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第26話「検分」

剥がれた靴を、作業台の真ん中に据えた。朝の光で見る仕事だ。

右に短剣、柄と鞘。左にボルグの杖と、俺の鏨の柄。角灯を三方に立て、ニナが紙と炭を出す。掌に布を巻いた手で、それでも書く側は譲らなかった。書くのは私の係です、と言う。係の決まった家は、検分が速い。

帰りの塔で、剥がれは進まなかった。六層の階段を下り、五層の鳴りを抜け、外へ出るまで、残った線は残ったままでいた。工房に戻って灯りの下で検め直しても、変わらない。減るのは塔の中で、外では減らない。それも一つの数字だ。

昨日の断面は、夜のうちに三度見た。見るたびに同じ縞で、同じ三筋がない。朝になっても増えも減りもしないので、朝からは、数える側に回ることにした。

先に、答えの見当は立てていた。剥がれた三筋は、どれも後から足した筋だ。五層このかた、休みのたびに縁を立て直してきた。後入れは浅い。浅い筋から飛んだ。つまり腕の問題で、深く入れ直せば済む。見当としては、それがいちばん近くにあった。

数え方は、いつもの手順だ。目で見て、影で見て、指でなぞる。目と影は嘘をつくことがあるが、指は俺の場合、いちばん古い道具で、いちばん狂いが少ない。ニナが品目ごとに紙を分け、剥がれた筋には丸、残った筋には線を振っていく。丸と線が紙の上に増えるほど、卓の上の物が、物から数字に変わっていった。

見当は、触って崩れた。

指の腹で、残った線と剥がれた痕を順になぞる。深さが、揃っている。後入れの筋も、元の線と同じ底まで届いていた。立て直すとき、深さを合わせるのは手の癖だ。癖のとおりに合っていた。浅くない。浅くないものが、先に死んだ。腕の話にしたかったが、腕の話では、縞の順序が説明できない。

「剥がれた三筋と、残った筋の違いを数えます」ニナが炭を構える。「深さは、同じ。入れた時期は、三筋が新しい。他には」

「形だ」

言いながら、もう一度なぞった。目を閉じてなぞると、指の記憶のほうが目より先に答える。この線は露店の隅で引いた。この線は夜番の合間、灯りが乏しくて、節が二つ入った。この筋は五層の柱の陰で、縁だけ立て直した。入れた場所と日を、線の側が覚えている。剥がれた痕は、どれも縁を立て直した筋だ。立て直すというのは、整えるということでもある。手癖の揺れを削って、線をきれいにする。元の線は、夜番の合間や露店の隅で引いた線で、揺れも節もそのまま残っている。整った筋から死んで、汚い線が残った。

「五層では、縁がひと皮丸くなっただけだった。工房では、減った例がない。六層の荒れで、整えた筋が飛んだ。……並べると、順序がある」

「塔の外は、減らない」ニナが書きながら復唱する。「五層は、舐める。六層の荒れは、整った筋から。それで、七層は」

炭の先が、紙の上で止まった。止めた先を、ニナはボルグへ向けなかった。向けない気遣いのほうが、向けるより大きい声で訊いている。

埋み火が、灰の下で一度だけ息をした。

ボルグは寝台の縁で、杖の頭に両手を重ねていた。しばらく、埋み火の位置を見ていた。それから、言えん、と言った夜の続きを、自分の順序で口に出した。

「七層の壁の手前でな。張りが、ほどけた」

低い、間遠の声だった。

「うちの付与術士は組合上がりで、腕は確かだ。張りも教本どおりで、狂いがない。それがな。先に張った奴から、順に切れた。一枚目、二枚目、三枚目。読み上げるみたいに、順にだ。張り直せば、直した奴からまた切れる。しまいに鋼が鈍って、それからのことは、まだ言わん。……言えるのは、順序があった、ということだ。二年、順序の意味が分からんかった」

読み上げるみたいに。

その言い方が、卓の上の物と紙の上の字を、一本に繋いだ。

手が先に動いた。反故の板を引き寄せ、鏨で線を一本引く。引いた線の上を、逆の手順でなぞる。始まりから終わりへ引いた線を、終わりから始まりへ。溝の中で刃が暴れず、一度で潰れた。次に、揺れをつけた線を引き、同じことをやる。刃が二度引っかかった。引っかかるたび、なぞりが遅れる。

彫りを消すには、彫りをなぞるのが早い。埋めるより、削るより、同じ線を逆の手で引くのが早い。俺が彫り損じを潰すときにやる手だ。そして、なぞるには、読めなければならない。線の始まりと終わり、画の順、力の抜きどころ。読めた線は、なぞれる。なぞれた線は、消せる。

教本どおりの張りは、誰が張っても同じ形だ。同じ形は、読みやすい。だから張った順に、読み上げるように消える。俺の元の線は、我流で、揺れと節だらけで、始まりも終わりも教本のどこにもない。読みにくい。読みにくいから、後回しになる。縁を立て直して整えた筋は、揺れが削れて読みやすくなっていた。だから、そこから死んだ。

「軋みは、刻みを読んでいる」

口に出すと、ニナの炭が止まった。

「読めたものから、解いていく。五層は、読む声が小さい。六層の荒れは、大きい。七層は」——読み上げるみたいに、順にだ——「全部、読まれる」

言い切るには、卓の上の数で足りるかどうか。足りない、と言う側の俺が、今日はいちばん静かでない。手の中の鏨が、置き場所を探して二度持ち替えられた。

仮説だ。数はまだ足りない。足りないが、手持ちの縞と、二年前の順序と、五層の照りの引き方が、全部この一本の上に並ぶ。並ばない事実が、今のところ卓にない。

六層の十四画が、頭の隅から出てきた。誰にも読めない字で、塔と同じだけ古い。読めない字は、残る。実物を、俺たちはもう見ている。

ニナが、詰めていた息を吐いた。いつから詰めていたのか、吐く長さで分かる長さだった。吐いてから、書きかけの紙を見下ろして、何も書き足さずにいる。書く係が書かないのは、紙に載せる形がまだ決まらない話だからだろう。ボルグの灰色の目が、卓の上の靴と、俺の手元とを一往復した。

俺の線が残ったのは、腕が良いからではない。字が、汚いからだ。汚さは、直すものだと思ってきた。師のいない手で、直す当てもないまま、それでも直すつもりで半生刻んできた。直さずに、使う側へ回す道があるのなら、話は根本から変わる。

なら、答えは一つしかない。

読めない字で、刻めばいい。


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