第19話「降りてきた者たち」
門衛が二人がかりで、塔の口の閂を抜いた。
朝の通りが、それだけで足を緩める。触れから一晩。降りるのに、それだけかかる高さから降りてくるということだ。両開きは、大きい隊が降りるときの開け方だ。昨夜の触れは町を一巡りしていて、誰も口には出さないまま、塔の口の前だけ人の流れが淀んでいった。淀みは、静かだ。祭りの人だかりと違って、声の高さが揃って低い。七層で敗れた隊を笑う者は、この町にはいない。笑えば次に笑われるのが自分の隊だと、塔で食っている人間はみな知っている。俺たちも支度のまま、その淀みの端で足を止めた。今日の潜行は四層までの浅い予定で、急ぐ理由は荷の中にない。
ニナは今朝から口数が少ない。飯は普段どおりに炊き、椀は普段どおりに並べ、味も普段どおりだったから、手の側は動いている。動いていないのは口だけだ。荷の紐を、もう三度締め直している。昨夜、触れを聞いてから解きかけの紐を握ったまま動かなかった手が、今朝は締める側に回っただけで、まだ紐から離れていない。ボルグは人だかりの後ろに杖を突いて、扉の奥の暗がりだけを見ていた。
降りてきたのは、六人と、戸板が一枚だった。
先頭はゲイルだ。歩き方は覚えているとおりで、背は曲がっていない。曲がっていないぶん、顔から色が落ちているのがよく見えた。日に灼けた男の顔から色が落ちると、灰の色になる。その灰色のまま、まっすぐ前だけを見て通りを進んでくる。
装備が、別の物になっていた。
盾の縁が波を打っている。誰かに殴られた凹み方ではない。縁に沿って、金属がひと回り痩せる削られ方だ。剣の鞘の金具は艶を失い、革帯は表面がささくれ立って、留め具の角がどれも丸い。張っていた付与の照りは、どの得物にも残っていなかった。張り直した跡が幾重にもあって、その幾重ごと食われている。
五層は舐める。六層は齧る。七層は、食う。ボルグの言葉の実物が、列になって目の前を歩いていた。町でいちばん層の高い隊が、こうなって降りてくる。七層の壁の重さは、触れの文言で聞くより、留め具の丸くなった角のほうがよほど正確に伝えてくる。
ゲイルの後ろに、残りが続く。斥候の女は足首を布で巻いて、それでも自分の足で歩いていた。後衛の杖持ちは杖を突いておらず、抱えている。杖の頭の飾り石が割れているのが、抱え方で分かった。誰も彼も、失った物の持ち方で歩いている。
戸板の上の男は前衛の大男で、胸から上に布が掛かり、呻きはない。眠らされているのだろう。担ぎ手の足取りは慎重で、急いではいなかった。急がなくていい容態か、急いでも仕方のない容態か、遠目には分からない。
「……戸板は、一枚か」
ボルグが低く言った。誰に向けた声でもない。二年前、この男の隊が降りたときの戸板の数を、俺は知らない。訊く場面でもない。杖の頭を握る手が、握り直されただけだった。二年前、双角が降りた朝も、この通りはこうだったのだろう。両開きの扉、淀む人だかり、揃って低い声。そのときは列の中にいた男が、いまは人だかりの側から数えている。数える側の顔を、俺は横から見ないでおいた。
俺は、と言えば、自分の中を検めていた。恨む筋があるはずの列だ。半年働いて、荷物ごと出された。探せば恨みの一つも出てくるかと思ったが、出てこない。考えてみれば道理で、あの日、俺は恨みを刻まなかった。刻まなかったものは、残らない。物でも同じだ。残っているのは、あの隊の装備の寸法と、革の癖と、張られていた付与の位置だけで、だからいま目が行くのも、そこだった。
あの削られ方を、近くで検分したい。縁の痩せ方が五層で見た「ひと皮」の何倍なのか、革と金属で食われ方は違うのか、張り直しの回数は跡で数えられるのか。革と金属では、食われ方が違って見える。金属は縁から痩せ、革は面からささくれる。硬い物ほど形で削られ、柔らかい物ほど肌で削られるということか。それなら石は、床は、どう食われる。検めたい物の一覧が、列の進む速さで増えていく。頼める間柄でないのが、今日も惜しい。
ゲイルが、俺たちの前を過ぎた。
目は動かなかった。人だかりの誰の顔も拾わない目のまま、俺の顔の上も同じ速さで過ぎていく。気づいていないのか、気づいて止めないのか、灰色の横顔からは読めない。半年、あの男の得物に刻んできたが、顔の内側は一度も読めた覚えがないから、今日も読めないのは、いつもどおりということになる。
列の三人目で、カリンがこちらに気づいた。
足が止まり、それから列を外れて、道を渡りかけた。二歩。口が動く。あの、と形だけ動いて、声はまだ届く距離にない。
「カリン」
ゲイルの声が、先に届いた。振り向きもしない、短い一声だ。カリンの足が止まる。渡りかけた道の真ん中で一拍だけ迷って、それから列へ戻っていった。戻り際に一度だけこちらを見た目が、口の形の続きを言いかけて、やめた。二歩ぶん近づいて、二歩ぶん戻る。それだけのことが、あの隊の中では大きい歩数なのだろう。列を離れる二歩に要る覚悟の量を、俺は半年いて量ったことがなかった。量る用がなかったからだが、量る用のある側から見れば、あの二歩は短くない。
ニナが半歩、俺の前に出た。守る立ち位置だが、誰も攻めてきてはいない。指摘する場面でもないので、そのままにしておく。紐を握っていた手は、いつの間にか空いて、拳の形になっていた。
列が、目の前を過ぎていく。
人だかりは崩れず、声の低さも変わらない。組合の方角から係が二人駆けてきて、列の先頭に並びかけ、帳面を開きながら歩き始めた。敗けて降りても、書き付けは待ってくれないらしい。ゲイルは歩調を変えずに、係の問いへ短く答えている。声の中身までは届かない。
灰色の顔、波打つ盾の縁、艶の失せた金具、戸板。しんがりの手前にメイズがいた。武具の目利きで、隊の得物の面倒を見ていた男だ。背負った大剣の柄にも、もう照りはない。
そのメイズの足が、すれ違いざま、一歩ぶんだけ止まった。
視線が下りる。俺の顔ではない。顔は、素通りだった。腰に差した、古い薄刃の短剣。売るなと言われた日から塔に入る日は差している、あの安物の上で、目利きの目が止まっていた。
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