第30話 返された剣
街道脇で見届けていた従者が、二頭の馬を連れて歩いてきた。
顔は青ざめていたが、腰の剣へ手を伸ばすことはなかった。
カイルたちが警戒する中、リディアは地面へ横たえたローデンの傍らから動かなかった。
従者は二人の前まで来ると、その場へ膝をついた。
ローデンの首元へ指を当てる。
すぐに手を離し、深く頭を下げた。
「ローデン様より、勝敗が決するまで手を出さず、その結果を旦那様へ伝えよと命じられております」
「ああ。聞いている」
「遺体と剣を、お預かりいたします」
リディアは地面に落ちていたローデンの剣を拾った。
幼い頃から、何度この剣に打ち負かされたか分からない。
右手を失っても左手へ持ち替え、最後までリディアへ向けられた剣だった。
刃についた血を布で拭い、両手で従者へ差し出す。
「頼む」
従者も両手で受け取った。
強く握り締めた指が震えている。
「最期に、ローデン様は何と?」
「もう教えることはないと」
リディアはローデンの顔を見る。
「これからは、自分の意思で進めと言われた」
「……承知いたしました」
従者はそれ以上尋ねなかった。
持ってきた布でローデンの身体を包み始める。
カイルが無言で近づき、その作業を手伝った。
やがて、ローデンの遺体は彼が乗ってきた馬へ載せられた。剣も鞍へ固く括りつけられる。
従者が自分の馬へ向かおうとしたところで、リディアは呼び止めた。
「一つ、聞きたい」
「何でしょう」
「私付きだった侍女は無事か?」
「はい。変わらず屋敷に勤めております」
リディアは小さく息を吐いた。
「そうか」
腰から短剣を外し、従者へ差し出す。
「ならば、これを彼女へ返してほしい。父親の形見だ」
従者は短剣を両手で受け取った。
「承知いたしました」
「約束どおり返すと伝えてくれ。それから――」
リディアは一度言葉を止めた。
「そなたのおかげで生き延びた、と」
「必ずお伝えいたします」
従者が自分の馬へ乗る。
「戻ります」
「ああ」
従者は一度だけリディアへ頭を下げ、ローデンの馬の手綱を引いた。
二頭の馬が、来た道を戻っていく。
その姿が街道の向こうへ消えるまで、リディアは動かなかった。
「リディアさん」
カイルが声を掛ける。
「行こう」
リディアは短く答えた。
悲しみは消えない。
それでも、最後の一撃を逸らせばよかったとは思わなかった。
ローデンは主命に従う道を選び、リディアは自らの正義を続ける道を選んだ。
その結果から、目を逸らすつもりはなかった。
◇
それから、しばらく後。
ローデンの遺体と剣が、屋敷へ戻った。
遺体は礼拝室へ安置され、剣だけが父の執務室へ運ばれた。
机の上へ置かれた剣を、父は長い間見つめていた。
「ローデンは、最後まで一人で戦ったのだな」
「はい」
報告を終えた従者が、机の前で頭を下げている。
「お嬢様も、ほかの者には手を出させませんでした」
「そうか」
「ローデン様は全力で戦い、敗れました」
言葉が途切れる。
従者は唇を強く結び、もう一度頭を下げた。
「下がってよい」
「失礼いたします」
従者が執務室を出ていく。
入れ替わるように、家令が進み出た。
「兵を出しますか」
「出してどうする」
「しかし、このままでは――」
「ローデンでも討てなかったのだ」
これ以上、秘密裏に差し向けられる者はいない。
兵をまとめて動かせば、大罪持ちを隠していたことも、その娘を消そうとしたことも表へ出る。
軍勢を送ったところで、勝てる保証すらなかった。
父は剣へ手を伸ばした。
長く使い込まれた柄に触れた時、ローデンが最後の追撃へ出る前に交わした会話が蘇った。
◇
「紋章が人を決めるわけではございません」
ローデンは父の前に立ち、そう告げた。
「過去の大罪持ちが何をしたか、そなたも知っているだろう」
「存じております」
「ならば、放置できないことも分かるはずだ」
「ですが、お嬢様が同じ道を選ばれると決まったわけではございません」
「大罪の紋章なのだぞ」
「私の紋章は《豊穣》です」
父は眉を寄せた。
「それが何だ」
「紋章だけを見れば、私は農地に立つべき人間だったのでしょう」
ローデンは腰の剣へ手を置いた。
「それでも騎士になると決め、剣を振り続けました。今の私を作ったのは、紋章だけではございません」
「大罪と豊穣を同じにするな」
「たとえ大罪の紋章であろうと、お嬢様はお嬢様です」
ローデンは静かに父を見返した。
「あの方が何を選ばれるかまで、紋章の名だけで決めつけるべきではございません」
父は、その言葉を信じ切れなかった。
娘を信じた結果、一族すべてが危険に晒されることを恐れた。
そしてローデンへ、最後の命令を下した。
◇
机の上には、そのローデンの剣がある。
リディアが大罪の紋章を得た時、娘はまだ何もしていなかった。
最初に閉じ込めたのも、殺そうとしたのも、追手を差し向けたのも父だった。
その追手を退けるたびに、娘は戦いを覚えた。
大罪の力を使い、人を裁き、ついにはローデンまで倒した。
もし、あの時。
紋章ではなく、娘自身を見ることができていれば。
ローデンの言葉を信じ、リディアへ別の道を選ぶ機会を与えていれば。
今とは違う姿になっていたのだろうか。
答えは出なかった。
確かなのは、父が娘を信じなかったことで、最も恐れていた大罪の力を自ら育ててしまったということだけだった。
「追撃は終わりだ」
父が言った。
「旦那様」
「今後、リディアには手を出すな」
それは、娘を許した言葉ではない。
自分の判断が正しかったと認める言葉でもなかった。
もう殺せないという現実と、取り返せない選択を受け入れた言葉だった。
その日、一族からリディアを追う者はいなくなった。




