第21話 最初の解放
「何だ、お前は」
男は鞭を振り上げたまま、リディアを睨んだ。
「その子は立つこともできない。先に治療を受けさせろ」
「俺の商品をどう扱おうが、俺の勝手だ」
男が鎖を引いた。
子供の足についた鉄の輪が鳴り、細い身体が地面を引きずられる。
「やめろと言った」
「余所者が口を出すな!」
男が鞭を振るった。
リディアは剣を抜く。
一閃。
鞭の革紐が途中から切れ、地面へ落ちた。
「なっ――」
男が動きを止める。
「ミア」
「分かったわ」
ミアが子供へ駆け寄った。
男は再び鎖を引こうとしたが、その手へリディアの切っ先が向けられる。
「鎖を離せ」
「こいつがいくらすると思ってる!」
「人の値段など聞いていない」
「誰か来い! この女を捕まえろ!」
石造りの建物から、剣を持った三人の男が飛び出してきた。
服の下で、紋章が熱を持つ。
目の前の者たちは、立てない子供を鎖で引き、鞭で打とうとした。
止めるべき相手であることに迷いはない。
熱が胸から全身へ広がろうとする。
リディアは息を整えた。
今必要なのは、相手を殺す力ではない。
自分の剣だけで止める。
「ミアとその子へ近づくな」
「舐めやがって!」
一人目が正面から剣を振り下ろした。
リディアは肩の動きを見て、半歩横へずれる。
剣が空を切った。
すれ違いざまに手首を剣の腹で打つ。
「ぐっ!」
男の手から剣が落ちた。
二人目が横から斬りかかる。
刃を受け流し、崩れた身体へ柄を打ち込む。男は腹を押さえ、その場へ膝をついた。
三人目は足を止めた。
「どうした。来ないのか」
「こ、この……!」
男は叫びながら剣を突き出した。
切っ先だけを見ない。
肩。
腰。
足。
突き出される前から軌道は分かっていた。
リディアは身体をずらし、男の腕を剣で下から跳ね上げる。そのまま足を払い、背中から地面へ倒した。
紋章は熱を持ったままだった。
だが、その力には頼っていない。
三人を倒したのは、これまで自分が積み重ねてきた剣だった。
「できた……」
「何を一人で納得している!」
鞭を持っていた男が、建物の扉へ駆け込もうとする。
カイルが前へ回り込んだ。
「どけ!」
男がカイルを突き飛ばそうとする。
カイルは相手の手ではなく、肩を見ていた。
半歩下がって腕を避け、男の足を引っかける。
「うわっ!」
男が地面へ転がった。
カイル自身も体勢を崩したが、倒れずに踏みとどまる。
「今のは悪くない」
「褒めるのは後にしてくれ!」
「そうだな」
リディアは男の前へ立った。
「建物の鍵を渡せ」
「何のことだ」
建物の内側から、鎖の音が聞こえていた。
「もう一度だけ言う。鍵を渡せ」
「断る。ここにいる奴隷は全部、俺たちが金を払って仕入れたものだ」
「ならば、力ずくで受け取る」
リディアが剣を向けると、男は腰に下げた鍵束を押さえた。
その時、通りの向こうから笛の音が響いた。
「そこまでだ!」
槍を持った都市の兵士たちが走ってくる。
先頭の兵士は倒れた男たちを見て、すぐに槍を構えた。
「武器を捨てろ。奴隷商への襲撃は重罪だ」
「そなたたちは、この中にいる者を守らないのか?」
「奴隷は商人の所有物だ。守るべきは正当な取引を行う市民だ」
「子供を鞭で打つ者もか」
「所有者が奴隷をどう扱おうと、罪にはならん」
兵士の返事に迷いはなかった。
リディアは剣を構え直す。
「ならば、そなたたちも止める」
「捕らえろ!」
四人の兵士が同時に踏み込んだ。
先ほどの男たちとは違い、動きが揃っている。
二本の槍が左右から迫る。
リディアは後ろへ下がらず、間へ踏み込んだ。
一方の柄を剣で押し、もう一方へぶつける。
槍先が絡み、二人の動きが止まった。
片方の顎へ柄を打ち込む。
もう一人の手首を剣の腹で打つ。
背後から剣が迫った。
リディアは腰の動きを見て振り返り、刃を受け流す。体勢を崩した兵士の肩を剣の腹で打ち、地面へ倒した。
最後の一人が笛を口へ運ぶ。
止めるより早く、高い音が通りへ響いた。
リディアは笛を持つ手を打ち、続けて腹へ柄を叩き込む。
兵士が崩れ落ちた。
遠くから、別の笛が応える。
こちらの騒ぎは、すでに伝わっていた。
「鍵だ」
カイルが地面に倒れた男から鍵束を取り上げる。
「開けよう」
◇
石造りの建物の中には、鉄格子で区切られた部屋が並んでいた。
男も女も、子供もいる。
狭い部屋へ押し込まれ、座る場所すら足りていなかった。
カイルが鍵を試し、一つずつ鉄格子を開けていく。
扉が開いても、すぐに出ようとする者はいなかった。
外で何が起きたのか分からず、怯えた目で三人を見ている。
「もう、ここにいる必要はない」
リディアが告げた。
「そなたたちは自由だ。出たい者は出てくれ」
「自由……?」
一人の女が呟く。
「本当に、出てもいいのか」
「ああ。誰にも止めさせない」
最初に子供を抱えた女が立ち上がった。
その後に、ほかの者たちも少しずつ鉄格子の外へ出る。
ミアは入口近くへ布を広げ、負傷している者を座らせていた。
「歩けない人はこっちへ。傷がある人も見せて」
鞄から薬と布を取り出し、傷の深い者から診ていく。
先ほど鞭を打たれそうになっていた子供は、母親らしい女に抱かれていた。
「空腹と疲れがひどいわ。今は休ませて、少しずつ水を飲ませて」
「ありがとうございます……」
女が何度も頭を下げる。
カイルは最後の鉄格子を開け、鍵束を握ったまま立ち尽くしていた。
「これだけじゃない」
低い声が聞こえた。
壁際にいた老人だった。
「何がだ?」
「ここにいるのは、売られる前の者だけだ。中央の収容所には、この何倍もの奴隷がいる」
別の男も口を開く。
「市場の地下にもいる。逃げようとして捕まった者は、兵士の詰め所へ連れていかれる」
外から笛の音が重なって聞こえる。
都市の兵士が集まり始めている。
「リディア」
カイルが倒れた兵士の剣を拾った。
「アンナを捜さないといけない。でも、ここにいる人たちだけを置いていくこともできない」
「ああ」
リディアはカイルが持つ剣を見る。
「その剣は、そなたが持て」
「俺が?」
「使うかどうかは、自分で決めろ」
カイルは剣を見下ろし、やがて強く握り直した。
リディアは解放された者たちへ向き直る。
「中央の収容所まで案内できる者はいるか?」
老人がゆっくりと手を上げた。
「分かった。案内を頼む」
「行くのか?」
「ここだけで終わらせるつもりはない」
リディアは外へ向き直った。
「この都市にいる奴隷を、全員解放する」




