第29話 甘いひと時
靴を脱ぎ捨て、薄い床板を踏みしめる。
今日のゲート攻略は、予想以上に手こずった。連日の無理が祟っているのかもしれない。
魔道具『落葉椿』が手に入った事で、ダンジョン攻略の効率が目に見えて向上した。とは言え便利な反面、肉体への負担も増えた。こういう日は、体を休めるが吉だ。
という訳で――
「やっぱエクレアだわな」
レジ袋をかさかさと漁り、中から『黒い稲妻』――俺が勝手にそう呼んでいる、最強のスイーツを手に取った。
ミニ○トップが近場にない俺のボロアパート。
そこらのコンビニじゃ満足できない程、俺の舌は肥えてしまっている。
だが唯一、このエクレアだけは別だ。
チョコレートでコーティングされた表面。
口に入れた瞬間、パリッとチョコが砕け、柔らかい生地と、中のカスタードが混ざり合う。
まさに至福の時間だ。
シュークリームと違って、クリームが飛び散りにくい点も評価ポイントだ。
ファ○マの『たっぷりクリームのダブルシュー』は絶品だが、思いっきりかぶりつくと、中のクリームが飛び出して、袋にべっとり付いてしまうのが玉に瑕だ。
「~♪ ~~♪」
冷蔵庫からパックの野菜ジュースを取り出し、机の前へ。
袋を開け、いざ実食――
ぴんぽーん。
「…………」
インターホンが鳴る。
誰だよ。
俺の至福の時間の邪魔をする奴は……?
無視を決め込もうと思った刹那――
ぴんぽーんぴんぽーんぴんぽーん。
無慈悲な連打。
ふざけやがって……
俺はエクレアを袋に戻し、仕方なく無言で扉を開ける。
「どちらさんですか?」
そこにいたのは――
「よ……よぉ、御剣…… その……久々だな……」
「…………茂宮」
ぎこちない笑顔。
視線を合わせようとしない。
それは、意外な訪問だった。
「どうしたんだよ、茂宮。なんで俺の家に……?」
「……御剣、その、だな……」
歯切れの悪い返答。
コートの内側で身をよじり、ぶるりとひとつ震えた。
外で話すには、12月の気温はきついだろう。
「とりあえず中に入るか?」
「……おう」
靴を脱ぎながらも、茂宮の肩はわずかに震えていた。
あの時の――
恐怖がまだ、残っているのだろう。
無理もない。
「それで? 何しに来たんだ、茂宮。……と言うより、良く俺の住んでる場所が分かったな?」
「……まあ仕事柄な。そういうのは得意なんだわ」
「公安一課だったか? この時期は忙しいだろ?」
「……まあ、な……」
静寂が横たわる。
会話が続かない。
「……長くなりそうなら、食っても良いか?」
「……? 食うって、何をだよ?」
俺は机の上に放置された袋を指差す。
「エクレア」
「エク……は……?」
生地にかぶりつく俺を見て、茂宮は一瞬放心した。
「やっぱりカスタードは最高だな」
そして、プッと笑いが漏れる。
「あっはっは! おめぇはほんとに、面白れぇ奴だよ! 御剣!」
さっきまでの震えは、いつの間にか消えていた。
「あーっ!! くっそ! 辛気臭ぇのは止めだな、止めっ!」
頭をがりがり掻くと、茂宮は改めて俺に向き直る。
「御剣っ!! すまんかった!!」
深く頭を下げた。
「…………何の事だ?」
「渋谷、ブルーゲートの一件だよ! お前に……銃を向けちまったじゃねぇか…… 我ながら呆れたよ。命の恩人相手に、あの態度はあり得ねぇ……!」
「別に気にしてない。あれが普通の反応だろ」
管理者を相手にすると、どうにも冷静さが消える。
奴らをいたぶり、苦しめ、殺してやりたいと。
そんな黒い衝動に、俺は支配される。
「いや、それじゃあダメだ! これは俺のけじめの問題なんだよ!」
「……面倒だな」
「面倒って言うなよ!?」
「じゃあ今度、ちょっとお高めなスイーツでも奢ってくれ」
茂宮は一瞬ぽかんとした後、フッと笑った。
「……ああ。任せとけ!」
その笑みは、あの日の緊張とは別物だった。
ようやく、こいつと真正面から話せる気がした。
だが、茂宮は直ぐに表情を引き締める。
「……で、本題なんだがよ。お前に謝りに来たのは、実は半分だ」
「半分?」
「もう半分は――『知らせ』だ」
茂宮は声を潜め、俺の方へ身を寄せた。
「御剣。お前ここ最近、ブルーゲートで暴れ回ったろ? 公安の上層部が、お前の動きに目を付けた」
「ダンジョンが攻略されれば、公安としても万々歳だろ?」
「……まあそうなんだがな。興味を持った野郎が、ちと曲者だ……」
そこで一度区切る茂宮。
待てど言葉は続かないので、こちらから促す。
「誰なんだよ、その曲者ってのは?」
「…………『剣聖』桐生 正臣」
その名を聞いた途端、背筋がざわめく。
口に残るエクレアの甘さが、急に遠ざかった。
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