6-2 りんごの花
リリアは、ジョンとマーサとともに重厚な扉の前にいた。
「リリア、早速、髪飾りをつけてくれたんだね。とても似合うよ。」
「はい」
リリアが髪飾りをマーサに渡すと、マーサは、リリアの髪をハーフアップに結って髪飾りをつけてくれたのだ。リリアは、ジョンの言葉が面はゆくて水色のワンピースをきゅっと握った。自分自身のことを褒めてもらったことも話題にしてもらったこともなかったのである。
「ここがお祖母様の部屋だよ、お祖母様は時々子供に戻るんだ。ちょっとびっくりするかもしれないが緊張しないで。」
そこは、リリアの部屋より落ち着いた雰囲気で、サイドテーブルには、花をつけたりんごの小枝が形よく活けられていた。そのそばに、車椅子に乗った上品な老婦人が佇んでいる。ジョンの祖母ドイリーだ。
「お祖母様、ジョンです。お加減はいかがですか?」
「あら、ジョン、何年ぶりかしら。ご無沙汰ね。」
(?)
「一日ぶりですよ、お祖母様。こちらはリリア、今日から一緒に暮らすことになりました。」
「こ、こ、こんにちは、ドイリー様」
リリアはまたぺこりとお辞儀をした。
「あら、あなた、私待っていたのよ。リリア?そんな名前だったかしら。あなたが来るのが遅いから、もうりんごの花が散ってしまうわ。ねえ、あの歌また歌いましょうよ。らららん、らん、らん…」
(?)
「リリア、お祖母様はたぶん、リリアのことをご自分の友達が来たと思っていらっしゃるんだ…できたら一緒に歌ってもらえないだろうか。」
ジョンは、リリアを優しくドイリーの方へ押し出した。
リリアはそうしてあげたいと思ったが知らない歌だ。どうしたらいいのかわからずマーサを振り返った。するとマーサは、その歌を口ずさんみながら、リリアの肩をトントンと叩いてくれた。リリアもそれに合わせて、ドイリーの手をとってトントンと調子をとった。
遠い記憶にある母マーサが、リリアの背中をトントンと叩きながら「ウウ、ウウ」と歌ってくれた、あの心地良さが蘇る。その心地良さがドイリーに伝わるのか、ドイリーは嬉しそうに次々と歌い出した。
◇
晩餐のテーブルについたのは、ジョンとリリアだけだった。リリアはマーサを振り返った。
「マーサは?」
「私は、別室でトーマスや料理人と頂きますよ。」
マーサはにっこり笑って答えた。
「わ、私はマーサが食べた後でいい。」
ジョンが苦笑いをする。
「リリア、ここではリリアが最初に食べてあげないと、マーサたちは食事ができないんだよ。だがら私と一緒に食べようね。」
「はい」
リリアはよくわからなかったが返事をした。返事は「はい」しかないのだ。
ジョンは、リリアが食べやすい大きさに肉を切り分けパンをちぎってくれた。今まで食べたことのない柔らかいパンだ。リリアは、ジョンを見よう見まねでナイフとフォークを持った。
「リリア、お祖母様はとても喜ばれていたよ、ありがとう。お祖母様は、何か歌に思い入れがあるようでね。歌を所望されるんだが、どんなに上手な人を連れてきても納得されなくてね。癇癪を起こしては侍女やナースを困らせていたんだ。そんな時、聞いたのがリリアの歌声だった。」
ジョンは、リリアとの出会いを思い出し、フッと笑った。
「私の直感でしかないが、リリアの優しい声ならお祖母様も納得されるのじゃないかと。今日それが間違いではなかったと思ったよ。リリア、勝手で悪いが、できるだけお祖母様と一緒に居てさしあげてくれないか。お祖母様はもう長くはない、あとの人生を安らかに過ごさせてあげたいんだ。」
「はい」
ドイリーと一緒にいること、歌うこと、それが明日からのリリアの仕事になった。
◇
リリアは、年齢や手続きの都合で中等部から学校に通うことになった。それまで基礎的な学習とマナーをマーサが教えてくれる。
マーサは子爵家の令嬢で、嫁ぎ先によっては男爵家など格下であったのだが、平民のトーマスと恋に落ち共に生きることを選んだ。コックス男爵家もまた古い家柄ながら、身分云々にこだわりがなく優秀で利があると判断した者は雇う主義だった。
教養とマナーの身についたマーサは、リリアにとって得がたい教師だったのである。
リリアにとって、サロン・ルージュの自分の部屋は寝るところでしかなかった。それ以外の時間は全て何かしら仕事をしていたのだ。こんな可愛い部屋を与えられてもリリアはどうしていいかわからない。ジョンはドイリーとできるだけ一緒にいるようにと言った。ならば一緒に居る、それがリリアだった。
リリアは他に用がなければドイリーの部屋に入り浸った。マーサに教わった教材、読むように言われた書物、何でもドイリーの部屋に持ち込んで、ドイリーが起きていても寝ていてもそばに居るようになった。
ドイリーは、正気に戻った時はリリアに自分の若い頃の話やコックス領の歴史を教えてくれた、また子供に返った時はリリアと一緒に歌を歌って楽しんだ。
ナースと侍女は、リリアがいるとドイリーの精神状態が安定すると喜んだ。リリアもまた二人からドイリーとの接し方を学んで、一人でもドイリーのそばについていられるようになった。
秋が来てりんごが収穫されると、リリアは料理人にりんごジャムとマフィンの作り方を教わった。甘い物が好きなドイリーのために、りんごジャム入りのミルクがたっぷりはいった柔らかいマフィンを作って、さらにジャム入りの紅茶でドイリーと楽しんだ。
冬の夜は、しんしんと降る雪の窓辺にロウソクをたてて共に神に感謝し、春はドイリーをジョンにおぶってもらって雪解けの小川の水音を聞きに行き、持ち帰った山菜入りのスープで身体をあたためた。
そして5月、ふたたびりんごの花が咲き始めた。今日は、ジョンがドイリーの車椅子を押してりんご畑を散歩している。リリアとナースも後に続いている。
「私がここに嫁に来たときも、りんごの花が咲いていてね、まだ咲き始めだったから今日みたいにポウッと花が赤かったよ。不安でいっぱいだったけど、こんな美しい所なら頑張れるって思った。」
どうやら今日のドイリーは正気のようだ。
♪りんごの花は白い雪のよう
涙に滲んで散ってゆく
ドイリーは「りんごの花」のフレーズを歌い出した。リリアはそれに続こうとしたが、その歌詞が別れを予感するものだったので、わざと最初から歌い出した。
♪いつからでしょう
あなたの姿を追っていたのは
いつからでしょう
あなたの瞳が私を写したのは
「りんごの花が終わったら、次はエルフラウだねぇ。今年は見られるかしら…」
「お祖母様!」
「ジョン、リリアに会わせてくれてありがとう。リリア、ずっとここにいなさい。」
「はい」
「お祖母様?」
「ふふっ、リリアありがとう! ジョン、リリア、幸せになりなさいね。」
「はい、ドイリー様…」
数週間後、ドイリーは微笑をたたえた美しい顔で神に召された。りんごの花が散り、エルフラウが咲き始めていた。




