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第26話 銀狼騎士

 奴隷都市を出てから、半日ほどが過ぎていた。


 石壁はもう見えない。


 それでも振り返れば、都市のある方角の空へ細い煙が上がっていた。


 総督も兵士長もいなくなり、奴隷商人たちは逃げた。鎖は外れたが、物資を分け、争いを止める者もいない。


 ミアが門を出る直前まで、食料をめぐって傷ついた者が治療を求めて運ばれていた。


 ミアは治療道具の入った鞄を肩に掛け、一人で街道を歩いていた。


 リディアと別れたことが正しかったのかは、まだ分からない。


 一緒に助けた者たちがいる。


 あの都市から奴隷を解放したことも、間違いだったとは思っていない。


 それでも、これ以上は同じ道を歩けなかった。


「……次の町で考えればいいわね」


 まずは泊まる場所を探す。


 使い切った薬と布も補充しなければならない。


 そう考えながら歩いていると、背後から土を踏む音が聞こえた。


 一人ではない。


 ミアが振り返ると、武器を持った男たちが街道を歩いてきていた。


 見覚えがある。


 奴隷都市で解放され、蜂起の中で武器を取った者たちだ。


 その後、リディアについていくことを選んだ者のうち、数人だった。


「どうしたの?」


 ミアが足を止める。


 男たちは答えず、左右へ広がった。


 街道の両脇は林になっている。逃げ道を塞ぐための動きだと分かった。


「話があるだけなら、剣は要らないでしょ」


「あんたはリディア様を裏切った」


 先頭の男が言った。


「離れただけよ。裏切ったつもりはないわ」


「あの方の正義を疑った」


「だから殺しに来たの?」


 男は剣を抜いた。


 ほかの者たちも、それに続く。


「リディアが、こんなことを望むと思ってるの?」


「あの方に知らせる必要はない」


 男たちが距離を詰める。


 ミアは後ろへ下がった。


 傷を塞ぐ力があっても、剣を受け止めることはできない。


 致命傷を受ければ、治療する間もなく死ぬ。


「待ちなさい。私を殺せば、リディアが正しかったことになるとでも――」


「黙れ!」


 男が剣を振り上げた。


「そこまでですな」


 低い声が街道へ響いた。


 男の動きが止まる。


 街道の先から、三頭の馬が近づいてきていた。


 一頭には白い祭服をまとった神官。


 もう一頭には、鎧を着た老騎士が乗っている。


 白髪交じりの短い髪。左頬には、長い古傷があった。


 老騎士は馬を降り、ミアと男たちの間へ進み出る。


「多勢で一人を囲むとは、感心しませんな。剣を収めなされ」


「余計な口を挟むな!」


 男の一人が怒鳴った。


 別の男が、老騎士の左肩を見て息を呑む。


 そこには、剣へ絡みつく銀狼の鎧章が刻まれていた。


「銀狼の鎧章……」


 男の顔から血の気が引いた。


「銀狼騎士!?」


 ミアは、その名を知らなかった。


 だが、男たちが怯える理由はすぐに分かった。


「何を怯えている! 銀狼騎士なんて昔の名だ。今はただの老いぼれだ!」


 男たちが一斉に踏み込む。


 老騎士の剣が抜かれた。


 銀色の軌跡が、街道を走る。


 何度振るわれたのか、ミアには見えなかった。


 剣を構えた男たちの身体から、ほとんど同時に血が噴き出した。


 誰一人として老騎士へ刃を届かせることなく、その場へ崩れ落ちる。


 街道が静まり返った。


 老騎士は剣についた血を払い、鞘へ収めた。


「怪我はございませんかな」


 穏やかな声だった。


 今しがた人を斬った者と同じとは思えない。


「……ないわ」


 ミアは男たちを見る。


 動いている者はいなかった。


「助けてもらったことには礼を言う。でも、あなたは何者なの?」


「ローデンと申します」


 老騎士は短く名乗った。


 後ろにいた神官も馬を降りる。


 ローデンはミアの鞄へ目を向けた。


「治療師でいらっしゃいますな」


「そうよ」


「そして、リディアお嬢様と旅をされていた」


 ミアの表情が強張る。


 手が鞄の肩紐を強く掴んだ。


「どうして、それを知ってるの?」


「あの方を捜す中で、若い治療師と行動をともにしていたと聞いております」


「リディアを捜しているの?」


「ええ」


 ローデンは隠そうとしなかった。


「あなたは、リディアの何なの?」


「幼い頃より、剣をお教えしておりました」


 リディアが何度も口にしていた、剣の先生。


 ミアは目の前の老騎士を見つめた。


 味方なら、これほど心強い者はいないだろう。


 だが、リディアは家から命を狙われている。


 その家の騎士ならば、敵である可能性もある。


「リディアに、何をするつもり?」


 ローデンはすぐには答えなかった。


「まずは、あの方が何をなされたのかを知りたいのです」


 その視線が、街道に倒れた元奴隷たちへ向く。


「ミア殿。リディアお嬢様について、お聞かせ願えますかな」


「その前に答えて」


 ミアは一歩も退かなかった。


「あなたは、リディアの味方なの?」


 ローデンは、静かにミアを見返した。


「私は、あの方を追う者です」

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