第15話 処理部隊
村を出てから、一か月が過ぎた。
領主館での戦いのあと、リディアとミアは数日間村へ残った。
ミアは負傷者の治療を続け、領主から届けられた薬と布の一部を旅のために補充してから、リディアとともに出発した。
それから二人は町から町へ移りながら、父の領地から離れるように旅を続けていた。
追手の姿はない。
それでも同じ宿へ長く留まらず、人の多い街道も必要な時にしか使わなかった。
その間、リディアが剣を抜いたのは一度や二度ではない。
旅人から荷を奪おうとする者。力で住民を従わせようとする者。止めるべき相手がいれば、リディアは見過ごさなかった。
実戦を重ねるたび、剣の動きは迷いを失っていった。
そして大罪の紋章も、少しずつ身体へ広がっていた。
◇
「そろそろ休まない?」
昼を過ぎた頃、隣を歩いていたミアが言った。
二人が進んでいるのは、林の中を通る細い街道だった。
「疲れたのか?」
「私はね。あなたと違って、歩き続けても平気な身体じゃないの」
「私も疲れないわけではない」
「そうは見えないけど」
「分かった。一度休もう」
二人は馬を街道から外し、木へ手綱を結んだ。
リディアは周囲を見回す。
背の低い草と、間隔を空けて並ぶ木々。人の姿はなく、鳥の声だけが聞こえている。
異変はない。
そう判断して、木の根元へ腰を下ろした。
ミアが鞄から水筒と固いパンを取り出す。
「次の町までは?」
「夕方には着けると思う。道を間違えていなければだけど」
「地図を見せてくれ」
「食べてからにしなさいよ」
「見ながらでも食べられる」
「行儀が悪いわね」
ミアが呆れながら地図へ手を伸ばした時だった。
鳥の声が止んだ。
リディアは立ち上がりながら剣を抜いた。
直後、木々の間から二人の男が飛び出してくる。
一人は正面。
もう一人は右側から。
二本の剣が、ほとんど同時にリディアへ迫った。
「っ!」
正面の剣を受け流し、その勢いのまま身体を回す。
右から来た刃を剣の腹で受けた。
重い衝撃が腕へ伝わる。
リディアは押し返し、二人から距離を取った。
「ミア、下がれ!」
ミアが鞄を抱え、馬の方へ走る。
男たちは追わなかった。
二人とも暗い色の軽鎧を身につけている。
胸元にも肩にも、所属を示す紋章はない。
だが、剣を構える姿には見覚えがあった。
ローデンから教わったものと同じ、家の騎士が使う基本の型だった。
「また父上の騎士か」
二人は答えない。
代わりに、林の奥から足音が聞こえた。
「初撃を防がれましたか」
落ち着いた男の声だった。
木々の間から、三人の男が姿を現す。
左右に二人。
その中央にいる男だけが、ほかの者より重い鎧を身につけていた。
年齢は四十を少し越えた頃だろう。短く切った灰色の髪に、感情の読めない目。腰には装飾のない長剣を差している。
リディアは五人を見渡した。
誰も騎士団の紋章を見せていない。
それでも、その装備について聞いたことがあった。
「その装備……父上直属の処理部隊か」
「ご存じでしたか」
「存在だけはな。そなたが隊長か?」
「はい。クラウス・ベルクと申します」
クラウスが名乗る間にも、最初に襲ってきた二人が左右へ分かれていく。
後から現れた二人も足を止めず、一人は街道側へ、もう一人はリディアの背後へ回った。
話をしている間に、包囲を完成させるつもりだ。
「狙いは私だけか?」
「はい。治療師殿は命令の対象ではございません」
ミアの進路を塞ぐ者はいない。
「ミア。馬を連れて離れていてくれ」
「でも、五人もいるのよ」
「だからだ。近くにいれば守り切れない」
ミアはリディアと男たちを見比べた。
「無茶はしないで」
ミアはそれ以上言わず、馬を連れて林の外へ下がっていった。
クラウスたちは、その間も攻撃しなかった。
リディアは四人の足運びを目で追う。
