6-1 コックス領、ふたたびマーサ
サロン・ルージュにコックス男爵家の馬車が到着する。馬車から降りてきたジョンを見て、リリは昨日の話は本当だったのだと今さらに思った。
ジョンはジョンで、イライザとともに待っているリリに目を見張った。髪を下ろして水色のワンピースを着たリリは、色の白い可愛らしい少女だったのだ。
「お待たせしたね。」
「男爵様、宜しくお願いします。リリ、元気でね。男爵様の言うことをよく聞くんだよ。」
「はい、お館様お世話になりました。男爵様、宜しくお願いします。」
ぺこりと下げたリリの胸元に、ローザが透いてくれた髪がふわりと落ちてくる。
「ああ、こちらこそ。さあ行こう。」
リリは、ジョンに抱き上げられて初めて馬車に乗り込んだ。
館が遠くなっていく。いつもお使いに歩いた道は馬車から見ると違った印象で、リリは熱心に外を見ていた。
「どこか寄るところはあるかね。」
ジョンに声をかけられたが、リリは黙って首を横に振った。
やがてリーズ駅が見えた。駅から東はコックス領だがリリにはわからない。踏切を渡るともうすぐ文房具屋だ、その前にあの宝飾店が目にはいった。
「あっ!」
リリが思わず声を出してしまったので、ジョンが御者に命じて馬車が急停止した。
「どこか行きたい所があるのか?」
ジョンはもう一度聞いてくれた。
「あ、あの、見るだけ…。あそこに飾ってあった髪飾りが綺麗だったから…」
リリは迷ったが思いきって言ってみた。
ジョンは先に馬車を降りてリリを抱き下ろしてくれた。リリは、あのショーウインドウに駆け寄ったが、そこにはもうあの髪飾りはなかった。
リリの失望が見て取れたのか、ジョンにいつ頃見たのかと問われ、半年くらい前と答えた。ジョンはリリを連れて店内に入っていった。
「いらっしゃいませ、これは、これは男爵様」
「あそこに半年程前に飾ってあった髪飾りはまだあるかね?」
「半年前というと…?」
「あ、あの、赤いのと、白いのと、花の形をした…」
とリリは付け足した。
「ああ、あれ、ちょっと待ってくださいよ。たしか…白い方は残っていたような…」
店主は奥から小さな箱を持ってくると、中の包紙から白い花の髪飾りを取り出した。
「白い方が残っていました。これでしょ?お嬢さんの髪にきっと似合いますよ。」
(やっぱり、きれいだな~)
リリはもう一度見ることができて満足したのだが、ジョンがそれを買い求めた。
「そうだね。リリアに似合いそうだ、これを頂けるかな。」
「はい、ありがとうございます。」
店主は、髪飾りを元に戻すと美しい袋にいれてジョンに渡した。
「ありがとう、さあ、これはリリアのだよ」
ジョンは、リリの目線まで腰を折って髪飾りの入った袋をリリに差し出した。
(リリアの?私の?)
「あ、あの、ありがとうございます。」
リリはジョンと店主に深々とお辞儀をした。リリは、恐れ多いものを押し頂くように、その袋を胸に抱いた。
◇
ションとリリ、いやそろそろリリアと呼ぼう。
ジョンとリリアを乗せた馬車は、商業地を通り住宅街を抜けた。すると突然、広々とした畑が現れ整然とした畝が続く風景となった。リリアは目を見開いた。
「コックス領の畑だよ。ジャガイモ、大豆、あとはその時々の野菜を交互に植えているんだ。ずっと同じものを植え続けると土地が痩せて作物が育たなくなるからね。そしてほら、土のままの所があるだろ?ああして何年かに一度土を休ませているんだ。」
しばらく畑の中を行くと、なだらかな丘となり道沿いにりんご畑が現れた。白いりんごの花が今まさに咲き誇り、リリアの好きな歌のとおり雪が降り注いでいるかのようだった。リリアはその美しさに再び目を見開いた。
畑には、その白い花を摘んでいる人達がいた。中にはりんごの樹に梯子をかけて高い所の花を摘んでいる人もいる。
「りんごの花はね、最初はほんのり赤いんだよ。それが段々真っ白になる。大きな実ができるように花を摘んで間引いているんだ。」
リリアは、ジョンが説明してくれるたび素直に頷いた。
りんご畑が途切れると食物倉庫らしきものを何棟か通り過ぎ、やがて馬車は停まった。ジョンはまたリリアを馬車から抱き下ろしてくれた。
「リリア、今日からここがリリアの家だよ。」
リリアは三度目を見開いた。
南に面したその屋敷は、屋根が急勾配のレンガ造りで、まるでおとぎ話に出てくるようだった。いやリリアはおとぎ話など知らないがリーズの街の建物とは違っていた。
建物の中央に玄関があり両翼に窓が並んでいる。南面は花壇や低木で解放的であるのに、あとの三方は高い木で幾重にも囲まれている。
「古い屋敷でびっくりしただろう?この地方に昔からある様式なんだ。中は改装してあるが代々の領主が守ってきた屋敷だ。冬は寒いから、こうして樹木で北風から屋敷を守っているんだよ。」
◇
玄関口にはひと組の男女が待っていて、ジョンを認めると揃って丁寧に頭をさげた。
「ジョン様、お帰りなさいませ」
「ああ、今帰った。この子がリリアだ。宜しく頼むよ。」
「リリア、侍従のトーマスと侍女長のマーサだ、と言っても私しかいないから、使用人は極力減らしている。奥向きのことは二人に任せていてね、私にとっては親同然だ。リリアの侍女を雇うことも考えたのだが、しばらくマーサに世話になるのがいいと思ってね、色々教えてもらいなさい。」
(マーサ?)
その女性は母親と同じ名前だった。もし母親が生きていたとしても、この女性の方が年上だろう。母は少しやせていつもグレーの服を着ていたが、目の前のマーサは、首元のつまった黒い服に、アイロンのピシリとかかった真っ白な長いエプロンをしていた。姿勢よく隙のない雰囲気だったが、リリアを見ると目元が緩んでリリアはほっと安心した。
「リリアです。宜しくお願いします。」
リリアはぺこりと頭をさげた。
「それから、先ほど御者をしていたのがロイド。私の幼馴染みで事業を手伝ってくれている、ああやって御者なども引き受けてくれるんだ。あと料理人が一人、下男が一人だ。掃除と洗濯に通いの使用人がいる。お祖母様には侍女と住み込みのナースがついているよ。
マーサ、リリアを部屋に案内してくれるかい?少し休んだらお祖母様のところに挨拶に行こう。」
マーサに案内された部屋は、陽当たりのよい南向きで、暖色系の壁紙とカーテンでまとめられた可愛らしい部屋であった。ベッドにクローゼット、デスク、そしてリリアの全身が映る程の大きな鏡があった。リリアは四度目を見開いた。
「ここ?」
「リリア様のお部屋ですよ。とりあえず整えましたが足りないものがあればおっしゃって下さいね。」
「リリア…さま?」
「はい、リリア様はコックス男爵の養女となられたのですから、それに相応しい振る舞いが求められます。改めて私はマーサと申します。ジョン様からリリア様のお世話と教育係を仰せつかっていますので、宜しくお願いします。」
「マーサさん、宜しくお願いします。」
「マーサとお呼びください。これまでのことはジョン様からお聞きしております。本来ならお仕えする立場ですが、ここの生活に慣れるまで大変でしょう。私を母親だと思って何でもおっしゃってくださいね。」
(母親?)
リリアは、どう思えばいいのかよくわからなかった。




