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追放された付与術士は、拾った奴らを食わせるためだけに無双する ~消えない付与を重ねてたら、誰も越えられない七層も越えていた~  作者: 自ら


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第25話「剥がれる」

棚場で、ボルグが合図を決めた。

杖で桟を打つ。一度なら止まれ。二度なら伏せろ。三度なら、戻れ。声は風に食われる、と言う。吹き抜けの風は下から上へ通るから、後ろの声は前に届かない。届くのは杖の音だけだ。ニナが復唱し、俺も復唱した。復唱させる決め方が、隊の決め方というものらしい。

書庫から二日おいて、六層に戻った。冊は持ち出せないが、写しは黙認された。ニナが最後の頁を写し、掠れた寸法の字まで写した。塔に刻んだ者を探せ、の一行は写さなかった。探せと言われて探しに来たわけではない。図の白い場所を埋めに来た。ついでに、壁を見る。俺の側の言い分はそれで通っているはずだが、壁を見る目のほうが図より先に動くのは、自分でも分かっていた。

十四画の刻印の先へ、桟道を三本進んだ。

深部は、桟が細る。綱は古く、継ぎ目ごとに撚りが痩せている。通るたびに撚りの死んだ箇所へ結び足しを入れ、板の浮きを留めながら進んだ。壁の検め方は、角灯を斜めに当てて影を走らせる。彫りは影で浮く。浮いた影の癖を見て、人の癖か、癖なしかを分ける。癖なしが出たら足を止める。手順はそれだけで、それだけの手順を、桟三本ぶんの壁にかけて歩いた。壁に十四画型は見つからない。代わりに、別の物が増えた。白い粉の帯だ。岩肌のある高さに、古い張りの剥がれ痕が粉になって残っている。暁刃の新しい骨と違って、こちらは何年も前の骨だ。帯は上へ行くほど太く、数を増す。上ほど食われる。壁が、そう書いてあるのと同じだった。

「鳴りの日は、上の獣が下りる」ボルグが言った。「今日は鳴っとらん。鳴っとらん日の静けさは、あてにするな」

風切りの影は、まだ落ちてこない。角灯の火は立ち、鳴りは五層より太く、間遠に石を通る。間遠の間を数えながら進んで、三本目の桟の半ばで、数が狂った。

風が、止んだ。

頬の流れが消え、綱の揺れが落ち、角灯の火がまっすぐになる。四層の階段口で覚えた止み方だ。ボルグの杖が桟を一度打つ。止まれ。打ち終わる前に、来た。

太い鳴りが、石を通る。一つ。数える間もなく二つ。三つ目は二つ目に重なって、重なった底から四つ目が来た。間を詰めている。五層で聞いたどの鳴りとも違う詰め方だ。腰の薄刃が鞘の中で鳴き、ニナの短剣が鳴き、鏨の包みまで震え出す。音は耳より先に奥歯へ来て、奥歯から踵へ抜けた。桟の板が足の下で細かく応え、綱の撚りが低く唸る。塔ぜんたいが、石の内側から擦れている。軋み、という呼び名の作りが、体で分かる鳴り方だった。ボルグの声が、杖の音を捨てて風上から来た。

「荒れとる。今日のは長いぞ」

影が落ちた。一つではない。風切りが三つ、上の暗がりから斜めに下りてくる。鳴りの日は上の獣が下りる。鳴っていなかった日の分まで、まとめて下りてきたらしい。

ニナが前に出て、壁を背にした。型は覚えたとおりで、足の置きも覚えたとおりだ。狂ったのは、足の下のほうだった。

一匹目を捌いた着地で、ニナの足が滑った。

滑るはずのない板の上で、靴が流れる。谷側へ。俺の目は靴底を見ていた。滑り止めの線が、白い。白く粉を吹いて、縁がめくれて、めくれた端から風に持っていかれていく。板の側の線も同じだった。半年前に留めて刻んだ線が、端から順に、剥がれている。

目は速く動くのに、手が間に合わない。滑る靴と、めくれる線と、傾ぐ体が、順に見えて、順にしか見えない。検分の目は、こういうときに邪魔になる。見えたものを全部数えてから、ようやく体が出た。

ニナの体が桟の外へ傾き、手が綱を摑んだ。摑んだ掌が撚りの上を滑り、胸当ての紐を俺の手が摑んで、二人分の重さが一度だけ綱に掛かる。結び足しは保った。風切りの爪が、傾いだニナの背を掠め、胸当ての革に筋を残して逸れた。

「戻れッ」

杖ではなかった。声だ。風に食われる側の声が、風を割って通った。二年、この男が出さなかった声量だと、聞いた瞬間に分かる通り方だった。

戻った。ニナ、俺、ボルグの順で、来た桟を逆に踏む。俺は歩きながら剥がれを見た。板の線が死んでいる。結び足しの綱だけが生きて、綱を刻んでいなかったことが、今日は幸いした。刻んでいれば、あれも剥がれていた。風切りの影は追ってこなかった。鳴りの中で、あの獣たちは落ちる者だけを待つ。落ちなければ用がない。用のなくなった俺たちの背中を、鳴りは三度押し、四度目は来ずに、棚場へ戻る頃には間遠の鳴りに戻っていた。ボルグの息が上がっている。上がった息のまま、杖の音だけは最後まで一定の間合いを守った。

棚場の石積みの陰で、荷を下ろした。崩れ止めの石積みは、今日も立っている。立っている物の陰で、三人分の息が揃うまで、誰も口を開かなかった。ニナの息がいちばん早く戻り、ボルグの息がいちばん遅かった。

ニナの掌は、撚りに擦られて皮が剥けている。血は滲む程度で、指は全部動いた。胸当ての革に、爪の筋が一本。革は抜かれていない。誂えておいた物が仕事をした、というだけのことだが、そのだけのことに、ニナは胸当ての紐を握って長く息を吐いた。

「靴を」

ニナは掌の皮を気にする前に、言われたとおり靴を脱いだ。脱ぎながら、こちらの顔を見ない。見ない理由を訊く順番は、いまではない。

脱がせて、裏を返した。

滑り止めの線が、半分ない。残った半分も縁が白く浮いて、指で払うと粉になって落ちた。短剣も検めた。刃は無事だ。刃こぼれ一つない。柄と鞘の刻みだけが、端から剥がれている。

「……刃は無事で、刻みだけ剥がれとる」ボルグが横から覗いて、低く言った。「齧るのは、獣の口の仕事だ。これは齧りじゃない。狙って、消しに来とる」

消しに来る、が正しいかどうかは、この数では言えない。言えないことは棚だ。棚はもう何段も埋まっていて、今日の一段は、今までのどの段より重い。それでも、棚に置く前に、見ておくものがある。

剥がれた線の断面に、角灯を寄せた。

縞が見えた。重ねた順の、細かい縞だ。一段目の上に二段目、二段目の上に三段目。入れた日の順に、断面が年輪の形で並んでいる。いちばん外の三筋が、ない。入れた日を覚えている三筋だ。剥がれて、粉になって、あの桟道の風の中だ。

俺の刻みが、剥がれた。


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