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第46話 渇望

 静寂に沈んだ戦場を前に、灰原はひとつ息をついた。


「……無事に終わりましたね」 


 安堵を滲ませた微笑みを浮かべ、部隊へ向き直る。

 その声は澄んでいて、戦場の空気を一瞬だけ和らげた。


「ここから先はダンジョンの心臓部です! 各自、装備の最終確認を。藤堂さんが合流されるまでの持久戦となります。抜かりなく!」


 号令を背に、木羽が肩を回しながら俺の方へ歩いてくる。

 戦闘直後とは思えないほど、いつも通りの調子だ。


「この程度まだまだ余裕よ、余裕! 欠伸がでらぁ!」


 豪快に笑う木羽を前に、毒島が眉をひそめた。


「ちょっと木羽! そこんとこ、怪我してるじゃん!」


「んあ? お、ほんとだな」


 流れた血を指でひとすくいし、呑気に眺める木羽。

 傷は浅い。戦闘中に墓標の破片でもかすったのだろう。


 ――いや、にしても普通は気付きそうなもんだが。


「アンタってどんだけ鈍いのよ…… さっさとヒーラーのとこ行って、回復してもらいなって」


 毒島が呆れたように後方を指差す。


「……めんどくせぇ、こんなもん唾でも付けときゃ治るだろ! ペッ、ペッ――!」


「ちょ、おまっ――! きっったねぇからやめろボケっ!」


 毒島がキレかけたところで、俺はウエストポーチから数枚の葉を取り出した。


「……これ、使え」


「なんじゃこら? 葉っぱ?」


「ヨプの葉だ。即効性の回復効果がある。まあ……薬草みたいなもんだ。かみ砕いて傷口に塗り込んでおけ。唾を付けるよりはマシだろう」


「はえ~、そんな便利なもんがあるのか! さっすが物知りだなあ、御剣は! ありがたく使わせてもらうぜ!」


 木羽が笑い、毒島は「ほんとアンタって……」と呆れながらも口元を緩めた。

 そのとき、灰原の声が戦場に響く。


「負傷した人は後方まで下がって来てください! これより十分後に出発します!」


 そう言い残すと白いコートを翻し、灰原は音もなく姿を消すのだった。


 ――――


 部隊後方。

 息を整える黎明れいめいギルドの元へ、足音を殺した人影が近づく。


「ご無事でしたか、皆さん」


 灰原の姿を見た瞬間、班目まだらめの目が吊り上がった。


「おい灰原っ!! どうなってんだよ! 説明しろや!」


 大股で詰め寄り、コートの胸ぐらを掴み上げる。


「ちょっとっ――く、苦しいですよ、班目さん!」


「聞いてた話とちげぇだろ! なんで俺らまで攻略に駆り出されてんだよ!」


 怒り狂う班目とは対照的に、黎明ギルドの団長――柏木かしわぎは淡々としていた。


「班目……場を弁えろ。あんまピーピー騒ぎ立てるな」


「ですがねぇ柏木さん! こいつ、俺らを舐め腐ってますよ!」


 灰原は眉を八の字に寄せ、弱々しい声を作る。


「い、いったいどうしたと言うのですか……? 僕の采配に至らぬ点が?」


「てめぇ……! なにすっとぼけた事言ってんだ!!」


 胸ぐらを掴む手に力がこもる。

 班目の顔は憤怒に染まり、唾が飛ぶほどに怒鳴り散らした。



「てめぇが御剣の野郎をぶっ殺せる舞台を用意するって話だったろうが! そのために協力してやってんだぞ!」



 怒号を浴び、灰原は一度視線を落とした。


 そしてひとつ。

 深い溜息。


 上げた目は、氷のように冷たかった。



「――わめくな、ドブ鼠が」


 班目の手を乱暴に振り払い、コートの皺を整える。

 気付けばその左手には、クリスナイフが握られていた。


 赤い瘴気で揺らめく刀身を指でなぞりながら、静かに告げる。


「人を殺すのであれば、ダンジョンの中で……そんな事は少し考えれば分かるでしょう? ここで起きた出来事は、一切外部に露呈ろていしない。死体はゲートの消失と共に失われ、死因すらも曖昧になる――」


