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第29話 師弟決戦

 激突した剣から、リディアの両腕へ重い衝撃が走った。


「くっ……!」


 完成した紋章から力を得ている。


 それでも押し返され、靴底が街道の土を削った。


 ローデンは追撃を止めない。


 横薙ぎの刃が首へ迫る。


 リディアは剣を立てて受け、身体を沈めた。頭上で刃が滑り、耳元に甲高い金属音が響く。


 すぐに突きが来た。


 半歩ずれてかわしたが、切っ先が脇腹の服を裂く。


 以前の戦いとは違う。


 構えを直す時間も、呼吸を整える時間も与えてくれない。


 ローデンの剣は、初めから命を奪うために振るわれていた。


 リディアは下がりながら剣を返す。


 力も速さも、これまでとは比べものにならない。


 だが、ローデンは刃を僅かに傾けるだけで受け流した。


 力の向きを変えられ、リディアの体勢が崩れる。


 そこへ、斜めに剣が振り下ろされた。


 地面を蹴り、横へ逃れる。


 刃が外套の肩口を裂いた。


 続く足払いを、片足を引いて避ける。


「同じ手には掛からない」


「そのようですな」


 だが、足払いは次の攻撃への誘いだった。


 下がった先へ、すでにローデンの剣が伸びている。


「――っ!」


 リディアは剣を差し込み、辛うじて軌道を変えた。


 切っ先が右脇腹を浅く裂く。


 傷を確かめる暇はない。


 次の一撃を受ける。


 剣が弾かれる。


 さらに踏み込まれ、胸元へ突きが迫った。


 リディアは身体を捻る。


 胸の前を切っ先が通り過ぎた。


 反撃として胴を薙いだが、ローデンは鎧の肩で受けるように身体を回した。


 刃が金属の表面を滑り、浅い傷だけを残す。


 その間に、剣の柄が腹へ打ち込まれた。


「ぐっ……!」


 息が詰まり、片膝をつく。


 今度のローデンは、立ち上がるまで待たなかった。


 首へ落ちてくる刃を、リディアは地面を転がって避ける。


 すぐに立ち上がり、距離を取った。


 まだ戦いが始まって間もない。


 それなのに、呼吸はすでに乱れていた。


 ローデンは重いプレートアーマーを身につけている。


 それでも動きに鈍さはない。


 呼吸もほとんど変わっていなかった。


 紋章の力によって、身体能力では大きく劣っていないはずだ。


 それでも剣は届かない。


 純粋な技量が、あまりにも違っていた。


「ローデン」


「何ですかな」


「そなたは、なぜ紋章の力を使わない」


 問いかけながらも、リディアは剣先から目を離さない。


「その問いは、私を倒してからにしていただきましょう」


「答えるつもりはないのか」


「戦いの最中に、余所見をなさらぬことです」


 言葉が終わるより早く、ローデンが踏み込んだ。


 上段からの一撃を受ける。


 重い。


 リディアは剣を押し込まれ、両腕に力を込めた。


 力だけなら押し返せる。


 そう判断した瞬間、ローデンの刃が横へ滑った。


 支えを失ったリディアの身体が前へ傾く。


 ローデンの剣が、下から喉元へ迫った。


「っ――!」


 首を反らし、紙一重で避ける。


 切っ先が顎の下を浅く裂いた。


 リディアは後ろへ跳び、剣先を低く下げる。


 ローデンが教えた構えでは勝てない。


 肩。


 腰。


 足。


 何を見て、どう動くか。


 そのすべてを、ローデンは知っている。


 教えた本人なのだから当然だ。


 リディアは正しい構えを捨てた。


 狭い店内。


 荷車の並ぶ街道。


 大勢が入り乱れた領主館と奴隷都市。


 整った足場も、決まった間合いもない場所で身につけた構えだった。


 ローデンの目が僅かに細くなる。


 リディアは右へ下がると見せ、逆に懐へ踏み込んだ。


 ローデンの刃が脇腹を掠める。


 痛みに構わず、鎧の隙間へ剣を振るった。


 届く。


 そう思った直前、ローデンの籠手が剣の腹を外へ押した。


 それでも、紋章の力で強引に刃を戻す。


 切っ先がローデンの左腕を裂いた。


 すぐに剣が返ってくる。


 リディアは受けたが、腕ごと外へ弾かれた。


「その動きは、教えておりませんな」


「旅の途中で覚えた」


「そうですか」


 ローデンは左腕の傷を一度見ただけだった。


「ならば、それも含めて斬り伏せましょう」


 再び剣が迫る。


 旅で得た動きも、一度見せれば対応された。


 二撃目は届かない。


 三撃目には、逆にその動きを利用される。


