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第2話「単独登録」

「俺が刻んだ」

答えると、老人は刃から目を上げた。誰が、と訊かれて、隠す筋もない。「安物だったから、丁寧にやっただけだ」

老人はしばらく、俺の顔を見ていた。刃を見て、また俺を見る。それから短剣を鞘に納め、柄をこちらへ向けて、台の上を滑らせて返してよこした。

「値はつけん」

短い言葉だった。値切りの前置きでも、品定めの駆け引きでもない。台の上の短剣と俺とを等分に見て、それだけを言った。

「つかないか」

「つけん、と言った」老人は帳面を取り、台の下へ仕舞い直す。「うちで扱える物じゃない。持って帰れ」

安物すぎて、鑑定の看板を出す店の格に合わない。そういうことなのだろう。店には店の基準がある。それなら筋は通っている。短剣を腰に戻して頭を下げると、板を下ろしかけた老人が手を止めた。こちらを見ずに、低い声が来る。

「それは、売るな」

板戸が下り、閂の落ちる音がした。灯りは板の隙間からしばらく漏れていて、老人がまだ店の中で起きていることだけが分かった。

買い取らないうえに、売るなと言う。商いの筋がどこにも通っていない。だが、通らない筋を問い詰める間柄でもなかった。分かった、とだけ返して、灯りの落ちた通りへ出た。

その夜は、塔の口に近い軒下で明かした。夜明け待ちの探索者が使う場所で、先客が三人、壁に沿って荷を枕にしている。石畳は冷えるが、雨風は避けられる。荷を解いて、鏨の包みだけ腹の側に抱え込んだ。盗られて困る物は、これしかない。隣で誰かの荷が鳴るたびに、眠りが浅く割れた。眠りの浅さと袋の軽さが、ちょうど釣り合っている。それも順序の内だと思えば、腹は立たない。

夜明け前に、隣の探索者たちが起き出して塔へ向かった。石畳に残った冷えを背中で確かめてから、朝いちばんに、塔守組合の戸を押した。

組合の中は、朝から人いきれで満ちていた。買取の窓には、夜のうちに下りてきた隊の列がもうできている。血の滲んだ袋が秤に載り、係が素材の名を読み上げ、算盤の音がそれを追いかける。壁には依頼の板と層の見取り図、貼り紙の束。その端の登録の窓だけが空いていて、袖章をつけた中年の男が一人で座っていた。

「登録を頼む」

「職種と、隊の名を」男は帳面を開いた。「隊はどこだ」

「隊はない。単独で登録する」

男の手が止まる。俺の顔を見て、腰の短剣を見て、それから背中の荷を見た。

「職種は」

「付与術士だ」

男は笑った。声を立てたわけではない。息だけで笑って、開いた帳面を閉じかけた。

「付与術士が、単独で。あんた、正気か」

正気かどうかは、確かめたいことが確かめられるかどうかで決まる。そう思ったが、口には出さなかった。窓越しの問答で片づく話でもない。

「登録できない決まりがあるのか」

「決まりは、ない」男は帳面をめくり直した。頁を遡り、指でなぞり、また戻ってくる。探しているのは前例らしい。指は何度も止まりかけて、そのたびに素通りした。「ないが、前例もない。俺はこの窓に十一年座ってるが、初めて見た。付与術士ってのは、隊に入って初めて飯の食える職だ。単独で層に立って、何をする気だ」

刻んで、確かめる。そう答えかけて、通じる言い方を探した。刻みがいつ切れるのかをこの目で見たい、では、たぶんこの男には通らない。

「試したいことがある」

「命で試すのか」男は息を吐いて、帳面を開き直した。「まあいい。書くだけなら書ける」

書き付けは早かった。男は職種の欄に付与術士と書き、隊の欄を斜線で消した。単独の欄は、帳面のいちばん後ろにある。開かれた頁はほとんど白紙で、俺の名が一行で載った。上の行との間が、ずいぶん空いている。前に単独で登録した誰かは、それだけ昔の人間ということだ。渡された層札は木の札で、一、と焼き印が入っていた。単独は一層から。実績を組合が認めるごとに、札の数字が上がる決まりだという。登録の払いは銅貨で足りた。袋はほとんど空になったが、足りたことのほうが大事だ。

「悪いことは言わん。今からでも、どこかの隊に潜り込め」男は札を寄越しながら言った。「単独の付与術士なんて、帳面の埋め草にもならん。層札が二に上がる前に、名前ごと消える口だ」

脅しの声ではなかった。十一年ぶんの帳面が、そう言わせているのだろう。忠告としては、たぶん正しい。正しさに礼を言って、札を受け取った。

「世話になった」

外に出ると、朝の光が塔の腹に当たっていた。塔の口へは、もう最初の隊が吸い込まれていく。木札を目の高さに上げてみる。焼き印の一は、太く、まっすぐに入っている。使い込まれた焼き型なのだろう。数え切れない誰かが、この一から始めたということだ。

隊にいたころ、刻んだ後を最後まで見たことがない。刻み終えるより先に前衛が進むから、俺の付与がいつ、どこで、どう切れたのかを、俺は一度も自分の目で見ていない。六層で切れたと言われても、切れる瞬間を知らない。言われた事実と、見た事実の間に、埋まらない隙間がある。原因を確かめる方法は一つしかない。切れるまで、刻んだ物の隣にいることだ。浅ければ浅いなりに、深ければ深いなりに、切れ方には順序があるはずで、その順序を知らないまま次を刻んでも、同じ場所でまた切れる。隊の速さでは、それができなかった。一人の速さなら、できる。

一人で、やってみるか。

隊を探して頭を下げて回る道もある。だがその道の先では、また刻んだ後を見られない。同じ隙間を抱えたまま歩く道を選ぶ理由が、見当たらなかった。

口に出すと、存外すんなり足が前へ出た。恨みで踏み出す一歩より、確かめたいことで踏み出す一歩のほうが、歩幅を決めやすい。

組合から塔の口へ抜けるには、細い路地が近道になる。朝でも薄暗い道だ。壁の際に、人が座り込んでいた。

少女だった。外套も着ていない。膝を抱えた腕は細く、手首の骨が浮いている。靴のつま先は縫い目がほつれて口を開け、中の布が覗いていた。探索者の装いには違いないが、装いと呼べるのは腰の革帯くらいのものだ。うつむいた膝の上に、鞘ごと短剣を抱えている。眠っているのか、動かない。

物盗りに遭ったか、行き倒れか。この町では、どちらも朝の路地に転がっている。通り過ぎかけて、足が止まった。膝の上の鞘に、見覚えがある。

半年前だ。金のなさそうな駆け出しに、路上で頼まれた。安物すぎて、どこの付与術士にも相手にされなかったらしい。断る理由がなかったから刻んだ。金は取らなかった。取るほどの手間でもなかったからだ。それだけの仕事だった。鞘の口が緩んで、刃の根が指二本ぶんだけ覗いている。その根に、俺の入れた一筋が通っていた。半年経って、刃はまだ曇っていない。

「——その付与、まだ効いてるのか」


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