第31話 マザーゲート
扉の奥に待ち受けていたのは、目の覚めるような漆黒。
漆黒の、渦だった。
空間そのものが捻じれ、黒が黒を飲み込み、底の見えない深淵がゆっくりと回転している。
「マザーゲート……と、我々は呼んでいる」
放心する俺を呼び戻したのは、桐生のその一言。
「……マザー、ゲート……?」
聞きなれぬ単語だ。
首を傾げる俺を見て、桐生はフッと笑った。
「ゲートの種類は3種類。ブルー、イエロー、そしてレッド……これが世間で言う『一般常識』だ。だが、本当はもう一つ存在する――」
桐生は渦へ向かって歩を進め、前で立ち止まる。
その背中は、黒い渦に吸い込まれそうなほど静かだった。
「今だ踏破した者がいない、漆黒のダンジョン。それこそがこのマザーゲートだ。我々公安の最終目標は、このゲートの謎を解き明かす事にある」
場の空気が張り詰める。
茂宮、吉田、葵――皆が息を呑んでいた。
俺は右手を僅かに上げる。
「……いくつか質問、良いですか?」
「どうぞ」
「まず一つ目。俺は長年ダンジョン攻略を生業にしてきたが、こんなゲートの存在は知りませんでした。このゲートは公安が秘匿しているって解釈で良いんですかね?」
「概ねその解釈で問題ない。だが、公安でもこのゲートの存在はトップシークレットだ。知るのは一部の人間のみだよ」
横目で吉田を見ると、桐生は何かを察したように笑った。
「茂宮少佐たちがこのゲートの存在を知ったのはつい先日のことだ。君の捜索を依頼した際に、ある程度の情報は開示した」
「俺、ほんとやべぇとこに足を突っ込んじゃったって思いましたよ……!」
吉田の震え声が響く。
公安の人間でさえ知らぬ領域――俺が踏み込んだのは、そういう場所だった。
「……二つ目。このゲート、いつからここにあるんですか? ……というより、なぜ公安の地下に?」
「――順番が逆だな。ゲートは以前より、ここにあったのだ。我々が後からここに本庁を建てたのだよ」
「なにっ……!!」
公安本庁が建てられたのは二十年前。
その時には既に観測されていた――?
「じゃあスタンピードは――!?」
「起きなかった」
桐生は静かに言い切る。
「なぜだろうな。この漆黒のゲートは、いくら時が経とうとも、スタンピードを起こさない。このゲートだけが、唯一の例外なのだよ」
桐生の目が細められる。
その奥にあるものは、俺には見えない。
「……最後の質問です。このゲートの先には……いったい何があるんですか?」
「塔だ」
塔――
「遥か高き、巨大な塔が、ポツンとひとつ建っている。それだけだ」
「それだけって……」
「ダンジョン……というのだろうかな、アレも。塔の中にはモンスターも出るし、独自の生態系が根付いている階層もある。異様な空間だよ。頂上には、いったい何があるんだろうね……」
桐生は虚空を見つめ、まるでそこに塔の影を見ているかのように目を細めた。
「我々は、それを確かめたいのだよ」
その時――
漆黒の渦が、ふっと揺らいだ。
突如、渦より人影が現れる。
「ん~ つっかれたぁ~」
「へっ! 楽勝楽勝! 欠伸がでらぁ!」
白コートの男女二人が、渦の中から歩み出た。
女は桐生を見るなり、目を輝かせて駆け寄る。
「あっ! 桐生さまぁ♥ きららの帰りを待っててくれたんですかぁ♥」
「お帰り、毒島君。木羽君。今日の攻略はどこまで進んだかな?」
「もーっ!! 毒島は止めて下さいって~!! きららはきららです! よろしくです♥」
遅れて男が気だるげに歩み寄り、小指で耳をほじる。
「うっせーぞきらら、早く報告しろ」
「あ? なんだ木羽? 気安く『きらら』なんて呼んでんじゃないわよ。握り潰されたいの?」
「けっ、うるせーな……じゃあ毒島、早く報告を――」
「毒島って呼ぶなって言ってんでしょ! 絞め殺すわよ?」
「どうしろってんだよ!?」
……何だこいつらは?
公安の地下で、渦の前で、わいのわいのと騒ぐ二人。
この空気の読めなさ――絶対ヤバい奴らだ。
場にそぐわぬ軽薄さ。
だが、その奥に潜む「只人ならぬ気配」だけは、肌で感じた。
桐生は困り笑いを浮かべ、咳払い。
「……毒島君。報告を」
その一言で、毒島は即座に態度を切り替えた。
「はーい、了解です♥ 本日の攻略は三階層、これで到達階層は三十二階になりました! まだまだ余裕ですっ!」
「そうか……だが常に不測の事態には備えるべきだ。攻略ペースは変わらずに、このままで行く。二人ともご苦労だったな、休んでくれ」
二人は桐生に一礼し、エレベータへ向かう。
その途中で、俺を見て足を止めた。
「ん~? この子、見ない子ですね……?」
しかめっ面で全身を舐め回す毒島。
暗がりでは分からなかったその姿が、露わとなる。
「あっ、分かったぁ! ねぇ桐生様。この子が桐生様の言ってた『隠し玉』ですよね?」
毒島は紫のツインテール、木羽は八重歯のツンツン頭。
そして何よりも目立つのは、やはりその純白のコートだ。
公安の――執行部隊。
俺もテレビで何度か見た事はある。
スキルを持たぬ公安が、高レベルのダンジョンを攻略し得る唯一の方法。
それが、こいつらの存在だ。
超人離れした肉体。
卓越した戦闘能力。
各々が専用の魔道具を操り、能力者顔負けの力を有する超人集団。
(ある意味、能力者よりも厄介な存在だな……)
桐生が俺の方へ向き直る。
「さて、それでは本題だな。御剣君、君をここに呼んだのは他でもない。君に、このマザーゲートの調査をしてもらいたいんだ」
……だろうな。
ゲートの存在を言い渡された時から、薄々そんな気はしていた。
「無論、報酬は用意しているよ」
桐生が右手に持っていたアタッシュケースを持ち上げる。
事前に茂宮から聞いていた。
こちらが俺の本命だ。
――だがその中身が何なのか。
俺はまだ、詳細を知らない。
空気が変わった。
場の温度が一段階、下がった気がした。
金属が擦れる、乾いた音が響く。
次の瞬間、ケースが静かに開かれた。
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