 リディアの肩と腕に傷が増えていく。


 ローデンの鎧にも剣の跡は刻まれていたが、身体へ届いた傷は左腕の一つだけだった。


 紋章の力がなければ、すでに倒されている。


 だが、その力があってもローデンを上回ることはできなかった。


 リディアは一度大きく距離を取った。


 短時間で倒すことはできない。


 力と速さだけで押し切ろうとすれば、ローデンの剣に利用される。


 ならば、急ぐ必要はなかった。


 ローデンは万全の状態で来ている。


 それでも若くはない。


 全身を守るプレートアーマーも、長く動けば必ず身体を削る。


 リディアは深追いすることをやめた。


 一撃を受け流すと、大きく横へ回る。


 ローデンが向きを変える。


 剣を打ち込み、鎧で防がれればすぐに離れる。


 追ってきた刃を避け、再び距離を取った。


「長引かせるおつもりですかな」


「そなたに剣技で勝てないなら、戦い方で勝つ」


「それもまた、剣のうちですな」


 ローデンが踏み込んだ。


 逃がすつもりはない。


 リディアも、逃げるだけではいずれ追いつかれる。


 剣を受け、流し、僅かな隙に反撃する。


 攻防が続いた。


 太陽の位置が少しずつ傾いていく。


 街道の土は、二人の足に踏み荒らされていた。


 リディアの服には血と土が滲み、剣を握る手の皮も裂けている。


 紋章で強化されていても、疲労まで消えるわけではない。


 一方のローデンも、次第に呼吸が深くなっていた。


 鎧の下を流れた汗が、頬の古傷を伝う。


 それでも、剣筋には乱れがない。


 踏み込みも、刃を戻す動きも、致命的な隙にはならなかった。


 ローデンの右肩が動く。


 斜めから剣が迫った。


 リディアは受け流し、鎧の脇へ剣を滑らせる。


 ローデンが半身になって避けた。


 返す剣が胸へ伸びる。


 リディアは身を引いたが、間に合わない。


 刃が左腕を裂く。


「くっ……!」


 後ろへ下がる。


 ローデンが追う。


 次の横薙ぎは、避ければ再び距離を詰められる。


 受ければ、押し負ける。


 リディアは退かなかった。


 剣が迫る。


 その軌道を見ながら、自ら一歩踏み込んだ。


 狙うのは、籠手と手甲の間にある右手首の隙間。


 ローデンの剣が自分へ届くより先に、リディアは刃を振り抜いた。


 剣が鎧の隙間へ食い込む。


 右手首を走る腱が断たれ、ローデンの指が開いた。


 だが、すでに振るわれていた剣の勢いまでは止まらない。


 刃がリディアの脇腹を深く裂いた。


「――っ!」


 二人の血が同時に飛ぶ。


 リディアはよろめきながらも、剣を構え直した。


 ローデンの右手から剣が滑り落ちる。


 決まった。


 そう思った瞬間だった。


 剣が地面へ落ちるより早く、ローデンの左手が柄を掴んだ。


 身体の向きを入れ替え、左手だけで剣を構える。


 右腕は力なく垂れ、籠手の隙間から血が流れている。


 それでも剣先は、僅かにも揺れていなかった。


「左でも使えるのか」


「右腕を失えば終わる戦場ばかりではございませんのでな」


 ローデンが踏み込んだ。


 左から突きが伸びる。


 リディアは反射的に、教わった通りの方向へ避けた。


 その先へ剣が追ってくる。


「なっ――」


 身を反らしたが、切っ先が頬を裂いた。


 右手で振るわれていた時とは、すべての軌道が逆になっている。


 威力は落ちていた。


 だが、リディアが知るローデンの剣とは違う。


 左の突きを剣で払う。


 すぐに刃が引かれ、次は下から斬り上げられた。


 後ろへ跳んで避ける。


 ローデンは止まらない。


 右手で戦っていた時よりも突きを増やし、片手で扱える最短の動きだけを選んでいる。


 リディアが慣れるまでの僅かな間に、肩と太腿へ新しい傷が刻まれた。


「まだ……これほど」


 息を吐き、剣を握り直す。


 右手を奪った。


 紋章の力も使っている。


 それでも、まだローデンは強かった。


 リディアは左手の剣を目で追う。


 初めて見るからといって、見えないわけではない。


 肩。


 腰。


 足。


 何度も教えられた通り、身体の動きを見る。


 ローデンが突く。


 外へ流す。


 返す剣を受ける。


 距離を取る。


 同じ攻防を繰り返すうち、左手の剣筋も少しずつ見えるようになっていった。


 攻防はさらに続いた。


 ローデンの右手から落ちる血が、街道に点々と跡を残す。


 左手一本で剣を振り続ける肩も、次第に上下するようになった。


