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第3話 静養という名の監禁

 成人の儀を終えた翌朝。


 リディアは、いつもと同じ時間に目を覚ました。


 窓の外はよく晴れている。庭の向こうにある訓練場では、すでに何人かの騎士たちが身体を動かしていた。


 昨日、ローデンには今日も稽古を頼んである。


 成人の儀で現れた紋章は、結局何のものなのか分からなかった。スキルも発現していない。


 ならば剣を握れば、何か変化があるかもしれない。


 そんな期待も少しあった。


 衣装棚から訓練着を取り出したところで、扉が叩かれる。


「お嬢様、お目覚めでしょうか」


「起きている。入ってくれ」


「失礼いたします」


 幼い頃からリディアに仕えている侍女が、朝食を載せた盆を持って入ってきた。


「ちょうどよかった。食事を済ませたら稽古へ行く。あとで髪をまとめてくれ」


「……本日の稽古はございません」


 リディアは訓練着を抱えたまま振り返った。


「ローデンに何か仕事でも入ったか?」


「いいえ。旦那様から、お嬢様にはしばらく静養していただくようにと」


「静養?」


 自分の身体を見下ろす。


 熱もなければ、痛むところもない。


「体調に問題はないが」


「紋章について詳しいことが分かるまで、念のためとのことでございます」


「……そうか」


 胸元へ手を当てる。


 服の下には、昨日現れた見知らぬ紋章がある。


 神官にも判別できなかったものだ。父が慎重になる理由は理解できる。


「神官殿は?」


「今朝もいらしております」


「ならば、結果が分かるまでは仕方ないな」


 リディアは訓練着を衣装棚へ戻した。


「今日は書庫で過ごそう」


「お嬢様」


「何だ?」


「お部屋でお過ごしくださいませ」


 リディアの手が止まった。


「書庫にも行くなと?」


「はい。旦那様から、そのように」


「……分かった」


 少し妙だとは思った。


 だが、この時点ではまだ、父が随分慎重になっているだけだと考えていた。


          ◇


 昼前。


 リディアが自室の扉を開くと、廊下に立っていた騎士がすぐにこちらを向いた。


「お嬢様」


「少し庭を歩いてくる」


「申し訳ございません。お部屋へお戻りください」


「屋敷の外へ出るつもりはない」


「それでも、外出はお控えいただくよう命じられております」


 騎士は道を空けない。


 反対側を見ると、そこにも一人立っている。


 昨日まではいなかった者たちだ。


 リディアは二人を見比べた。


「護衛ではないな」


 騎士は答えなかった。


「承知した。命令に背かせるつもりはない」


 それだけ言って、扉を閉める。


 室内では、侍女が衣類を畳んでいた。


「静養という話だったが、どうやら違うらしい」


「お嬢様……」


「部屋から出ることすら許されない。これでは静養ではなく監視だ」


 リディアは窓際へ歩く。


 外では使用人たちがいつも通り働いている。騎士が訓練し、荷馬車が門を通っていく。


 昨日までと同じ屋敷だ。


 変わったのは、自分の扱いだけだった。


「叔母上へ書いた手紙は、もう出したか?」


 侍女の手が止まった。


「……まだでございます」


「止められたのか」


「はい。しばらく屋敷の外へ手紙を出さぬよう、旦那様から」


「私のものも?」


「屋敷から出るものは、すべて確認するようにと伺っております」


「そうか」


 これで十分だった。


 稽古は禁止。


 書庫にも行けない。


 庭にも出られない。


 手紙も送れない。


 神官とも会わせてもらえない。


「紋章について、父上は何か知ったらしいな」


「……私には何も」


「分かっている。そなたを問い詰めるつもりはない」


 リディアは机の上の本を手に取った。


「父上が話さない以上、今考えても答えは出ない。説明を待とう」


 椅子へ腰を下ろし、本を開く。


 だが、同じ頁をしばらく眺めても、内容はほとんど頭に入らなかった。


          ◇


 午後。


 侍女は昼食の食器を厨房へ返し、洗濯された衣類を受け取っていた。


 籠を抱えて主人の部屋へ戻る途中、執務室の前を通りかかる。


「――大罪の可能性が高いと?」


 足が止まった。


 旦那様の声だった。


 執務室の扉が、わずかに開いている。


「はい」


 昨日の神官の声が続く。


