第26話 受け継がれる遺志
上層階は、静まり返っていた。
消滅直前のダンジョンが有する、異様な静寂。
「…………」
部屋の中央に横たわる彼女。
心臓に穿たれた孔。
それをやったのは紛れもない、この俺だ。
俺は自分の意志で彼女を殺し、それでも前へと進むと決めた。
だからこの結末に、後悔はない――――
……はずだった。
「…………ん?」
彼女の前髪で煌めく、銀色の髪留めが目に入る。
それはただの銀色。
言ってしまえば、何の飾りっけもない髪留めだ。
だが、良く見れば――――
それは神代の身に着ける白銀の鎧の輝きと、良く似ている気がした。
俺は彼女の前髪から、髪留めをそっと拾い上げた。髪留めは、まだわずかに温もりを残している。
目を瞑りながら、髪留めをポーチの中へと入れた。
胸の奥では、何かが静かに燃えている。
悲しみも後悔も、俺には必要ない。
ただ殺す。
今も昔も、これからも。
怒りだけが、俺を前へ押し進める原動力――――
ダンジョンの崩落が始まる。
今回の攻略は、苦い勝利であった。
――――翌日。
新宿のシャッター街。
渋面を浮かべた藤堂の前に、俺はいた。
先遣隊の15名。
本隊では椿と羽黒の2名。
イエローゲートの攻略に、計17名もの死者が出る、異例の事態となった。
事はまだ公にはなっていないが、世間の混乱は避けられないだろう。
帝国ギルド程の大御所であっても、ダンジョン攻略は侮れない。常に死と隣り合わせの異空間。今回の顛末は、民衆に再び恐怖と不安の影を刻むであろう。
「嫌な役を押し付けたのう、御剣よ……」
開口一番。
藤堂の言葉は、それだった。
「団員達から、事情は聞いておる。寄生型のモンスターだったんじゃろう? 今回の相手は」
俺は無言のまま、ゆっくりと頷く。
藤堂は自身の額の皺をなぞりながら、言葉を続けた。
「アレは人の倫理を破壊する、厄介な相手じゃ。見誤ったな…… 儂の浅はかな采配で、多くの団員を失った……」
握りしめた藤堂の拳からは、血がひとすじ地面へと流れ落ちた。
「もしかしたら、エリスちゃんだけでは……部隊は全滅しておったやもしれん…… だからこそ、儂はお主に、最大限の感謝と敬意を送りたい」
藤堂が頭を深く下げる。
「儂の仲間を救ってくれて、ありがとう」
「…………頭を上げて下さい、藤堂さん。俺は、そんな……」
顔を上げた藤堂は、にかりと笑う。
「敬語が戻っとるぞ、御剣!」
つられて、つい俺の口元も緩んでしまった。
……こんな時に、いったい何をやってるんだろうな、俺は。
「それと、此度の攻略報酬だがのう。制限は取っ払う! 帝国ギルドの保有する魔道具、なんでも好きなもんを持って行っとくれ……! それが今の儂に出来る、せめてもの償いじゃ」
「……魔道具」
そう言えば、そんな契約だったか。
つい先日のやり取りのはずなのに、遠い昔の事の様に感じる。
俺は腰に付けたレイピアを一瞥し、深呼吸。
藤堂へ、告げる。
「魔道具は……要らない。ダンジョンの攻略中に、コイツを手に入れたからな」
レイピアを藤堂の視線に突き付けると、藤堂は考え込む。
「……だがそれは、お主が隠し部屋で手に入れた代物じゃろう? 部屋を見つけたのはお主の功績じゃ。だったら、報酬は別であるべきじゃよ」
そうだ、別であるべきだ。
魔道具はもういらない。
代わりに――――
「……最初の条件に、戻してくれないか?」
藤堂が首を傾げる。
そしてもう一つ。
こちらの方が、重要だろうか。
「……それと、住所だ。彼女の、住所…… もし知ってたら、教えて欲しい」
――――
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
古い一軒家の玄関に響くその音を、少年は長らく耳にしていなかった。
この家に訪問者がやって来るなど、いつ以来の事だろうか。
「はーい」
引き戸を開けた瞬間、夜の冷たい空気が流れ込んだ。
9月とは言え、日が落ちると途端に肌寒い。
少年は周りを見渡した。
しかし、そこには誰の姿も無い。
「……何だよ……いたずらか?」
視線を落とした先――――
ひび割れたコンクリートの上に、黒いアタッシュケースが置かれていた。
「…………え? 何だこれ……?」
まるでつい先ほどまで、誰かがそこに立っていたような、異質な空気を感じる。
少年は思わず立ちすくむ。
その時、奥から咳き込む声がした。
顔色の悪い母が、ふらつきながら玄関に姿を見せる。
「どうしたの、省吾? お客さん……? ゴホッ、ゴホッ……」
少年――省吾は、慌てて母を支えた。
「いや……なんか、玄関にこれが置かれててさ…… ってか母ちゃん! 起きて来ちゃダメだって!」
咳き込む母を支えながら、省吾はアタッシュケースを指差す。
母は息を整え、玄関の外を見やった。
「その黒いケース……? うちの前に置かれていたのかい?」
「……うん」
身に覚えのない出来事に、二人の表情には不安が浮かぶ。
誰かの落とし物か、はたまた置き配の誤配か――――
どちらにせよ、中身を確認しなければ判断が出来ない。
二人はアタッシュケースを家の中へ運び、居間のちゃぶ台の上に置いた。
その気配を察したのか、兄妹たちが次々と集まって来る。
「お兄ちゃん、なにこれ!」
「すげぇ~ 黒くてかっこいい!!」
母が震える指で、留め金を外す。
蓋が開いた瞬間、中から現れたのは、ぎっしり敷き詰められた万冊の束。
母は息を呑む。
「うわっ……! すっげぇ!」
「お金だ! いっぱいある!」
兄妹たちがはしゃぐ中、母と省吾だけは、何かがおかしいと眉を潜めていた。
省吾がケースの隅に挟まっていた、白い封筒を見つける。
封筒を取り出したその拍子に、
カラン
と、小さな音を立て、髪留めが落ちた。
省吾は髪留めを持ち上げ、表、そして裏面へと、ゆっくり視線を移す。
「…………これ……姉ちゃんの、髪留め?」
何気なく放たれたその一言で、母の顔が強張った。
母は震える手で封筒を開き、手紙を読み始めた。
兄妹たちは固唾をのんで、その様子を見守る。
手紙の途中で、母の目線が止まった。
部屋の空気が変わる。
「…………桜子…………」
その名を読んだ声は、か細く、かすれていた。
母の頬を、一筋の涙が伝った。
その涙を見た瞬間、省吾は悟った。
言葉では表せぬ、ただ胸の奥が、冷たく締め付けられるような感覚で。
兄妹たちも、震える母の肩を見て、ようやく事態の重さを理解し始める。
この夜、家族は初めて――――
桜子のことを知った。
――――
今日のダンジョンは、港区のブルーゲート。
俺は相変わらずソロで、モンスターの群れに突っ込む。
「はああああああつ!!!!」
踏み込み、敵を一閃。
屍の山を越え、ダンジョンの最奥を目指す。
返り血を浴びたレイピアが、淡く輝く。
俺の新たな得物。
魔道具、落葉 椿。
その名を、胸に刻み込み――――
無能力の俺は、今日もモンスターを狩り尽くす。
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