 重い鎧を動かす足音が、僅かに鈍くなる。


 リディアの脇腹からも血が流れている。


 呼吸をするたびに傷が痛んだ。


 足は重く、剣を握る指も感覚を失い始めている。


 どちらが先に崩れてもおかしくない。


 ローデンが踏み込み、喉へ突きを放つ。


 リディアは外へ弾く。


 すぐに剣が戻り、追撃を防いだ。


 次も同じだった。


 突きを外へ流す。


 剣が構えへ戻る。


 だが、先ほどより僅かに遅い。


 攻め込めるほどの隙ではない。


 リディアは動かなかった。


 ローデンが三度、踏み込む。


 左手から伸びる突き。


 リディアは首を傾け、紙一重でかわした。


 頬のすぐ横を刃が通り過ぎる。


 ローデンが剣を引く。


 その動きが、ほんの一瞬だけ遅れた。


 長い戦い。


 プレートアーマーの重さ。


 右手の傷と、利き手ではない左手の疲労。


 積み重なったすべてが生んだ、ただ一度の隙だった。


 リディアは前へ出た。


 ローデンも遅れながら剣を返す。


 ここで躊躇すれば、首を斬られる。


 あの日のように、剣を逸らすことはできない。


 視界が滲んだ。


 汗なのか、涙なのかは分からなかった。


 それでも、剣先は逸らさない。


 伸びてくる刃の内側へ入り、剣を突き出した。


 切っ先が、左腕を動かすために開いた鎧の継ぎ目へ入る。


 そのままローデンの左胸を貫いた。


「――ぐっ」


 老騎士の身体が止まった。


 返しかけていた剣が、リディアの肩へ触れる直前で力を失う。


 リディアが剣を引き抜く。


 ローデンは片膝をついた。


 その姿まで、最初の戦いと同じだった。


 ただし、今度の傷は急所を外れていない。


 紋章の熱が、ゆっくりと静まっていく。


 リディアは剣を地面へ突き立て、倒れようとするローデンの身体を支えた。


「まだ、答えを聞いていない」


「何の……ことですかな」


「なぜ、紋章の力を使わなかった」


 ローデンは苦しげに息を吐いた。


「そういえば、まだお嬢様には、私の紋章をお教えしておりませんでしたな」


「そなたほど強いのだ。剣に関わる紋章だと思っていた」


「私の紋章は、《豊穣》です」


 リディアは、すぐに意味を理解できなかった。


「豊穣……?」


「ええ。農地の実りを助ける紋章です。剣を速めることも、身体を強くすることもできません」


「そなたが?」


 幼い頃から、ローデンは屋敷で最も強い騎士だった。


 当然、強力な戦闘用の紋章を持っているのだと思っていた。


「私には、農業の適性がございました」


 ローデンが僅かに笑う。


「ですが、私は騎士になりたかった」


「ならば、その剣は……」


「剣を選び、振り続けました。努力した結果が、今の私です」


 右手を使えなくなった直後、左手で剣を取り、戦い続けた。


 あれも紋章の力ではない。


 すべて、ローデン自身が積み上げた技だった。


「紋章が何であれ、何を選び、何を積み重ねるかまでは決めてくれません」


 ローデンの言葉に、リディアは右肩へ触れた。


「私は紋章の力を借りて、ようやくそなたに勝った」


「お嬢様は、その紋章に剣を握らされたのですかな」


「違う」


「長期戦を選び、私の右手を奪い、最後に踏み込んだのは?」


「……私だ」


「ならば、その勝利まで紋章へ譲る必要はございません」


 ローデンの声は弱くなっていた。


 それでも、言葉ははっきりしている。


「《傲慢》だから正しかったわけではない。《傲慢》だから間違っていたわけでもない」


 血に濡れた左手が、リディアの腕へ触れた。


「これまでの道を選ばれたのは、お嬢様ご自身です。その結果も、責任も」


「ああ」


 リディアは頷いた。


「私が選んだ」


「それでよろしい」


 ローデンの左手から力が抜けた。


「もう、私から教えることはございません」


「ローデン」


「これからは、ご自身の意思で進まれませ」


 それきり、ローデンは動かなくなった。


 リディアは、その身体を抱えたまま目を閉じた。


 悲しくないわけではない。


 それでも、紋章の力を使ったことも、最後の一撃を逸らさなかったことも、後悔してはいなかった。


 ローデンは主命に従う道を選んだ。


 リディアは、自らの正義を続ける道を選んだ。


 互いに選んだものを曲げなかった結果が、ここにある。


「承知した、ローデン」


 返事はなかった。

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