会話を利用しているのは、クラウスだけではなかった。
リディアにも、ミアを離れさせ、敵の配置を確かめる時間が必要だった。
「父上は、私をその対象にしたのだな」
「お嬢様を討てとの命を受けております」
「私は、そなたの目に悪人として映っているのか?」
「いいえ。悪人だとは思っておりません」
返答に迷いはなかった。
左右に分かれた隊員が剣を構える。
背後へ回った一人は、リディアが逃げた時だけ動ける位置に立っていた。
「それでも殺すのか」
「はい」
「命令だからか?」
「命を受け、従うと決めたのは私です」
最後の一人が足を止めた。
四方を囲む陣形が完成する。
クラウスは静かに剣を抜いた。
「私が悪人ではないと知りながら、それでも一族のために殺すと決めたのだな」
「はい」
その返答を聞いた瞬間、リディアの胸元が熱を持った。
熱が全身へ広がり、身体の奥から力が湧き上がる。
《断罪》
「そうか」
リディアは剣を構えた。
「ならば、私はそなたを止める」
同時に、クラウスの首元が淡く光った。
衣服の下から浮かび上がったのは、風に広がる軍旗をかたどった紋章だった。
四人の隊員が一斉に踏み込む。
速さは一人ずつなら対応できる程度だ。
だが、四本の剣は互いの邪魔をしなかった。
正面の剣を防げば、左右から刃が迫る。
後ろへ下がれば、背後の一人が進路を塞ぐ。
「くっ……!」
リディアは身体を沈め、頭上を二本の剣が通り過ぎるのを待った。
低い姿勢から一人の足を狙う。
男は受けようとせず、すぐに間合いの外へ下がった。
その動きに合わせ、隣の隊員が剣を差し込んでくる。
反撃を中断して受けた瞬間、二人の間からクラウスの切っ先が伸びた。
短く、鋭い突きだった。
リディアは首を狙った切っ先を、身体を捻ってかわす。
反撃しようとした時には、クラウスはすでに間合いの外へ戻り、その前へ別の隊員が入っていた。
声も出さず、手で合図を送ってもいない。
それでも隊員たちは、クラウスの考えが伝わっているかのように攻め方を変えていく。
軍旗の紋章が、部隊の動きを一つにまとめている。
リディアが隊員の一人へ剣を向ければ、その者は正面から受けずに退き、ほかの者が反撃を狙う。
《断罪》で強化された一撃を、誰もまともに受けようとはしない。
今度はクラウスが一歩深く踏み込み、胸元へ突きを放った。
リディアが剣を外へ弾く。
クラウスの胴が空いた。
逃さず踏み込んだ瞬間、クラウスが身を引き、左右から二人の剣が迫った。
わざと自分へ剣を向けさせたのだ。
リディアは攻撃を諦め、二本の刃を受け流した。
クラウスを狙えば、隊員がその隙を突く。
隊員を狙えば、クラウスの突きが届く。
誰か一人が危険に晒されても、残る者が仕留められる形へすぐに変わる。
リディアは剣を受け流しながら、一歩ずつ木々の間へ移動した。
広い場所で囲まれ続ければ不利だ。
背後の木を利用し、同時に近づける人数を減らす。
クラウスは何も命じていない。
それでも二人が左右へ分かれ、残る二人が正面からリディアを押し込んでくる。
クラウスも、その間から突きを繰り出していた。
逃げ道を塞ぎながら、また広い場所へ追い出すつもりだ。
リディアは正面の一人へ踏み込んだ。
相手が剣を合わせる。
その横から、別の刃が脇腹へ迫る。
避ければ、また囲まれる。
リディアは退かなかった。
身体を捻り、致命傷だけを避ける。
切っ先が外套を裂き、その下の肌を浅く斬った。
痛みに構わず剣を返す。
だが、狙われた男が退くと、すぐに別の隊員が前へ出た。
追えば左右から斬られる。
足を止めれば、四方から攻撃が続く。
何度踏み込んでも、誰か一人へ剣が届く前に、残る者たちがその隙を突いた。
リディアの腕と脇腹に、浅い傷が増えていく。
《断罪》で強化されていても、五人をまとめて倒すことはできない。
