5-1 サロン・ルージュのマーサ
リーズは、エルディア王国北部にある盆地に拡がる街である。
三つの男爵領が接し、いずこも大した産業のない田舎の所領であったが、王国初の鉄道が、炭鉱の町ブナンから貿易港を擁するサンプールの間に敷設されるにあたり、その中継地としてリーズ駅ができたことで俄に栄え始めた。
リーズ駅をどこに作るか多少もめたのだが、最終的にコックス領内と決まった。駅の東側は大通りができ、銀行や郵便所、政府の出先機関が並び、資産家や商人たちのセカンドハウスが建ち始めた。
そのすぐ北側は別の男爵領だが、倉庫が立ち並び、列車が到着するたび大量の物資の積み下ろしや行き交う荷馬車で賑わっている。駅をはさんだ西側はもう一つの男爵領で、宿や飲食店の並ぶ繁華街や労働者の住宅が拡がっていた。
まあうまく利益配分したのである。
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その繁華街の一角に、サロン・ルージュはある。そこは、ちょっとしたショーを見せながら酒や料理を提供するホールと、いわゆる娼館とを営んでいた。
貴族邸かと見まごう館は、中庭を囲むように建てられ、中央のエントランスをはいると豪華なシャンデリアが夢の世界へ誘ってくれる。
そこから右棟の1階はステージを備えたホール、2階は飲食や商談に利用できる個室がいくつかあった。左棟はいわゆる夜の接待部屋である。1階はまあそこそこで買える娼婦の利用する部屋、2階は高級娼婦たち自身の部屋と客を迎える部屋を備えていた。
中庭は高低織り交ぜた木々が植えられ、どこの棟からも視界が遮られるようにできていた。これら客をもてなす場所を表と呼び、中庭の奥には裏と呼ばれるもう1棟が建っている。
裏の1階は帳場、衣装部屋兼楽屋、厨房、男衆の部屋などなど…、そして2階は館の主イライザの住居と、個室を持たない娼婦達の大部屋があった。
◇
マーサは、この館の下女だ。マーサがいつからここにいるのか誰も知らない。イライザが前のオーナーから経営を引き継いだ時にはすでにマーサはいたのだ。
マーサの部屋は階段横。ベッドとチェスト、椅子ひとつ、欠けた鏡、それがマーサの全てだった。小さな窓から裏庭が見える。部屋の向かいは廊下をはさんで厨房、廊下の先は裏庭へのドアだ。
マーサは、まだ明けきらぬ早朝に起きて裏庭に出る。男衆がすでに今日使う薪を割っている。
「おう、マーサ、早よう!!」
男衆は、最低限の挨拶をしてくれるのでマーサは頭をさげる。
マーサは、割ったばかりの薪で火をおこして湯を沸かし、泊まり客のために湯と手ぬぐいを届ける。娼婦の使う部屋の戸口には、客がいるかどうかの札がかかっておりマーサはそれを見て置いてくるのだ。一度に持っていけるのはせいぜい二組、左棟と裏庭を何往復もする。
次は朝食の用意だ。大きな寸胴鍋に昨晩から仕込んだ具だくさんのスープとパン。裏の食堂に男衆が集まり始めるとソーセージを焼いてやる。ソーセージがつくのは館主イライザと男衆だけだ。男衆は力仕事だ。イライザは、男衆に気持ち良く働いてもらうために食事量には文句を言わない。
イライザには、ソーセージを切り分け、サラダとフルーツを添える。少し豪華な朝食をイライザの部屋まで届けるのだ。それが終わるとマーサも厨房の隅であまりものをかき込む。
息つく暇もなく裏の棟と外回りを掃除していると、そろそろ通いの料理人と従業員がやってくる。表の掃除と準備は従業員がやってくれる。その間にマーサは娼婦達の部屋をまわってリネンを回収し洗濯をする。もちろんイライザや男衆の分も。洗濯物を干し終えたらいつも昼だ。
マーサに昼食はない、ないが時々、料理人ジーナが仕込みの余りだと言ってマーサを呼んでくれる。マーサはそれを厨房の隅で有り難く頂く。
ジーナは元子爵家の料理人だった。没落する貴族が多いなかでジーナの雇い主も例外ではなかった。ジーナの腕は確かだったが、富裕層を客とするレストランは男性料理人を好み女性を雇うことはなかった。町の料理屋は家族経営がほとんどで雇ってくれる余裕はなく、流れ着いたのがここサロン・ルージュだった。
サロン・ルージュは、元は酒と干し肉程度しか出していなかったが、ジーナの作った凝ったつまみが評判を呼び、徐々に料理を出すようになった。以外なことにホールのある右棟には、ジーナの料理目当てと怖い物見たさで、少数ではあるが女性客もやってくる。ジーナは客に請われれば特別に昼席の料理も用意する。そんなときはマーサもおこぼれに預かれるのだ。
午後はイライザや娼婦の雑用に追われ、夕方になると客を迎える準備で慌ただしくなる。従業員達は接客用の服に着替え、娼婦たちは着飾ってホールに待機する。
イライザが、厨房にいるジーナとマーサに声をかけにくる。
「今日は商工会の寄り合いがあるそうだよ。その流れで旦那衆がお見えになるかもしれない。ジーナ、つまみと軽食を多めに用意しておくれ、マーサも頼むよ。」
「あいよ、承知だよ。」
ジーナが返事し、マーサがぺこりと頭をさげる。マーサは皿やグラスを並べはじめる。
やがて客の馬車の音がして男衆が案内を始める。ショーが始まり、客の笑い声や娼婦の嬌声が聞こえる。
マーサは、交代で夕食を食べにやってくる従業員や男衆のために、ジーナを手伝ってまかないを運び、その後はひたすら食器洗いだ。
喧噪が男女のささやきに変わる頃、マーサは洗濯物にアイロンをかけ、繕い物を持って自分の部屋に戻る。表で使い古したちびたローソクをつけ、チェストを机代わりに衣装や娼婦のドレスの繕い物を終えるとようやく眠れるのだ。
マーサは決して客の前に出ることはなかった。それでも見たくないこと、聞きたくないことはあるものだ。だが誰もマーサを気にしていなかった。なぜならマーサはしゃべれなかったからだ。字を読むことも書くこともできなかった。
しかし耳はよく聞こえたし、人の言うことにはよく従った。それに頭もよかったのだろう。これだけの仕事を一人でこなしているのだから。




