4-9 ジョン・コックス男爵
リリアの養父、ジョン・コックス男爵は、事件の連絡を受けてすぐにやってきたが、面会を許されたのは、リリアが入院して1週間も経ってからだった。
ジョンが恐る恐る病室にはいると、リリアが弱々しく微笑んだ。まだ身体は動かせないが意識はしっかり回復しているようだ。
「リリア!」
リリアの痛ましい姿を見てジョンは駆け寄ったが、リリアに触れてよいものかわからず踏みとどまった。
「男爵様、こんな姿ですみません。」
「何を言っているんだ。よかった、生きていてくれて。リリア、順調に回復しているそうだよ。普通の生活にも戻れる。早く治そうな。」
「はい、男爵様」
リリアは、ジョンの様子をじっと見つめた。
リリアがふとジョンの後ろを見ると、女性が一人立っていた。
「お館様…」
リリアがお館様と呼んだ女性は、地味なグレーのドレスを着ていたが、口紅は赤く妖艶で、年嵩なのか若いのか年齢不詳の美女だった。
「リリ、大丈夫かい?とんだことになっちまったね。男爵様がどんなにご心配になったか…」
「す、すみません。ありがとうございます。」
「いいんだよ。大事にして早く治しな。実はね、ルビアが死んだんだ。劇場、ああルビアは劇場で歌っていたのさ、劇場の支配人から連絡があった、殺されたって。」
「ルビアが殺された?」
「そうさ、私はもうルビアの世話をする義理はないけどさ、それっきりというのも寝覚めが悪いから、手くらい合わせてやろうと思ってね。…事件の捜査が終わったら、ルビアは王都の無縁墓地に葬られるらしいよ。」
リリアは、ルビアと聞いても良い思い出はない。美しい歌声と勝ち気な顔を思い出す。死んだと聞いてもどういう思いも沸いてこなかった。
「あの、お祈りを捧げます。」
「そうだね、そうしてやっておくれ。今となっちゃルビアを知っている人間も少ないのでね。全くこんなことになるとは。」
「私も冥福を祈るよ」
「ありがとうございます。男爵様」
女性はジョンに丁寧に頭を下げると、再びリリアに向き直った。
「男爵様とは偶々列車が一緒でね。リリのことを聞いたから今日はご一緒させてもらったよ。じゃあ、私は…」
「あ、あの館のみんなは…」
「リリ、何年経ってると思っているんだい。そんなことは忘れるんだよ。男爵様に、これからも大事にしてもらいな。まずは早く身体を治すんだよ。じゃあこれで失礼するよ。男爵様ありがとうございました。」
「ああ、見舞いに感謝する。」
「お館様、ありがとうございました。」
◇
ジョンは、リリアと二人になると傍らに座って手を握った。リリアはジョンと少し話すと、薬が効いているのか、うとうととし始めやがて寝てしまった。
(リリア、コックスに来たばかりのときは、小さな子供の手だった。それが今では…。リリア、他の生徒をかばったと聞いたよ。君はそうする娘だ。何年経っても変わらない。リリア、君は人に尽くすことしか知らないんだな。でも死ぬな!死ぬようなことはするな!)