一人でいい。
まず一人を、この陣形から切り離さなければならない。
リディアはさらに林の奥へ下がった。
隊員たちが追ってくる。
木々の間に入っても、その連携は乱れない。
幹を挟んで互いの姿が見えなくなっても、残る者の位置を知っているかのように動いていた。
一人が木の陰から斬りかかる。
リディアが受けると、その男はすぐに身を引いた。
正面には、腕ほどの太さの若木がある。
男はその幹を盾にするように、向こう側へ回った。
普通に剣を振れば、刃は木に止められる。
男も、そう考えていた。
だから、次の隊員が攻めるまでのわずかな間、足を止めた。
リディアは剣を両手で握った。
男の顔から、わずかに警戒が薄れる。
リディアは、若木へ向かって剣を振り抜いた。
刃が幹へ食い込む。
硬い手応えが両腕へ返ってきた。
それでも止まらない。
《断罪》によって強化された腕が、幹を断ち切る。
その先にいた男の胴まで、刃が深く入った。
「なっ――」
男は自分を斬った刃を見下ろし、そのまま崩れ落ちた。
同時に、クラウスの突きがリディアへ迫る。
リディアは強引に身体を捻った。
切っ先が肩を裂く。
若木ごと隊員を斬るために、全力で剣を振り抜いた直後だった。完全には避けられない。
リディアが剣を戻すより早く、クラウスは間合いを切った。
切断された若木が、枝を鳴らしながら傾いていく。
初めて一人が倒れた。
残った者たちの動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
クラウスが前へ出て、失われた位置を自ら埋める。
残る三人もすぐに間を詰めた。
クラウスは何も命じていない。
軍旗の紋章が光を保っている限り、陣形は崩れない。
だが、リディアはもう一つ理解していた。
木があっても、彼らは互いの位置を見失わない。
ならば、位置を分かっていても近づけないようにすればいい。
リディアはクラウスの突きと三人の剣を受け流しながら、隣に立つ木のそばまで移動した。
先ほどの若木より太い。
それでも、今の力なら倒せる。
隊員の一人が踏み込んでくる。
リディアはその剣を大きく弾いた。
空いた場所へ斬り込まず、木の根元へ刃を叩き込む。
幹が大きく裂けた。
リディアは木の幹へ足を叩き込む。
木が軋み、残る三人の隊員の間へ倒れ始めた。
枝が視界を塞ぎ、二人が後ろへ跳んだ。
一人だけが、倒れる木のこちら側へ残された。
軍旗の力が動きを伝えても、倒木までは越えられない。
孤立した男へ、リディアが踏み込む。
男も剣を構えた。
だが、今度は助けに入る者がいない。
最初の一撃で剣を弾く。
返す刃で胸を斬った。
二人目が倒れる。
倒木の向こうでは、クラウスと残る二人がこちらへ回り込もうとしていた。
リディアは二人の隊員へ向き直る。
枝を乗り越えてきた一人が剣を振り上げる。
足場は乱れ、先ほどまでの正確な間合いも失われている。
リディアは半歩前へ出た。
剣が勢いを得る前に懐へ入り、その胸を貫いた。
三人目が倒れた。
「隊長……」
残った一人がクラウスを見る。
クラウスは倒れた部下たちを一度だけ見た。
「戻れ」
隊員は動かなかった。
「旦那様へ報告しろ。我ら五人でも、お嬢様を討てなかったとな」
隊員が奥歯を噛みしめる。
剣を握る手に力を込めたまま、それでもその場を離れようとしない。
「行け。これは命令だ」
隊員はクラウスへ一度だけ深く頭を下げた。
剣を収め、林の中へ走り出す。
リディアが追おうとした瞬間、クラウスがその前へ立った。
剣先が行く手を塞ぐ。
「ここからは、私がお相手いたします」
クラウスの首元に浮かんでいた軍旗の紋章から、光が消えた。
ともに戦う部下は、もういない。
それでも、その構えには隙がなかった。
リディアも黙って剣を構える。
先に動いたのはクラウスだった。
