第36話 火種
公安本庁、77階――
「魔眼を渡したのですね」
入り口付近に佇む白コートの男が、抑えた声音で問いかけた。
その表情は無機質だが、瞳の奥にわずかな陰りがある。
桐生は机上の書面から目を離さず、軽く笑った。
「意外だったかな?」
「……いえ。貴方の決定であれば、僕は従うだけです」
言葉は従順だが、そこに宿る温度は低い。
桐生はその微細な揺らぎを見逃さなかった。
書類を閉じ、白コートの男へと視線を向ける。
「常平派は最後まで反対していたよ。結局は私の独断で押し切った形だ。散々小言も言われた……『独断専行が過ぎる!』とね」
桐生は口元に手を添え、子供のように笑った。
その無邪気さに、白コートは胸の奥に沈めていた感情を、思わず吐き出す。
「……貴方は長らく、次なる魔眼ホルダーを探していた。なぜ、あの男――御剣なのですか? それに、マザーゲートの攻略ならS級探索者に要請した方が確実かと。今ならあの藤堂 巌も帰国しています」
旧友の名を聞き、桐生の目に懐かしさが灯る。
「帝国ギルドはこの間のイエローゲートで、痛手を負ったばかりだ。それにS級は皆忙しい。公安の地下深くに埋まった得体の知れないゲートに、時間を割く暇などないさ」
桐生は立ち上がり、窓際へ歩み寄る。
頂上から見下ろす東京は、一面白銀の冬の色をしていた。
「そして魔眼ホルダーの話。君の質問に端的に答えるなら――『御剣 一真は異端者だから』だ」
「異端者……?」
白コートの眉がわずかに動く。
その反応に、桐生は愉悦を滲ませた。
「彼は何の見返りもなく、ダンジョンを攻略する。ブルーゲートとはいえ命懸けだ。そんな真似が出来るのは、異端者だけだよ。正義に駆られた者か、ただ強さを追い求める者か、もしくは――」
桐生はゆっくりと振り返る。
「復讐のため、とかね」
その瞳に、六芒星が淡く浮かんだ。
瞳を覗き込んだ瞬間、白コートの視界にノイズのような揺らぎが走る。
「魔眼は常人には扱えない。精神を侵されない、強い意志が必要となる。だからこそ、彼のような人間は貴重なのだよ」
桐生の声色が一瞬だけ低く沈む。
再度窓へと向き直り、ガラスに手をついた。
「――彼がどう変わっていくのか、興味がある」
白コートはその背中を見つめながら、胸の奥に、澱みを蓄えた。
それは言葉にできない、焦げつくような嫉妬。
東京の空は、静かに曇っていた。
――――
2027年 1月 3日
年が明けた。
とは言え、俺の住むボロアパート周辺は、何ら変わらない。相変わらずどこで何をやっているのか分からぬ隣人。滅多に顔を出さない大家。全て平常運転だ。
薄い床に寝転び、俺は球体を指先で転がしていた。
「魔眼……」
地下で見た桐生の眼。
あの六芒星は、いったいどんな世界を見通しているのだろうか。
右目を閉じ、球体を押し当てる。
触れた瞬間、皮膚の奥で脈動のような熱が走った。
ぞわりと、内側が蝕まれる感覚――
心臓が一拍だけ跳ねる。
手がわずかに震えていた。
「……情けねぇな」
恐怖など、とっくに失ったと思っていたのに。
化け物に堕ちたつもりでいたが、俺にもまだ人の名残があったらしい。
エメラルドが、微かに揺れて見えた。
――――
大阪府、浪速区。
繁華街。
とある高級ホテルの一室にて。
湿った暖房の空気と、葉巻の甘い煙が漂う部屋。
班目は冷や汗を流しながら、床に額を擦りつけていた。
ソファに座る男は、札束を指で弾きながら数え終えると、最後の一枚を投げ捨て、深く背を預けた。
「……おい。先月の稼ぎ、これだけか?」
低く響く声に、班目の肩が跳ねる。
「す、すみませんお頭っ……! ここ最近、ブルーゲートがどんどん無くなってて、公安からの報酬金が――あがっ!」
男は靴で班目の頭を踏みつけた。
革靴の底が軋み、床に血が滲む。
「言い訳は聞きたくねぇ。誰がてめぇらハイエナの面倒見てやってると思ってんだ?」
髪を掴み上げられ、班目の鼻から血が垂れる。
「も、申し訳ございませんっ!!」
「東京はこっちと違って、ゲートの発生件数が桁違いだろうが。……さぼってんじゃねぇだろうな?」
「み、御剣です……! 御剣 一真っ! あいつが、ブルーゲートを食い荒らして回ってるんです!」
「……御剣? 渋谷の一件で、てめぇが泣きながら報告してきたあのガキか?」
「あいつ異常なんです! はぐれ探索者のくせに、報酬金も受け取らず、好き勝手にゲートを潰し回ってるんですよ……! 渋谷でやられてから……ずっと、ずっとです……!」
「……で? その御剣って小僧が? あれから何か月も潜り続けてるって言いてぇのか? 得られるもんなんて、なーんにもありゃしねぇのに?」
「し、信じて下さい、お頭ぁ!! 本当に俺ら、もう仕事にならねぇんです……!」
必死の形相で顔を下げる班目に冷めた目線を飛ばし、男は煙を宙に吹く。
「その話がほんとかどうかは、俺の伝手を使えばすぐに裏が取れる。……ま、とは言え……てめぇに嘘をつく度胸があるとも思えねぇわな。信じてやるよ、班目」
班目がぱっと顔を輝かせ、男を見やる。
男の後ろには、でかい古看板。
そこに荒々しく記された文字――
獄炎ギルド。
S級探索者 西園寺 龍三。
西園寺は葉巻の灰を指先で落とし、薄く笑った。
「人様の狩場を荒らす不届き者には、お仕置きが必要だな」
西園寺は班目を見下ろし、冷たく告げる。
「班目。てめぇに名誉挽回の機会をくれてやる。そのガキ、消してこい。手段は問わねぇ。うまい事処理出来たら、臨時収入の大盤振る舞いだ」
「で、ですがお頭っ! アイツとまともにやり合っても、俺に勝ち目なんて――」
「てめぇら、ボコられてきたもんなぁ。クク……」
西園寺は葉巻をくゆらせながら続けた。
「潰しの効くギルドを斡旋してやる。A級が数人、B級、C級もゴロゴロいる。好きに使えや」
そして、笑みを消す。
「藤堂んとこがバカやって、折角いい気分だったのにな。萎えちまったよ。もしも失敗した時は――次はてめぇが消える番だぞ? 斑目」
部屋の空気が一瞬で冷える。
班目の目からは、既に生気が失せていた。
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