そこへ高位貴族とおぼしき父娘が、従者に豪華な見舞いを持たせてあらわれた。二人は病室の入口に立ち止まって黙礼をした。ジョンも会釈をして二人に近づいた。
病院の応接室を借りて、三人は相対した。
「レナード・ウォルターです。これは娘のレティシア、お初にお目にかかる。」
「レティシア・ウォルターと申します。初めまして。」
「ジョン・コックスです。お初にお目にかかります。身に余るお見舞いの品を頂き恐縮です。」
レティシアはジョンを見て驚いた。養父というから、父と同じくらいか、それより年上を想像していたのだが、ジョンは非常に若く30歳くらいと思われた。黒髪に黒目で精悍な顔立ちだった。
「いや、ご息女リリア嬢は、レティシアをかばって、あのような怪我をされたのです。そのお礼と謝罪に参ったのだが、本当にすまないことをしてしまった。誠に申し開きようもない。」
レナードとレティシアは深々と頭をさげた。
「いえ…」
「男爵様、私はリリアさんに助けられました。あそこで寝ているのは本当なら私だったのです…どうお礼を言ったらいいか、どう謝ったらいいか…」
「いえ…悪いのは犯人です。幸い命は助かりました。傷は残りますが後遺症はなく普通に暮らせるそうで安堵しています。」
「そ、そうですか。それで私も少しは救われます。」
そこで話題が途切れた。ジョンは言い惑う様子だったが、自分の重ねた手を見つめながら口を開いた。
「あの、リリアが学園を辞めたいと申しまして。厭だという意味ではなくて、もう充分だというのです。リリアは手紙によく学園のことを楽しそうに書いて寄こしました。皆さんに良くして頂いたのだと思います。」
「そんな…」
レティシアが何か言おうとしたが、レナードが手でそれをやめさせた。
「リリアはコックス家の事情で引き取りました、学校に行かせることを条件で。リリアはとても成績がよかったし、私が学園に行くことを勧めました。私も王立学園の卒業生なのですが、地方の学校と学園では教育のレベルが全く違うのです。
リリアは幼い頃から働きづくめで、それはコックス家にきても変わりませんでした。働かなくていいと言っても、リリアはそれしか知らないのです。王立学園で娘らしい生活を知って欲しいと思いまして。それに良い男性に巡り会えたら嫁がせてやろうと思っていました。
でもリリアが、コックスに帰りたいと言うのです。その…たぶん…リリアが初めて自分の意志を私に伝えてくれたように思うので…。リリアが元気になったら連れて帰ろうと思います。」
三人の間に、またしばらく沈黙が落ちた。
「そうですか。リリア嬢が体力を回復するにはまだしばらくはかかるでしょう。コックス殿、どうだろうか、その間、リリア嬢をこちらで預からせてもらえないだろうか?コックス殿もずっとこちらに居るわけにもまいりますまい。リリア嬢も病院暮らしというのも味気ない。我が家に看護師を置いて医師には往診させる。」
「そうだわ!それがいいわ、男爵様、お願いします。少しはお礼をさせてください。私、リリアさんともっとお話をしたいわ。」
ジョンは俯いていた顔をあげて、まっすぐにレナードを見つめた。
「そ、その、実はそのことで思案をしていたところだったのです。リリアをここに一人で置いておくのは忍びなくて、甚だ恐縮ですが、甘えさせて頂ければ助かります。」
「嬉しい、決まりね!」
「それは良かった。どうか任せてください。ところでコックス殿、王都滞在中はどちらにお泊まりかな?よければコックス殿も我が家で滞在されたらいかがだろうか?」
「いえいえ、そんなめっそうもない。王都に昔からの知り合いがおり、そこにお世話になっています。お心遣い痛み入ります。」
レナードはジョンの実直そうな人柄に好感を持った。
◇
ウォルター邸では万全の準備を整えてリリアを迎えた。リリアは、人生で初めて人に世話をされ、のんびりとした時間を過ごした。
(結局、あの夢はなんだったのかしら。私は、あんなに恐れていたリリアさんに命を助けられた。あんな夢をみなかったら、私はリリアさんをもっと理解したかもしれないのに。ううん、あの夢がなかったら、リリアという人をそんなに認識しなかったかもしれない。今からでもやり直そう。ちゃんとリリアさんと向き合おう)
リリアは、徐々にベッドに起き上がれるようになり、杖を頼りに歩けるようになった。レティシアは、リリアの散歩に付き添い、ともにお茶会をした。あまり多くを語らないリリアと一緒に歌をうたったり、本の話しをしたりして交流を持ったのだった。
◇
アルバートもまた、新しい生活に踏み出そうとしていた。
シャンバル帝国の大学にはビジネスに特化した短期コースがある、そのなかには組織運営の危機管理コースもあった。アルバートは、留学をしているレイモンドからそのこをを聞いていたのだが、学園卒業後は、レティシアとともにリンデン大学に行くと決めていたため聞き流していた。
しかし、アルバートは、事件をきっかけに危機管理について学ぼうと思い始めた。それは、ポートフォードの領地経営のうえでも、国防を背負う将来のうえでも必要不可欠と思えた。
短期コースは1年で修了する。学園の卒業認定を受けて飛び級すれば予定は変えなくてすむ。アルバートは急遽卒業認定に合格するべく猛勉強を始めたのだった。




