた。ついてきながら、どうして、と背中に訊いてくる。知らない相手に施される謂れがない、という声だ。筋の立て方としては正しい。正しいが、理由を探しても、並べるほどのものが見つからなかった。
「腹が減った人間がいたら、食わせる。それだけだ」
塔の口の近くに、立ち食いに毛の生えたような飯屋がある。探索者相手の店で、朝から豆と麦の粥を大鍋で回している。潜行前の腹ごしらえと、下りてきた者の遅い朝飯とで、席の回りが早い。卓は二つきりで、潜行明けらしい男たちが片方を占め、もう片方の端が空いていた。粥をふたつと干し肉を頼むと、袋の底がほとんど見えた。今日一層で稼ぐ予定が、稼がねばならない予定に変わっただけのことだ。
湯気の立つ椀が二つ、卓に置かれた。粥は麦のほうが多く、豆は数えるほどだが、塩の効きはまっとうだ。少女は椀を前にして、最初、匙を動かさなかった。俺が食い始めるのを見てから、ようやく口をつける。一口目はゆっくりだった。二口目から速くなり、途中からは匙の音しかしなくなった。半分ほどで、急に手が止まる。椀と俺とを見比べて、匙を置こうとする。
「食え。俺のぶんの話は誰もしていない」
干し肉を少女の椀の縁に足すと、しばらく固まってから、頭を下げて食った。三日ぶんの遅れを取り戻す食い方を、俺は口を挟まずに見ていた。腹に入るものが入れば、人は顔つきから戻る。椀が空くころには、少女の目に朝の路地の色が残っていなかった。
食い終わるころに、名前を聞いた。ニナ。十六。親の話は出なかったから、訊かなかった。この町には、来た理由を訊かれない緩さがある。塔があるから人が来る。それ以上の詮索は、誰の飯にもならない。半年前にこの町へ来て、どこの隊にも入れず、一層で薬草と小物を拾って食いつないでいた——三日前までは。売れる物が続かなくなって、売れる物の最後が、膝の上の短剣だったという。売らずに抱えて座り込んでいた理由は、訊かなかった。
そのニナが、椀を置いて、短剣を卓に載せた。鞘ごと、両手で押し出してくる。
「これ、覚えてますか。半年前に、刻んでもらったやつです」
「覚えてる。安物の薄刃だ」
刃を打ったのは俺だから、素性は言い切れる。駆け出しのころの手すさびで、鉄の質も火の回しも、今なら選ばない造りだ。
「その付与、まだ切れてないんです」
声が少しだけ速くなっていた。ずっと誰かに言いたかった話し方だ。
ニナは鞘を払って、刃を見せた。根の一筋は、朝の光の下でも通っている。刃こぼれもない。半年、一層で使い続けた刃だという。
「組合の買取の人に見せたことがあるんです。そしたら、ありえないって言われました。付与は数刻で切れるものだって。切れない付与なんて聞いたことがないって。だからこれは付与じゃなくて、元がいい剣なんだろうって」
元がいい剣なら、打った俺がいちばんよく知っている。あれは良くない鉄だ。だから欠け止めを入れた。もっとも、組合の言い分のほうが世間の付与には合っているのだろう。乗せた効果は数刻で切れる。隊にいたころも、周りの認識はそうだった。だから休憩のたびに入れ直していた。切れる前に入れ直せば、切れたところを誰も見ない。俺自身も含めて、誰も。
「安物だったから、丁寧に刻んだだけだ」
「丁寧に刻むって、何ですか」
手が止まった。丁寧の中身を、言葉にしたことがない。深く入れる。形を揃える。切れそうな場所を先に埋める。どれも手順の話で、どこからが丁寧なのかの線は、考えたこともなかった。誰かに習っていれば、その線を教わったのだろう。俺は拾い読みと我流だ。他人の刻みを隣で見たことも、俺の刻みを隣で見られたこともない。比べる相手がいたことがないから、普通の丁寧がどの深さなのかを知らない。
「……深く、入れることだ」
「深く入れると、切れないんですか」
「切れにくくは、なる」
答えながら、答えになっていないことは分かった。線を知らない人間に、線の内側は説明できない。ニナも分かったらしく、それでも食い下がらずに、短剣を鞘へ戻した。戻してから、両手で膝の上に置き直す。扱いが、物の扱いではなかった。
卓の向こうで、潜行明けの男たちが層の話をしていた。五層の実入りと、六層の割の悪さと。聞くともなく聞きながら、椀の底を浚った。明日から俺が立つのは、その勘定にも入らない一層だ。それでいい。確かめることは、一層にもある。
店を出ると、日が高くなっていた。今日はもう一層に潜るには半端で、明日の朝いちばんと決める。ニナの寝場所を訊くと、路地の名前が返ってきた。今朝の路地だ。それは寝場所とは言わない。
宿の相場を頭の中で数えて、袋の中身と見比べた。二人分は、ない。一人分と少しなら、ある。相部屋の隅と土間なら、一人分と少しで二人押し込める宿を、昨日の軒下で誰かが話していた。数え方を変える必要があった。数え方を変えるのは、刻み方を変えるより簡単だ。ニナには宿の話だけをして、勘定の内訳は言わなかった。言えば、この娘は食った粥を数え始める。
日が落ちるまで、塔の口の周りを歩いて回った。明日立つ場所の下見だ。ニナは一層の癖をよく知っていた。どの隅に薬草が残るか、どの水場に魔物が寄るか。半年ぶんの食いつなぎで覚えた地図が、この娘の中にある。拾い物ではない知識だ。
塔の上のほうに灯りが残るころ、通りの先で鐘が鳴った。一つ。二つ。ニナの足が止まる。三つ。
ニナは塔を見上げたまま、動かなかった。
「撤退なら、二度なんです」声が細くなる。「三度は、死んだ人がいるとき」
鐘の余韻が、通りの上を渡っていく。塔の口のほうへ、灯りを持った人影がいくつか走っていった。通りの誰も足を止めない。昨日の俺が見たのと同じ光景で、違うのは、隣に足を止めている者がいることだけだ。ニナが短剣を抱く腕に、力がこもる。
「また、七層で誰か死んだんだ」
読んで下さりありがとうございました!
★★★★★評価と[[[ブックマーク]]]、リアクションお願いします!
Youtubeにて作品公開中!
http://www.youtube.com/@mizukara-h2z
ご感想やご質問など、ぜひコメントでお聞かせください。




