第25話 19:00
会議室に、有森優希が入ってきた。
白木が隣で支えながら。
それは芝居に見えた。
感情が動かない。
送還を拒絶する人を、これまで何人も見てきた。
「そこの中央にいてください。
白木は離れて」
二人とも、指示に従う。
「なぁ、今回は」
「それ以上は言うな」
白木の言葉を遮る。
機材が自動的に起動する。
低い音を立ててうなり、部屋の中央に影を落とした。
犬が倉橋の隣に来て座る。
「送還を開始します」
静かに力強い声が、部屋を通っていった。
有森優希が倉橋をキッと睨みつけた。
「あなたに何の権利があるんですか!!」
「私は白木さんと一緒に、あちらの世界でたくさんの人を救ってるんです。
世界のために戦ってる。
あなたは、ここで、何をしてるんですか?」
倉橋は帰還紋に意識を向ける。
雑音だ。
認識できる世界が三つ。
ここ。
白木が調査に行っていた世界。
あと、もう一つ。
最後の一つに、座標を固定する。
倉橋の集中に合わせて機材の唸りが大きくなる。部屋の空気が重くなっていく。
有森優希が、動こうとしていた。
動けないのだ。
送還はすでに始まっている。
「私は、白木さんの側にいなくては※△◯⬜︎※…」
倉橋は、有森を見た。
口が、のびている。
顎の部分が、溶けたように垂れ下がっていた。
ガタッ
白木が椅子を倒して立ち上がった。
「優希に、なにを!」
白木の怒声は倉橋に向けられている。
有森優希の変化は全身に及んでいた。
肉がただれ落ちるように崩れて行く。
骨格のようなものも。
白木が倉橋の方に動いた。
途中で足が止まる。
白木の足元には犬がいて、ズボンにかみついていた。
「△◯⬜︎※…」
有森優希の声が室内に響く。
刹那
有森から倉橋に何かが飛び出してきた。
粘液のようなものが帰還紋に貼り付き、皮膚を焼く。
汗が吹き出した。
帰還紋が暴れ始めていた。
固定した座標がぶれる。
有森優希の輪郭がぼやける。
送還は失敗できない。
座標が揺れ続ける。
「…しら…ぃ…△◯⬜︎※…」
有森優希の声が、また、響く。
白木は有森をじっと見つめていた。
能面のような顔。
不意に、こちらを向いて手をかざした。
「○◇▽!」
短い掛け声と共に手から倉橋に光が走る。
倉橋を撃った光は電撃のようだった。
衝撃で体が硬直し、思考が一瞬飛ぶ。
それでも、帰還紋が光を放つ。
光は"有森優希"を包みこんだ。
彼女の輪郭が、影が、だんだんと光に溶けていく。
帰還紋が、強く脈打った。
光が消える。
19:00
会議室の時計が時間を知らせる。
長いようで、短かな時間。
部屋の中から、
有森優希はいなくなっていた。
倉橋は膝をつき、右手を見た。
帰還紋の上に、黒い跡が残っている。
白木を見る。
彼は両手を握りしめて、下を向いて肩を振るわせていた。
「……彼女のあの姿は?」
白木は答えなかった。
一度顔を上げて、倉橋を睨む。
また、顔を下げる。
「知ってたさ……」
絞り出すような声だった。
「……最初からな。」
犬はいつの間にか、倉橋の足元に座っていた。
倉橋の手をじっと見ていた。
ドクン
帰還紋が脈打ち、倉橋の心臓が締め付けられる。
黒い跡から、血が滲んでいる。
倉橋はハンカチで帰還紋をおさえた。
「19:00 有森優希の送還を完了」
静かな部屋に、声は溶けていった。




