第51話 覚醒
痛みで視界が滲み、班目の顔が霞んで揺らぐ。
流れ落ちた血がべったりと手のひらに付き、ぬるりとした不快感が残った。
「――おら、よっと――!!」
背後から蹴り飛ばされ、俺の身体は数メートル先へと吹き飛ぶ。
地面を転がり、仰向けに倒れ込んだ。
炎龍使いの男が、その一部始終を呆然と見ていた。
状況を吞み込めぬまま、班目へと怒声を浴びせる。
「おいっ!! お前、こんな時に何してんだっ! どう言うつもりだ!!」
「……うるせぇよ」
背後から振り下ろされた柏木の一撃。
怒号は絶叫に転じた。
肩口から肺まで、斜めに断ち切られる。
血飛沫を撒き散らし、男は崩れ落ちた。
一人取り残された女は、即座に戦闘態勢へ。
標的を柏木へと切り替える。
「き、きっさまあああああぁぁぁ――――!!」
「はい~、おつかれさ~ん」
真空波を放つより早く、女の胸元からサーベルが突き出た。
横一文字に薙ぎ払われ、上半身がぱっくりと割れる。
血が噴き上がり、女は沈黙した。
サーベルを振り回しながら、黎明ギルドの団員は舌をだらりと突き出す。
「はい、終わりオワリ~ これでようやくお仕事終わり~! いやはや、ちょろいもんですね~、柏木さ~ん」
追従して、下卑た声を上げる団員たち。
柏木は薄ら笑いを浮かべながら、班目へ視線を向けた。
「よくやったぞ斑目。これで信頼を取り戻せたな。西園寺さんも、お前の事を見直すだろうよ」
だが、その言葉は班目の耳には届いていない。
狂喜に歪んだ顔で、俺を指差していた。
「ぎゃっはっははははは!! ざまぁねぇな、御剣ぃ! 俺が本当に改心したとでも思ったかぁ? 思ったよなぁ? ハッハッハッハ!」
――何を言っているんだろうか、コイツは。
目の前には俺たち共通の敵、ネクロマンサーが迫っている。
こんな時に、俺に構っている暇など無いだろうに。
「なーにが『奴を足止めする!』だ! 英雄気取りで死ぬつもりだったのか? ばーか! お前の死にざまは『犬死に』だよ、い・ぬ・じ・に! どうだぁ、後ろからザックリいかれた気分ハァよぉ? いつぞやのお返しだぁ! ヒャッハッハッハ!」
……お返し、ね。
矮小過ぎて、呆れすらも通り越す。
どうしてこうも、ダンジョンに私情を持ち込む奴が多いんだろうな。
敵はモンスターだろ?
奴らを殺せれば、それで十分じゃないか。
それ以上、いったい何を求めるんだよ。
本当に……下らねぇ……
「さぁ、これから忙しくなるぜぇ! ダンジョン攻略は金! 金、金っ、カネ、カネェッ、ビジネスッ! 見ていて下さいよぉ、お頭ぁっ! 俺はまた稼いで稼いで稼いで、稼ぎまくりますからねぇ!!」
……分からない。
分かりたくもない。
「……班目……お前マジで……気持ち……わりぃわ……」
意識が遠のく。
耳に届く声も、もはや輪郭を失っていた。
「――原の――野郎っ! 結局アイツ一人で――だったじゃ――! 俺たちに全部押し付け――クソッ――っクソっ!!」
痛みの中、ふと桐生の顔が思い浮かんだ。
俺がこれまで歩んできた道が『凡庸』と言うのなら。
ここがまさしく、『檻』の終着点なのかもしれない。
残った力を振り絞り、ウエストポーチに手を伸ばす。
握りしめた、翠の球体――
ソレをそっと、右目にあてがう。
静かな心だ。
これから目を潰そうって人間の感情じゃない。
「……ま……死に、かけ……てん、だから……当然……か……」
こんなにも心穏やかでいられるのなら。
もっと早くに試しておけば良かったな。
――ぐちゅり。
眼球から、熱い液体が滴る。
ぽたぽたと頬を伝い、地面に落ちる。
痛みはあった。
だが無様な悲鳴は上げなかった。
潰れた右目から、魔眼が肉体を浸食する。
翠の奔流が全身を巡る。
錆び付いた血液を押し出し、循環し始める。
「――ぐっ……ぐあ……あ、あああっ、あ――!!!!」
熱い。
熱い。
熱い。
灼熱の業火に投げ込まれたようだ。
内臓が熔ける感覚――ドロドロに撹拌されて、再構築される。
金属の擦れる音。
脳が割れんばかりに鳴り響く――ジャラジャラと、耳障りな反響が止まらない。
脳裏に浮かぶは、モンスター共の影。
奴らは悲鳴を上げながら、こちらを恨めしそうに睨んでいる。
血に塗れた、その姿。
毒で爛れた、その体表。
幾重にも穿たれた、その顔面。
これまでに俺が殺してきた――モンスター共の残骸。
こいつは。
――キブンガ、イイナ。
「んで、柏木さん!! どーすんですか、この状況! ネクロマンサーが近づいて来てますぜ! アイツを倒さねぇと、俺らもこっから出られないでしょーが!」