「複数の古い記録と照合いたしました。細部に違いはございますが、大罪に属する紋章である可能性は高いと考えております」


 侍女は息を潜めた。


 大罪の紋章。


 その言葉自体、彼女には馴染みがない。


 だが、部屋の中にいる者たちにとっては違うらしい。


「確定すれば、王家への報告が必要になる」


 父が言った。


「はい」


「そうなれば、この家も無関係ではいられん」


「当然でしょうな」


 今度は家令の声だった。


「過去の例を考えれば、王家も何らかの判断を下すでしょう」


「分かっている」


 父の声が低くなる。


「だが、リディアはまだ何もしていない。昨日、成人したばかりだ」


「承知しております」


「ならば、今は調査を続ける。それ以外にあるまい」


「旦那様」


 家令が続ける。


「調査は当然必要です。しかし、大罪であると確定した場合についても、考えておくべきかと」


 短い沈黙が落ちた。


「何が言いたい」


「お嬢様は、まだ社交界へ出ておられません。外部で顔を知る者も限られております」


 侍女の指に力が入る。


「もし王家へ報告する前に処置を行うのであれば、今が最後の機会になる可能性がございます」


「処置だと?」


 父の声がさらに低くなる。


 家令は答えなかった。


 答える必要もなかった。


「娘を殺せと言っているのか」


「今すぐとは申し上げておりません。大罪だと確定した場合の話でございます」


「まだ何もしていない娘を、紋章だけで?」


「過去の大罪持ちが何をしてきたかは、旦那様もご存じでしょう」


「……分かっている」


「であれば、可能性そのものを無視することもできません」


 侍女は動けなかった。


 父は娘を殺したがっているわけではない。


 むしろ拒んでいる。


 それでも、はっきり否定することもできずにいる。


 その事実が何より恐ろしかった。


「神官」


「はい」


「調査を続けろ。中央にはまだ問い合わせるな」


「承知いたしました」


「確定するまでは、リディアを部屋から出すな」


「はい」


 しばらく沈黙が続く。


 やがて、父が低く言った。


「……大罪だと確定したなら、その時に判断する」


 侍女は静かに一歩下がった。


 それ以上聞く必要はなかった。


 音を立てないよう、その場を離れる。


 廊下の角を曲がったところで、ようやく息を吐いた。


 腕の中の籠が、わずかに震えている。


 大罪の紋章が何なのか。


 彼女には分からない。


 過去に何があったのかも知らない。


 だが、リディアのことなら知っている。


 幼い頃から、曲がったことを嫌った。


 使用人が理不尽に責められれば、相手が誰であろうと口を挟んだ。


 自分が失敗した時は、言い訳をするより先に認めた。


 剣の稽古で何度転ばされても、翌朝にはまた庭へ出ていた。


 頑固で、負けず嫌いで、真っ直ぐな少女。


 昨日、その身体に知らない紋章が現れた。


 それだけだ。


 まだ何もしていない。


 それなのに、大罪ならば殺されるかもしれない。


「……それは違うでしょう」


 未来のことなど分からない。


 けれど、何かをするかもしれないという理由だけで、今のリディアを見捨てることはできなかった。


 侍女は籠を持ち直し、主人の部屋へ向かった。


          ◇


「お嬢様のお召し物をお持ちしました」


 扉の前の騎士が籠を確認する。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


 部屋へ入り、扉を閉じる。


「戻ったか」


 本を読んでいたリディアが顔を上げた。


 その視線が、すぐに侍女の顔で止まる。


「どうした。顔色が悪い」


「……」


 侍女は扉を振り返った。


 外には騎士がいる。


 ここで大きな声は出せない。


 リディアが本を閉じた。


「何かあったな」


 問いかけというより、確認だった。


 侍女は一度息を整え、それから静かに口を開く。


「お嬢様」


「聞こう」


「先ほど、旦那様と神官様、それに家令のお話を耳にいたしました」


 リディアの表情が引き締まる。


「私の紋章についてか」


「はい」


 侍女は頷いた。


「お話ししなければならないことがございます」


 部屋の外では、何も知らない騎士が変わらず扉の前に立っていた。

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