第29話「【sideメイズ】暁刃」
台の上に、大剣を寝かせた。
質屋の親父が灯りを寄せる前に、見立ては済んでいる。刃は根元の三寸が痩せて、鎬の艶が死んでいる。柄は生きているが、柄だけ買う客はいない。銀貨二枚。親父の口が開く前に、二枚、とこちらから言った。親父は嫌な顔をして、それから二枚を出した。目利きに先へ値を言われる商いほど、やりにくいものはないらしい。知ったことではない。値切りの間を待つほど、こちらの懐に余裕がない。
戸板で下りた男の得物だった。本人は治療院で、まだ起き上がれずにいる。払いは十日ごとに来る。得物を売った銀貨は、袋の中で温まる間もなく出ていく。俺は隊の物の面倒を見る係だ。買うときも、直すときも、こうして手放すときも。
宿に戻ると、暁刃の卓は奥の一つだけになっていた。
槍の二人は、触れが読まれた次の週に抜けた。俺は止めなかった。値の落ち切る前に手放すのは、物でも隊でも正しい判断だ。正しい判断をした二人の椅子が、卓の脇で空いたまま埃を集めている。宿の親父は椅子を片付けない。片付けたら、それが暁刃の値だと口に出すのと同じことになるからだろう。
ゲイルは依頼の書き付けを三枚、卓に並べていた。三枚とも、四層より下の護衛仕事だ。七層に挑む前なら、受け取りもしなかった紙が三枚。触れというのは正直な道具で、読み上げられた次の日から、上物の依頼はぴたりと来なくなった。名で仕事を取る隊は、名で仕事を失う。仕組みとして分かりやすい分、腹の立てどころもない。ゲイルの指が、木目を叩いている。読んでいるのではない。数えているのでもない。あの指の音は、考えの行き止まりの音だ。長い付き合いで、それだけは見分けがつく。
カリンが治療院から戻ってきた。指先に薬の匂いを付けたまま、空いた椅子の埃を払って、座らずに立っている。敗退からこっち、この治癒師は口数を財布の中身と同じ速さで減らしていた。減らして、減らして、それでも目だけは減らさない。ゲイルを見て、俺を見て、卓の上の書き付けを見る。順番に、検分するように。
「あの人の容態は」と、ゲイルが顔を上げずに訊いた。
「肋が三本。あばらは着きます。着かないのは、それ以外です」
カリンはそれだけ言って、口を閉じた。それ以外、の中身を、この場の誰も訊き返さない。訊き返せば答える構えの治癒師と、答えを卓に載せたくない残りの二人。卓の下で、勘定の合わない沈黙だけが座っている。
俺は自分の杖を壁に立てかけた。根の触媒は、素のままだ。
敗退からこっち、そこに照りはない。張ってもらう当てがないのだから、ないのが当たり前だ。頭では、そう整理してある。手が、まだ知らない。杖を握るたびに、指の腹が根の丸みへ勝手に降りて、そこにあるはずの張りを探す。二年、探さずに済んでいたものを、この手はいま、握るたびに探している。
六層に通っていたころ、俺の触媒の照りは絶えたことがなかった。
付与は数刻で切れる。それがこの商売の前提で、俺の見立ての土台だ。触媒も武具も、張りは消耗品として値を付ける。その土台に合わない物が、隊の荷の中にだけ、いくつも転がっていた。剣の根。留め具。杖の根。休憩のたびに、卓の端で屈み込む男がいて、爪の間を炭で黒くしていた。俺は物の面倒を見る係だから、隊の得物の状態は全部覚えている。覚えている、ということと、口に出す、ということのあいだには、川が一本流れている。
あの卓の晩、俺は壁を向いていた。
目は、仕事をした。六層で剣が欠けたのは付与が切れたからではないと、俺の目利きは知っていた。刃そのものの寿命だ。張りは最後まで生きていた。生きていたものが誰の手のものかも、爪の炭を見れば読めた。読めた上で、俺は壁の木目を数えていた。口を開けば、卓の上の順序が動く。追い出す順序も、取り分の順序も、黙っている俺の座る場所も。物の値は、口に出したときから動く。動かしたくない値だけを、人は胸の棚に上げて縛っておく。
七層で、触媒の照りが消えた。
端から、順に。古い帳面を上の行から消していくような消え方だった。俺は杖を振りながら、消えていく張りの順番を目で追っていた。目利きの性だ。こんなときまで、順番を読んでしまう。読み終えたときには、隊の得物はどれも素の鉄と素の革に戻っていて、戸板が要る男が一人できていた。
張りが消えたあとの得物で、俺たちは戸板を作った。槍の柄を二本と、外套を三枚。物の面倒を見る係だから、ほどき方も組み方も俺が指図した。指図しながら、頭の隅で別の帳面を繰っていた。六層に通った二年、この隊は戸板を一度も組んでいない。組み方を、俺はあの日、初めて覚えた。
下りた通りで、あの男とすれ違った。
腰に薄刃が差してあった。二年は前の安鉄だ。打った鉄の質まで、俺の目は覚えている。その安鉄が、夕の明かりを縁で弾いた。素の鉄の弾き方ではなかった。足が一歩ぶん止まって、俺はその理由を、担いだ大剣の重さということにした。重さのせいにできる荷が肩にあって、あのときだけは助かった。
「決めた」
ゲイルが書き付けを三枚とも裏に返した。
「もう一度、上がる。七層だ。届けは明日出す」
カリンの手が、椅子の背で止まった。俺は壁の杖を見ていた。名を取り返す、とゲイルは続けた。四層の護衛で暁刃の名を使い減らすくらいなら、七層でもう一度張るのだと。金の話はしなかった。雇いを入れる話だけが出た。雇いの当ては、俺が探すことになるのだろう。物と人の目利きは、この隊では同じ係の仕事だ。
雇いを入れて、装備を整え直して、七層。整え直す金の出どころを、ゲイルは言わない。言わなくても分かる。まだ売れる物が、この隊には残っている。俺の目利きが値を付けてきた、二年ぶんの得物の残りだ。上物から順に出ていって、最後に残るのは、値の付かない物と、値を言わない男になる。
俺は頭の中で、自分の荷を検めた。売って値の付く物。担いで上がって、値の残る物。書き付けの裏の白紙より先に、見立てはもう出ていた。出た見立てを、俺はまだ誰にも言っていない。言わないことにかけては、この隊で俺の右に出る者はいない。
カリンが、立ったままの姿勢を正した。
「今度こそ、言わせてもらいます。あの人の——」
「カリン」
掌が一度、卓を打った。書き付けの三枚が跳ねて、それきり、卓の上には誰の声もなくなった。
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