第19話 断罪なき剣
翌朝。
リディアは日の出とともに剣を抜いた。
林の中に立ち、ゆっくりと剣を振るう。
一度。
二度。
足の位置を確かめながら、同じ動きを繰り返す。
今動いている身体は、《断罪》に強められたものではなく、自分が鍛えてきたものだけだ。
「もっと速く動けたはずなのだが」
「朝から何を一人で悩んでるのよ」
振り返ると、ミアが水の入った桶を抱えていた。
「自分の動きを確かめている」
「昨日、休むように言ったわよね?」
「一晩休んだ」
「そういう意味じゃないんだけど」
ミアは呆れたように息を吐いた。
「傷はない。身体も重くない」
「分かったわ。無理に止めても続けるでしょうし」
「理解が早くて助かる」
「褒めてないから」
いつもの返事だった。
そのことに、リディアは少しだけ安堵した。
◇
カイルは、リディアが渡した木の棒を両手で握っていた。
長さは剣と同じ程度に揃えてある。
「足を開きすぎだ。もう少し狭くしろ」
「こうか?」
「違う。右足を半歩前へ」
カイルが足を動かす。
「腰を落とせ。肩には力を入れるな」
リディアも木の棒を構えた。
「打ち込んでこい」
「本気で?」
「今のそなたに当てられるとは思っていない」
「言ったな」
カイルが踏み込む。
棒を大きく振り上げ、そのまま力任せに振り下ろした。
リディアは半歩横へ動いて避ける。
勢いを止められなかったカイルが、前へつんのめった。
「もう一度だ」
「今ので分かった。次は当てる」
二度目も同じだった。
三度目は振り下ろす直前に向きを変えたが、リディアには届かない。
四度目。
カイルの目が、リディアではなく手元の棒だけを追っていた。
リディアは相手の棒を払い、胸元へ先端を突きつける。
「剣だけを見るな」
口にしてから、ローデンに何度も言われた言葉だと気づいた。
「なら、どこを見る?」
「肩と腰。それから足だ。剣が動く前に身体が動く」
「そんなに一度に見られるか」
「見られるようになるまで続けろ」
カイルは顔をしかめながらも、構え直した。
「アンナを助けるまでは倒れていられない。続けてくれ」
「分かった」
次の打ち込みは、先ほどまでより速かった。
だが、動きはさらに大きくなっている。
焦りと怒りが、そのまま棒へ表れていた。
リディアは受け止めずに避けた。
「力を抜け」
「これでも抜いてる!」
「アンナを連れ去った者ではなく、今いる私を見ろ」
カイルの動きが止まる。
「怒りだけで振るえば、目の前の相手が見えなくなる」
それは、自分にも向けた言葉だった。
ダリオを斬った時、相手が何を言おうとしていたのか聞こうともしなかった。
もう一度同じ状況になれば、ダリオを許すことはない。
それでも、怒りに任せて剣を抜いたことまで正しかったとは思えなかった。
「相手を見て、何をするつもりなのかを確かめろ。そのうえで、自分がどう剣を振るうか決める」
「分かった」
「では、もう一度だ」
カイルが構える。
今度はすぐに踏み込まず、リディアの肩と足へ目を向けた。
まだ動きはぎこちない。
それでも、先ほどまでとは違っていた。
◇
稽古を見ていた元奴隷たちの中から、二人の男と一人の女が、自分たちにも教えてほしいと申し出た。
リディアは全員へ木の棒を渡し、構え方と足の運びから教えた。
昼前には野営地を片づけ、北東へ向かう。
商隊の荷馬車には食料と水が残っていた。数日は補給せずに進めるだけの量がある。
リディアは、元奴隷たちへ行き先を強制しなかった。
「近くの村や町で別れたい者がいるなら、そこで降ろす」
そう告げ、最初に立ち寄った町で食料と水を分けた。
故郷へ戻る者。
同郷の者と連れ立って村へ戻る者。
別の町で仕事を探す者。
まだ行き先を決められず、同じ方角へ向かう者たちと行動する者。
それぞれが、自分で選んだ道へ進んでいった。
町を出た後も残ったのは、カイルと、稽古に加わった三人だった。
二人の男と一人の女も、奴隷都市へ連れていかれた家族や知人を捜そうとしている。
「あの都市には、どれほどの奴隷がいる?」
荷馬車を歩かせながら、リディアがカイルへ尋ねた。
「分からない。毎日のように商隊が入って、人が売られてると聞いた」
「領主や衛兵は止めないのか?」
「あそこでは、奴隷を売ること自体が商売なんだ。兵士は市場を守る側だ」
「つまり、都市全体が奴隷商人を守っているのだな」
「そうなる」
リディアは前方へ目を向けた。
奴隷を運んでいた商隊は、わずか十五人だった。
都市へ入れば、相手の数は比べものにならない。
《断罪》を使えば戦えるかもしれない。
だが、今のまま使えば、手加減できずに殺すことになる。
「まずは中へ入り、誰が奴隷を売り、誰が守っているのか確かめる」
「見つけたら?」
「奴隷を解放する」
答えに迷いはなかった。
「そのために、今は進みながら備える」
◇
それから二か月。
一行は日中に荷馬車を進め、立ち寄った町や村で食料と水を補いながら、北東を目指した。
アンナを捜す旅を遅らせないよう、稽古は出発前と野営後に限った。
カイルは何度転ばされても立ち上がった。
初めは力任せに剣を振るうだけだったが、次第に構えを崩さず、相手の動きを見て打ち込めるようになった。
ほかの三人も、剣の構えと足運びを身につけ、互いを相手に稽古を続けた。
まだ騎士と戦えるほどではない。
それでも、武器を持って前へ出るための基礎はでき始めていた。
リディア自身も、教えるたびに自分の動きを確かめた。
相手の肩を見る。
腰を見る。
足を見る。
怒りや敵意ではなく、目の前の動きだけを読む。
《断罪》がなくても、カイルたちの攻撃を受け流し、狙った場所を打って武器を落とさせることができた。
自分が積み重ねてきた剣は、紋章がなければ消えるものではない。
力に任せず、必要なところで剣を止める。
その感覚を、リディアは一振りごとに身体へ刻んでいった。
そして、二か月目の終わり。
丘を越えた先に、高い石壁が見えた。
大きな門へ続く街道には、何台もの荷馬車が列を作っている。
幌の隙間から、人の顔が見えた。
門の前で武装した兵士が荷を確認しているが、止める様子はない。
カイルが石壁の向こうを見つめる。
「あそこだ」
アンナが連れていかれた都市。
人を商品として集め、売り買いする場所。
リディアは門を見据えた。
「まずは中に入って確かめる」
一行は荷馬車を進め、奴隷都市へ続く列へ加わった。