鋭い踏み込みから、切っ先がリディアの喉へ伸びた。
剣で外へ流す。
クラウスはすぐに剣を引き、今度は胸元へ突きを放った。
避けた先へ、三度目の切っ先が迫る。
リディアの肩が浅く裂けた。
「っ!」
反撃へ転じようとしても、クラウスはすでに剣を引いている。
踏み込めば突きで止められ、下がれば長い間合いのまま追われる。
剣速だけなら、《迅剣》を発動したエドガーの方が上だった。
だが、剣士としてはクラウスの方が強い。
一度突きを外しても体勢を崩さず、最短の動きで剣を引く。次の切っ先は、リディアが避けようとした先へ伸びてきた。
紋章の力ではない。
長い実戦の中で磨き上げた、クラウス自身の技量だった。
リディアは突きを受け流し、強く踏み込んだ。
クラウスが退く。
間合いを切らせず、剣を打ち込む。
鎧を狙うのではなく、クラウスの剣へ重い一撃を重ねた。
一撃を受ければ致命傷になりかねないことを、クラウスも理解している。正面から打ち合わず、刃を逸らして距離を取った。
リディアは追う。
クラウスの突きが腕を裂く。
それでも足を止めず、もう一度剣を振るう。
クラウスは受け流し、突き返す。
リディアはそれを払い、再び間合いを詰める。
攻防が続いた。
リディアの腕には傷が増え、クラウスの鎧と剣にも少しずつ傷が刻まれていく。
やがて、クラウスの呼吸が乱れ始めた。
部隊で囲んでいた時から剣を振るい続け、今は一人で《断罪》を発動したリディアの攻撃を受け流している。
クラウスの踏み込みが、わずかに浅くなった。
リディアはそれを見逃さない。
突き出された剣を外へ流し、空いた胴へ斬り込む。
クラウスは身を引いたが、避け切れなかった。
刃が鎧の隙間へ入り、脇腹を深く裂く。
「ぐっ……!」
クラウスが片膝をつく。
それでも剣を手放さない。
立ち上がろうとしたクラウスの首へ、リディアは切っ先を向けた。
「もう戦えない」
「まだ、剣を握っております」
「降伏するつもりはないのだな」
「ございません」
クラウスが最後の力で踏み込んだ。
剣が振り上げられる。
リディアはその内側へ入り、クラウスの胸を貫いた。
クラウスの動きが止まる。
口元から血が流れた。
「お見事です……お嬢様」
リディアが剣を抜く。
クラウスは仰向けに倒れ、それきり動かなかった。
◇
ミアが戻ってきた時、林の中に立っているのはリディアだけだった。
三人の隊員とクラウスが倒れている。
リディアの服にも、いくつもの血が滲んでいた。
「座って」
「追手が一人逃げた。ここを離れた方がいい」
「手当てをしない方が先に倒れるわ。追手が戻ってくる前に済ませるから」
ミアは有無を言わせず、リディアを木の根元へ座らせた。
傷を洗い、薬を塗り、布を巻いていく。
「倒れている人たちは、全員死んでいるの?」
「ああ」
ミアはそれ以上尋ねず、治療を続けた。
リディアは横たわるクラウスを見る。
卑劣な男ではなかった。
ミアへ手を出さず、部下を逃がすために一人で残り、自分が選んだことの責任から最後まで逃げなかった。
あの男は、本当に悪人だったのだろうか。
そんな疑問が、一瞬だけ浮かぶ。
だが、《断罪》は発動した。
裁くべき悪でなければ、この力は現れない。
「……考える必要はない」
「何か言った?」
「いや。何でもない」
リディアはクラウスから目を逸らした。
紋章が答えを示したのだ。
そう考え、それ以上の疑問を押し込めた。
ミアが最後の布を結ぶ。
「これで動ける。でも、今日はもう戦わないで」
「善処しよう」
リディアは立ち上がり、剣についた血を拭った。
逃げた隊員が戻れば、父はクラウスたちの敗北を知る。
次に何を差し向けてくるのかは分からない。
それでも、ここで立ち止まるつもりはなかった。
二人は馬を連れ、追手が去った方角とは反対へ歩き始めた。




