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第32話 禁忌の力

 アタッシュケースが、静かに開かれた。


 そこにあったのは、緑の球体。

 ただの緑ではない。

 覗き込んだ瞬間、視線の奥を掴まれ、引きずり込まれる。


 ――深い、翠玉エメラルドグリーン


 宝石のような輝きなのに、どこか脈動している気配がある。


 空気が震えた。

 視界がじわりと波打つ。

 胃の奥が裏返り、喉が渇く。


「……これは?」


 自分の声が、半拍遅れて耳に届く。

 鼓膜の裏で、ぱちぱちとノイズが弾けた。


 桐生きりゅうは、まるで雑談でもするように淡々と告げる。


「魔眼だ」


 その言葉が落ちた瞬間、背骨の内側を冷たい指がなぞった。


 魔眼――?


 ゲームやらアニメで聞く、あの魔眼の事か?

 言葉としては馴染み深いが、実物を目にするのは初めてだ。


「……魔眼、って……俺はてっきり武器や防具なんかの魔道具が出て来るものかと思ってましたが……」


 桐生は球体を見つめたまま、静かに語り始めた。


「これも魔道具の一種と思ってくれて構わないよ。魔眼とは、ダンジョンの深層で稀に発見される『異能の核』だ。我々に、禁忌の力を授けてくれる」


「禁忌の……力? 何ですか、それは……?」


 桐生は魔眼を手のひらで転がしながら、薄く笑う。


「……さてね。この眼にどんな力が宿っているのかは、実際に移植してみなければ分からない。神のみぞ知る、だ」


 移植――

 その単語が、皮膚の下を這い回る。


 桐生は俺の反応を楽しむように、続けた。


「魔眼は所有者の目に移植する事で、初めて効力を発揮する。やり方は簡単だ。この球体を左右どちらかの目にあてがって、眼球の上から、ぐっと押し込むだけ――」


 自分の右目に球体を当て、押し潰す真似をしてみせる。


「な? 簡単だろ」


 その笑顔が、妙に優しく見えた。


 優しいのに。

 ――底が、見えない。


「……簡単って……どこがですか。自分で目を潰して、異物を押し込めって……」


 常人の思考じゃない。

 狂気の沙汰だ。


 眼孔が、チリチリと焼け付く感覚に襲われた。


「……目を潰して、魔眼を入れて……そこで初めて能力が明らかになるんですよね? もし、それが使い物にならない力だったら?」


 俺の疑問に対し、桐生は当然の事のように言い放つ。


「一度移植した魔眼は、もう二度と取り外せない。持ち主と一体化するからね。無理に外せば……死ぬよ」


 まるでその光景を過去に見た事があるかの様に、単なる事実として。

 淡々と告げる声が、逆に恐ろしい。


 だが――

 その声音には、恐怖だけではない何かが混じっていた。


 信念。

 覚悟。


 正義に殉じる、狂信者の匂いだ。



 桐生は続ける。


「だが、そう悲観する事ばかりでもない。我々執行部隊にも魔眼ホルダーが二名いるが、いずれも、人智を超える力を授かった。ただの無能力者では、決して到達できない領域だよ。魔眼は、選ばれた者にだけ開く扉だ」


 毒島どくじま木羽きばが、誇らしげに桐生を見据える。

 二人の視線には、畏怖と羨望の色がありありと滲んでいた。


 まさか――


 見開かれた俺の目を見て、桐生は満足げに頷いた。


「御剣君。君はただの『無能力者』では終わらない。終わらせない。私はね……才能のある者が、凡庸の檻に閉じ込められているのが、我慢ならないんだ」


 その言葉が、胸の奥に刺さる。


 俺は――凡庸なのか?



 ガキの頃に閉じ込められたダンジョン。

 ただがむしゃらに、モンスターを殺す事に邁進した。



 あの地獄を生き延びた、この俺が。

 凡庸――?



 ……いや、違う。違うはずだ。

 だが胸の奥で、何かが囁く。


「お前は、まだ足りない」と。



 その瞬間、桐生の左目が変貌した。


 瞳孔の奥に、群青ぐんじょう六芒星ろくぼうせいが浮かび上がる。


 視線が吸い寄せられた。

 見つめ返された瞬間、思考が一瞬空白になる。

 漆黒のゲートを前にして、その青は、全てを飲み込む深海の様だった。


 胸の奥がざわつく。

 恐怖と同時に、奇妙な憧憬しょうけいが湧き上がる。


 怖い。

 なのに――目が離せない。


 心が高鳴る。


「ご想像の通りだよ。この私、桐生 正臣こそ、人類最初の魔眼ホルダーだ。――さあ、御剣 一真君。きみも、こちら側へ来る覚悟は出来たかな?」


 エメラルドの果実を差し出し、微笑む桐生。


 その声は、誘惑のように甘く。

 断罪のように、冷たかった。

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