7-2 神話、リリアさんを忘れない
その日は珍しくリリアさんが中庭に面するテラスで読書をしていた。僕が遠目に眺めていると、リリアさんが声をかけてくれた。
「ごきげんよう」
「こ、こんにちは。何を読んでいるのですか?」
「北部の神話の本よ。私は北部出身なのだけどあまり知らなくてね。読みやすそうだったからレティシアさんにお借りしたの。」
「神話?僕も知らないです。あ、あの、もしよかったらですけど、少し読んでもらえませんか?」
僕は、リリアさんの温かい声をずっと聞いていたくて、図々しくお願いしたんだ。
「え?ええ、いいわ」
――――むかしむかし、そのまた遠―いむかし、空の神と、海の神と、陸の神が、自分が一番偉いのだと譲らず長い間争いを続けていた。みんな疲れ果て、これ以上不毛な争いをしても仕方がないと神たちは和睦をすることにした。そして、お互いに和睦の印を献上することとなった。
空の神から陸の神へは、一の姫が輿入れすることとなった。一の姫は美しく気立てもよかったので、陸の神はたいそう気に入り寵愛した。一の姫も陸の神を敬愛し真心をつくした。
陸の国は、いつも薄紫色の小さな花が咲き乱れそれはそれは美しい国だった。一の姫はその花を気に入り、姫の庭はその花でいっぱいになった。
陸の神を亡き者とし次の座を狙う臣下は「一の姫は従順な振りをして神の命を狙い、やがては空の国に帰るのだ」と吹聴したが、陸の神は信じなかった。
ある酒宴でのこと、その臣下は一の姫の侍女を唆し、陸の神を殺害しようとしたのだが、それに気がついた一の姫は陸の神をかばって刃に倒れてしまった。
一の姫の死を嘆き悲しんだ陸の神は、一の姫の棺を薄紫色の花で満たし、陸の神の愛を永遠に封印して空の国へと返したのだった。
陸の神はその花に「姫の花、エルフラウ」と名をつけた。その後、常春であった陸の国は、暑い夏と寒い冬が巡るようになり、姫の亡くなった頃にだけエルフラウが咲くようになった。エルフラウは春の終わり、夏の始まりを告げる花となったのだ。
やがて神の国が人の世となって、エルフラウは王を守る忠誠の証であり、永遠の愛を誓う花となった。――――
◇
レティ姉の2年生の終業式の日は、僕にとってリリアさんとのお別れの日だった。リリアさんは学園を中退して養父であるコックス男爵とともに故郷に帰るらしい。
その朝、リリアさんはウォルター邸のみんなに丁寧に挨拶をした。
「ルバート様、色々お話をしてくださって楽しかったです。ありがとうございました。」
リリアさんは、僕にそう言って小さなサシェをくれた。僕にだけじゃなく皆にだけど。
それは僕がお見舞いにあげたエルフラウを乾燥させて詰めたものだった。実をいうと2度目にリリアさんの部屋に行ったとき、僕のあげたエルフラウは花瓶に入れられず、窓辺にさかさに吊されていたのだ。不思議に思っていたけど、こういうことだったのか。
サシェは、薄紫色の小さな袋に入れられて、侍女がぐるぐる巻きにしてくれたあの赤いリボンで可愛くまとめられていた。ひとつひとつリリアさんが手作りしてくれたそうだ。
エルフラウはあまり匂いが強くないのだけれど、鼻を近づけると確かにエルフラウの匂いだった。僕はリリアさんが読んでくれた神話を思い出して切なくなった。
そうこうしているうちに、コックス男爵がリリアさんを迎えにきた。
僕は、リリアさんがコックス男爵を見たときの弾けるような嬉しそうな笑顔を一生忘れない。そしてコックス男爵が、元気そうなリリアさんを見て優しく微笑む姿も。
コックス男爵は、黒目黒髪のとっても格好いい人だった。大人だった。僕は敵わないって思った。最初から比較する対象じゃないのはわかっているけど、何だろう、直感でわかったんだ、リリアさんはコックス男爵が好きなんだって。
レティ姉は「じゃあ後でね」なんてリリアさんに言っていたけど、僕はほんとにここでお別れだ。
「リリア嬢、どうかお元気で」
なんて、僕は、精一杯大人ぶって言ったんだ。
みんなが出かけた後、僕は自分の部屋に駆け込んだ。そしてちょっぴり泣いたんだ、サシェを握りしめて。
(リリアさん、僕、リリアさんを忘れないよ。だから、ちょっとでも覚えていて…僕のこと)
◇
僕の父、ウォルター公爵には、ロバート・バーナム伯爵という実弟がいる。僕の叔父さんだ。僕たちは叔父さんのことをバーナム叔父さんと呼んでいた。ロバートとルバート、名前が似ていてややこしいからね。
バーナム叔父さんは公爵家からバーナム伯爵家に養子にはいったのだけど、僕が10歳の時、僕も、父とバーナム叔父さんからバーナム家に養子に入る話を聞かされた。
ウォルター公爵家はレイ兄が継ぐし、僕はバーナム叔父さんもバーナム領も大好きだったから何も考えずに、あ、ちょっと考えた、名前が似ているから運命か?なんて思った。それで「いいよ」って軽く返事をした。
でもバーナム叔父さんにはメリンダという娘がいるから「僕はメリンダと結婚するの?」って聞いたんだ。するとおじさんが「メリンダとは結婚しない。ルバートが直接私の息子になるんだよ。」と言ってくれた。
僕はほっとした。だってメリンダはレティ姉に意地悪なんだ。大人に気づかれないように嫌みを言ったりするんだよ。レティ姉は鈍感なのか、そんなメリンダにも親切で、僕はメリンダを好きになれなかった。
リリアさんがウォルター邸で療養していた頃、バーナム叔父さんは、メリンダとその母親と離縁した。同じ時期に僕の養子の話も正式に公表されたから、僕も大げさに言えば人生の転換期だった。
僕は、ルバート・バーナムになったけど、相変わらずウォルター邸で暮らし、時々バーナム叔父さんがやってくる生活だった。ちゃんとバーナム叔父さんのことは義父上って呼んでいるよ。でも紛らわしいから、ここではバーナム叔父さんで通すことにするね。
リリアさんと別れてから僕はちょっと大人になった。以前はバーナムで楽しく遊ぶことしか考えていなかったけど、バーナム領のことも真剣に考えるようになった。学校が休みのたびにバーナム領に行き、子供が行っても差し支えない範囲でバーナム叔父さんの視察について回った。




