第26話 ありがとう
倉橋は自席で右手を眺めていた。
手の甲から肘まで、"帰還紋"と呼ばれる記号が並んでいる。
送還した世界が増えるたび、記号が増えてきた。
送還のログであり、送還の触媒。
今回の送還。
増えたはずの記号がなかった。
あるのは、有森優希の残した黒い焼け跡。
それは、他の記号のいくつかに重なるようについていた。
犬も隣で同じように帰還紋を眺めていた。
「異常なし、とは言えないよな」
犬は答えない。
倉橋はPCを立ち上げ、報告書を確認する。
未来の、今では事実となった報告書は、まだそこにあった。
初見世界への送還。
世界名:※⬜︎◯
対象:有森優希。女性。
世界名が記されていた。
自分が送ったのは、まだ名前の登録されていない世界だったはずだ。
座標がずれた?
もう一度、帰還紋の焼け跡を見た。
焼け跡のついた記号の中に、彼女が送られた世界の記号があった。
世界名の欄を「未登録」に書き換える。
虚偽報告は罰則の対象だが、これが正しいように思えた。
報告書はメールで送るのが常だ。
宛先は上司と、今回の関係者。そして、自分。
書類に不備がないことを確認して、送信ボタンを押した。
自分にも報告書が届くはずのメールは返ってこなかった。
そんな気はしていた。
白木が、職場を訪ねてきた。
「あの報告書は本当か?」
彼には届いていたらしい。
「送り先は違うがね…」
倉橋は静かに答える。
白木の目が鋭く倉橋を射抜く。
「虚偽は重……」
倉橋は手で制した。
「※⬜︎◯だよ」
「あんたが今調査に向かっている世界だ」
白木は背中を向けた。
「すまない」
そのまま、職場から帰っていく。
犬が後ろ姿を眺めているのをみて、
倉橋もそうした。
何かを決意したような背中だった。
倉橋は3日間、謎の高熱で仕事を休んだ。
ここ数日の夢がなんども繰り返された。こういうことは初めてだった。
明けて出社すると、メールが溜まっている。
その中で一つ。
上村千早からのメールがあった。
タイトルだけ。
ありがとう。
それだけだった。
犬が膝の上に頭を乗せていた。