 灰原はつまらなそうに刀身を眺めながら、焦点を班目たちに合わせた。


西園寺さいおんじの忠犬なら、その程度の事は理解しているはずです。僕がお膳立てしたこの場所は、最高のステージでしょう? 違いますか?」


 殺意に押され、班目は言葉を失う。

 代わりに柏木が口を開いた。


「……殺しは俺たちが請け負う。だがレッドゲートの攻略ってのは、西園寺さんからの報酬に入っちゃいねぇ。そこんとこ、アンタはどう考えてんだ。灰原さんよ」


 灰原はまた溜息をつき、ナイフで自身の指先を軽く切った。

 滴る血を見つめながら言う。


「これだけ根回しをしてあげたのに、まだ対価を求めるのですか? あなた方の出自も、経歴も、目的も、その全てを偽って――今回の攻略戦に参加させてあげたのは誰だったのか……忘れたとは言わせませんよ?」


「……そいつは言いっこなしでしょうよ。アンタと俺たちは運命共同体だ。それにレッドゲートを使った殺しを持ちかけて来たのは、アンタの方からだったと記憶してるが?」


 空気が凍りつく。

 その緊張を破ったのは、班目の叫びだった。


「だ、だいたい千里眼持ちがいるなんて聞いてねぇ! これじゃあずっと見張られたまんまじゃねぇか! どうやって御剣の野郎を殺すんだよ!」


「……口ばかり達者ですね。少しはご自分の頭で考えたらいかがですか?」


 灰原は血の滴る指の腹をぺろりと舐め、目を細めた。


「千里眼は常時発動できるような代物じゃありません。戦局を見極めるここ一番で使われるだけですよ。焦らずとも良い……チャンスは必ず巡って来ます」


「けっ、もういい! てめぇと話すだけ時間の無駄だ! もし上手く行かなかったときはどうなるか、分かってんだろうなぁ? 覚えとけや……!」


 捨て台詞を残し、班目たちは去っていく。


 灰原は白いコートを翻し、ぽつりと呟いた。


「……本当に愚かな人たちですね」


 そして、冷たく笑う。


「『もし上手く行かなかったら?』……ふふっ。そんなもしもに、意味などありません。成功してもしなくても、あなた方を待ち受ける未来は死だけなのですから。ねぇ――?」



 突如。

 物陰より奇襲――


 風の流れが、わずかに乱れた。


 ゴブリンが灰原の背を目掛けて、襲い来る。



 カチリ――


 無機質な音と共に。


 世界が、ひと呼吸だけいだ。


 風も、血の匂いも、咆哮も。

 ただ灰原の指先だけが、ゆっくりと動く。


「グ……ギ……?」


 呆けた表情が張り付く。


 ゴブリンの動きは、空中でピタリと静止している。

 まるで空間の一部だけが、切り取られたかのように。


「君も、そうは思いませんか?」


「グギ……ッ!!」


 でっぷり肥えた腹をクリスナイフでなぞりながら、灰原はそう問いかける。


 そのまま喉元に、スッと刃を通した。


「ギッ――!!!!」


 静止がとけると同時に、喉元から吹き出す赤。

 ゴブリンは口から血の雨を吐き、その場に倒れた。


「全滅したフリをして、指揮官である僕の首を狙っていた訳ですか…… 流石は生態系の最下層――悪知恵だけは働くようですね?」



 血に沈む死体を見下ろしながら、灰原はふと、桐生の眼差しを思い出していた。


 御剣の名を口にする時だけ、特別な光を宿す、あの眼差しを。



 ――異端者。


 桐生は御剣をそう呼び、次なる魔眼ホルダーに選んだ。



 ……この僕ではなく。


 なぜ、お前のようなハイエナが……



「桐生様の寵愛は、ただ俺にだけ向けられれば良い。お前は邪魔なんだよ、御剣 一真」


 どす黒い嫉妬心が、灰原の心を静かに侵食していた。

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