6-4 ジョンの恋
いつからだろう、子供だと思っていたリリアが、ふと見せる表情に心が高鳴るようになったのは。リリアを抱きしめてその美しい髪を乱したくなる自分が、ジョンはおぞましかった。
自分の身勝手でリリアの意志に関係なくここに連れてきた。サロン・ルージュにいたところで、やがては店に出され男に売られるのだろう。ならばリリアのためにも良かったと思うのだが、罪悪感は拭えなかった。
リリアと離れた方がよい。せめて未来が明るいよう可能性を広げてやりたい。ジョンはまたしてもリリアの意志とは関係なく王立学園の入学を決めたのだった。
王立学園には高位貴族も多い。勉学はともかくマナーの方が心配だった。リリアはマナーの家庭教師をつけられ、半年遅れで王立学園へと旅だった。
リリアからは時折手紙が届いた。サラという友人ができ、勉強も何とかやっている。手紙にはいつも、学園や寮の出来事とともにジョンへの感謝が綴られていた。
リリアは夏休みも帰らず2年生になった。驚くことに生徒会役員になったという。6月には学園祭で合唱をすると知らせてきた。
ジョンは、リリアがどんどん遠くなっていくようで一抹の寂しさを覚えた。
◇
ジョンはコックス家の次男だった。ジョンが王立学園に入学する頃には、年の離れた兄には既に妻と跡取りの男子がいたので、ジョンはコックス領に戻ってくるつもりはなかった。
ジョンは学園卒業後、当時人気の新聞社に就職した。しかし現実は厳しく、他の新聞社との特ダネ競争で駆けずり回る日々。
下っ端のジョンは先輩と取材に行っても記事は書かせてもらえず、編集長の承認が下りた先輩の記事を印刷会社に持ちこむばかりだ。取材内容が変わると記事の書き直しと承認が繰り返され、印刷会社に頭をさげて印刷原稿の変更をお願いしなければならない。職人には毎回のように怒鳴られた。
明朝には間に合わさなければならない。ジョンも、職人達を手伝って徹夜をすることも度々で、心身ともに疲弊していった。
その印刷会社は家族経営で、経理を母親と娘ミリアが担っていた。聞けばミリアは一人娘で、ジョンの1歳下だが15歳から家業を手伝っているという。
いつも流行の洋服を着ていて華やかな赤毛によく似合っていた。その風貌から遊び暮らしている印象を受けるのだが、実際は家業をよく手伝い、深夜の作業に従事することさえあった。
「コックスさん、お疲れ様です。今日も何とか間に合ったわね。」
ミリアは、ジョンが徹夜して新聞の出荷を終えると、高価な珈琲にたっぷりのミルクと砂糖を添えて出してくれた。
「ミリアさん、いつもありがとう。もし良かったら食事でもいかがですか?珈琲のお礼をしたくて…」
やがてジョンとミリアは惹かれあうようになる。休みといっても、ジョンは、いつ新聞社に呼び出されるかわからない。遠出ができないため、デートはいつもジョンのアパートのそばのカフェで食事をするか、公園を散歩するしかなかった。
その日は、カフェを出ると雨だった。
「ミリア、もうびしょびしょだね。」
「はははっ、ほんとね、きゃぁ~ジョン、くすぐったいわ…」
二人は走ってジョンのアパートに戻り、濡れた髪をお互いに拭き合って騒いでいたのだが、ミリアが急に黙ったかと思うと、いきなりジョンにキスをした。
「ミリア…、このぉ~お返しだぞ!」
ジョンも、じゃれながらキスを返したのだが、その後はお互いの唇をむさぼり合った。
ジョンは熱くなっていく自分をかろうじて押しとどめミリアの肩を離した。
「ミ、ミリア、だめだよ、こんなの」
「いいの、私、ジョンが好きよ。あなたのミリアでいたいの。私のジョンでいて。」
ミリアの瞳には、ミリアのあふれる想いとジョンの気持ちをうかがう不安が揺れていた。ジョンはミリアがたまらなく愛しくて強く抱きしめ、二人はただただ情熱のままにお互いを求め合った。
ジョンは、ミリアとの恋に舞い上がった。世の中の全てが上手くいくように思えて、仕事にも前向きになった。
初めて書かせてもらった記事はたった3行だったが、ミリアが印刷前の初稿を記念に取り置いてくれて、それを見ながら二人でワインを傾けた。
「ようやく少し書かせてもらえるようになったよ。」
「これからね、頑張って。私も応援する。」
「ミリア、俺、いつか自分の出版社を持ちたいんだ。一緒にやってくれないか?」
「もちろんよ。楽しみ~」
二人は、狭いベッドでお互いのぬくもりを感じながら将来を語り合った。
ジョンは婿養子にはいることができる。ミリアの両親もジョンを歓迎し、たびたび食事に招待され家族ぐるみの交際となった。すべてが順調だった。
終戦の翌年、ジョンは22歳になっていた。コックス領のある盆地で流行病が拡がり、母と兄家族が亡くなったとの知らせを受けた。
(まさか、あんなに丈夫な兄が…?)
