第11話「【sideボルグ】双角」
盾は、卓の上で灯りを受けていた。
角が二本、弧を描いて交わる焼き印。二年ぶりに見る。焼き型は俺が彫った。隊の装備の一つ一つに、この手で押した印だ。押すたびに、これで迷子にならんと笑った男がいた。
隊の名は、双角といった。
角は二本で立つ。前衛が二枚、それが売りの隊だった。一枚が俺で、もう一枚がゼム。この盾の持ち主だ。山育ちの山羊は、二本の角で岩場に立つ。だから双角。名付けたのはゼムで、俺は反対したが、十一年使ううちに馴染んだ。六層を仕事場にできる隊は、この町に数えるほどしかない。双角は、その数のうちに十一年いた。
娘が、盾と俺とを見比べている。アルドは急かさなかった。話す気になるまで待つ構えで、椀の縁に匙を置いている。話す気は、盾を見たときにもう決まっていた。二年、誰にも話さなかった。話す相手も、話す理由もなかっただけだ。今は、両方ある。
二年前の春に、七層へ入った。
理由は、今でも一言で言える。十一年登って、上にそこしか残っていなかったからだ。六層までは全部歩いた。稼ぎも名前も足りていた。足りた先に壁があれば、叩くしかない。誰も越えたことがない、と言われるたびに、なら俺たちが、と返してきた。あの頃は、その返しを疑ったことがなかった。
七層は、六層の続きではなかった。
段を上がって最初に気づいたのは、音だ。塔が鳴る。五層や六層の鳴りとは違う。あれは遠くで石の軋む音だが、七層のは近い。耳のそばで、誰かが糸を張って、爪で弾いているような音がする。鳴るたびに、装備が軽くなった気がした。気のせいだと思った。気のせいではなかった。
剣が、鈍っていった。
刃こぼれとは違う。欠けるなら分かる。そうではなく、研いだ覚えのある鋼が、研ぐ前より鈍っていく。ゼムの盾の縁は、削れたのではない。痩せた。見ている前で、金物が古びていく。隊の付与術士が張り直した効果は、もっと早かった。張った端から剥がれる。あれは剥がれるという言い方も正しくない。張った物を、誰かが端から読んで、読んだ順に解いていく。俺は字が読めんが、字の読める奴が帳面を検める手つきは知っている。あれは、あの手つきだった。塔が、俺たちの装備を検めて、通らんと決めた物から順に、消していった。
半日で、隊の得物の半分が使い物にならなくなった。付与術士は真っ青な顔で張り直しを続けた。腕の良い男だった。六層までなら、あいつの付与が切れたことはない。その男の仕事が、張るそばから解かれていく。腕の問題ではないと、あの場の全員が分かった。分かった上で、それでも進んだのは、俺とゼムがまだ立っていたからだ。前衛二枚が立っているうちは、双角は退かない。十一年、それでやってきた。
ゼムの鎧の留め具が消えたのは、俺の二歩先でだった。
切れたのではない。音もなく、あるべき場所から失くなった。鎧が脱げて、開いた脇に、上のやつの爪が入った。一瞬だ。十一年隣にいた男の終わりに、俺は二歩、間に合わなかった。
そこからの記憶は、順番が怪しい。ゼムを担いだ。走った。誰かが叫んで、隊の残りが退路をこじ開けた。六層への段の手前で、上から来た一撃を左脚に貰った。骨が潰れる音は、自分のでも聞こえるものだと、そのとき知った。ゼムの体は放さなかった。担いだまま段を転げて、六層まで落ちて、そこからは仲間が引きずってくれた。
ゼムは下に返した。土に埋める体があったことだけが、あの日の勘定で唯一、黒字の側に載る項目だ。埋めた場所には、角の焼き印を押した木の札を立てた。塔の見える丘だ。あいつは最後まで、越えられなかった壁の話ばかりしていたから、せめて見える場所を選んだ。盾は、拾えなかった。潰れた脚では、拾いに戻る道がなかった。それが二年、腹の底に埋まったままだった。今日、三層の水が、俺の代わりに拾ってきた。
隊は、その年のうちに散った。双角は前衛二枚の隊で、角が一本折れて、もう一本は立てなくなった。残った連中には頭を下げて、別の隊に割り振った。装備は売った。焼き印の入った物から先に売れた。双角の銘は、まだ多少の値になったからだ。最後に革帯と、この体が残った。それが二年前の話で、それからのことは、話すほどの中身がない。軒下と、椀と、二年。
軒下の二年で覚えたことが一つある。町は、登れなくなった探索者の扱いに困る。追い払うほど邪魔でもなく、拾うほどの値もない。だから見ないことにする。見ないでいてくれるのが、ありがたい日もあった。
その椀に、三日前、粥が置かれた。
アルドという男のことを、俺はまだ測りかねている。得がないと言えば、得の話はしていないと返ってくる。なぜだと訊けば、脚と腹は別の話だ、ときた。問いの立て方をどう変えても、この男の答えの出てくる場所は一つしかない。腹が減った人間がいたら食わせる。それだけの場所からだ。それだけで人が動くものか、と二年前の俺なら言った。今は言わない。その、それだけ、に俺は三日、食わせてもらっている。
娘の短剣の線を、灯りの透かしで見たときから、引っかかっていることがある。あの線は、消えていない。半年物だと娘は言った。昨日は床に線を引いて、岩這いの群れを列に変えたという。張った物が消える塔で、この男の刻みだけが、消えていない。
だから、盾の話をした。双角の話を、二年ぶりに、最後まで口に出した。ゼムの留め具が消えた一瞬のこと。痩せていく盾の縁のこと。張った端から読まれて、解かれていった付与のことまで、全部だ。
「上では、何もかも剥がれる」話の終わりに、俺はそう締めた。「鋼も、付与もだ。あの層は、人の持ち込む物を許さん」
アルドは、盾の焼き印を見ていた。それから顔を上げて、不思議そうに言った。
「剥がれるなら、剥がれない刻み方をすればいいんじゃないか」
俺は、何か返そうとした。
返せなかった。十一年の探索者の口が、駆け出しにもせん問いの前で、開いたまま止まった。剥がれない刻み方など、あるわけがない。塔の上では何もかも——そこまで考えて、卓の上の盾と、娘の帯の短剣が目に入った。半年、消えない線。群れを列に変えた床。
この男は、七層を知らない。壁の重さも、鳴りの音も、留め具が消える一瞬も知らない。何も分かっていない。
分かっていないまま——たぶん、正しい。
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