血まみれのナイフを投げ捨て、班目は訴える。
目的は果たした――しかし状況が好転した訳ではない。
「灰原は逃げやがったか……班目、お前何か耳打ちされてただろ。何を吹き込まれた?」
「あいつの事なんて知らねぇっすよ! 『今の状況なら千里眼が届かない。確実に殺せる舞台を用意するから、御剣を始末しろ』って、それだけですって!」
「ちっ、ペテン師が……ネクロマンサーもろとも、こっちになすりつけやがったな」
舌打ちするも束の間。
柏木の顔が、ぐにゃりと歪んだ。
「ま~、だったら……俺たちも同じことをするまでだな」
「同じ……?」
首を傾げる班目を含め、柏木は団員たちに通達する。
「あいつを、後方部隊のとこまで誘導する! 戦う気力もねぇグズどもだが、時間稼ぎぐらいは出来んだろ。その間に、俺たちは結界の反対側に回るぞ!」
武器をしまい、撤収の構えを見せる。
「藤堂が来るまでの鬼ごっこだ。後ろにいる奴らも、俺らが生き残るための養分になれんだったら本望だろ。なあ?」
「は……はははっ、そりゃいいぜ……!」
柏木を称える声が周囲に響く中――
一人の団員が、震える声を上げた。
「か……柏木さん……!」
「なんだ? 早く行くぞ。奴が変な気を起こす前に――」
ズウゥゥン――!
突然の轟音。
舞い散る土煙。
振り返った柏木の目に映ったのは――巨大な腕。
赤黒く脈動する肉塊が、つい先ほどまで団員が立っていた場所を、跡形もなく押し潰していた。
「――はぁ?」
理解が追い付かぬまま、柏木は間抜けな息を漏らす。
腕がゆっくりと持ち上がると、骨まで砕かれた団員の亡骸と共に、血の雨が降り注いだ。
柏木が視線を挙げた先、見据えたのは――
「ブルルルルルゥゥゥッ……!!!!」
――悪鬼の王。
「ゴ……ゴブリンキングっ!! バカなっ!! どっから出て来やがった!!!!」
キングの鉄槌が再度振り下ろされ、付近の団員は軒並み肉片と化す。
すると離れ小島にて、続く悲鳴。
「ギャアアアアアアア――!!」
「今度は何だっ!!」
悲鳴の先には、喉元を食いちぎられた団員たちが折り重なる。
死体を食い漁る影――漆黒の毛皮に、脈動する赤き肉。
「グルルルルルルルッ……!!」
獰猛な牙を剥き出しにして、威嚇。
勝ち誇ったように、ひとつ遠吠えを上げた――
「ウェアウルフ……! 何でこんな所にいやがんだよ、クソがっ――!!」
柏木の混乱は臨界点に達する。
わずか数刻の間に――
柏木と班目を除く黎明ギルドは、全滅していた。
「うあっ、うああああああっつ!! 何だコレっ!! 離せ! 離せよぉ!!」
地中から伸びた無数の根が、班目の足首に絡み付く。
足、胴体、手首、喉――そして顔。
まんべんなく巻き付き、万力が如く締め上げる。
「ぎゃあああああああああ――!! 痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイ、助けてくれぇ柏木さん!! アアアアアアアッ――!!!!」
腕を天に伸ばしながら暴れるも、叫びは虚しく墓地に響くのみ。
次いで骨の砕ける鈍い音、班目の手は地面へポトリと落ちた。
「ふぅーっ……! ふぅーっ……!」
過呼吸を繰り返す柏木。
武器を構え周囲を見渡すと、ある一点でピタリと首が止まる。
その血走った眼は、まるで亡霊にでも出会ったように――
俺のことを、見つめていた。
「み……御剣……! て、てめぇ……なんで……生きて、やがる……」
後退する柏木。
その足元に、俺は意識を集中する。
「……う、あっ……な、なんだこれっ……!!」
真っ赤なスライムが、柏木の靴底から湧き出し、下半身を覆う。
バランスを崩し、無様に倒れ込んだ。
「うあああっ!! なんだよコイツぅ!! ああ、止めろぉ、やめろおおおおおっ――!!!!」
顔まで侵食が及ぶと、柏木はあっけなく絶命した。
転がる骸を眺めながら、ふと思う。
――そういえば、人を殺したのはこれが初めてだったか?
まあ、どうでも良いかそんな事は。
今はただ、この高揚感に身を委ねたい。
内より湧き出る力の奔流を、全力でぶつけたい。
そして目の前には、丁度いい獲物がいる。
「■■、■、■■……■■、■■――!!」
右目が、疼く。
ゴブリンキング。
ウェアウルフ。
トレント。
そして、寄生スライム。
それぞれの肉体から伸びる、『翠の鎖』を引き絞り。
俺は獲物へ嗤いかけた。
「さあ――殺し合おうぜ。死神野郎」