父からも、トーマスからも、コックス領に帰ってくるようにとの手紙が届く。
(新聞は?出版社は?…ミリア…)
父や領地が心配ではあったが、ジョンは目の前が崩れていくようだった。
その日も、途中から雨が降り出した。
何日も連絡を寄こさないジョンを心配して、尋ねてきたミリアの赤毛に雨のしずくが光っていた。ジョンはミリアを座らせ優しくミリアの髪を拭いた。憔悴したジョンを見て、ミリアはただならぬ気配を感じていた。
ジョンが、郷里の状況を語ると長い沈黙が訪れた。
「ジョン、帰った方がいいわ。帰らないといけない…。」
「ミリア、一緒に来て、僕はミリアといたいんだ。」
「そんなこと無理ってわかっているでしょ。ありがとう、ジョン。私、ジョンのこと忘れない。」
ミリアは背をむけると肩をふるわせた。足早に去ろうとするミリアをジョンは抱きしめようとしたが、ミリアはその手を振り払った。
雨が酷くなってきた。ジョンは、断るミリアに無理矢理自分の傘を持たせた。
翌日、新聞社に退職届を出し、その足で印刷会社に寄ると、ミリアと両親が待っていた。形式的な別れの挨拶をして去るつもりだったが、ミリアを目の前にすると、どうしても別れたくないと思った。
ジョンは意を決して、膝を折り頭を垂れた。
「勝手なことはわかっています。でも、ミリアさんを僕にくださいませんか?」
ミリアの母が泣いている。ミリアはうつむいたままだ。
「君が誠実な人間だと理解しているよ。残念だが縁がなかったと思うことにしょう。君には君の守るものがある。それを大事にしなさい。」
ミリアの父の言葉が胸にしみた。
玄関を出たジョンを、傘を持ったミリアが追いかけてきた。
「ジョン、傘、ありがとう。」
ジョンは傘ごとミリアの手を握った。ミリアの手が震えていた。
「ミリア…俺は…」
ミリアがジョンの言葉を遮る。
「ジョン!私、ジョンのこと忘れるわ。さようなら」
◇
ジョンに領地のことを託して父も亡くなった。がむしゃらに領地経営をしてきたが、ふとした時にミリアが恋しかった。リリの名をリリアに変えたのもミリアへの未練だったかもしれない。
だが今、ジョンが思い出すのはリリアのことばかりだ。リリアはミリアと全く似ていないというのに。
そんなもの思いに沈んでいた時、トーマスが慌てた様子で電報を差し出した。
「リリア、ササレル、ジユウタイ」
ジョンは喉がひりつき、全身の血が逆流するようであった。
「トーマス、旅支度だ、王都に行く!」
◇
ジョンが、面会をゆるされてリリアと対面できたのは1週間ほど経ってからだった。
リリアはジョンを見ると健気に笑おうとした。意識はしっかりしているが、身体には痛々しいほどの包帯が巻かれ、自分では身動きができない状態だった。
ジョンは、なぜこんなことに?という怒りと、生きていてくれて良かったとの安堵で、言葉が出てこなかった。
「男爵様、私、コックスに帰りたいです。」
リリアが自分のために口にした言葉、それは、あの白い花の髪飾りを見たいと言って以来かもしれない。
ジョンは、今度は間違わなかった。
「ああ、一緒に帰ろう」




