五日目(4):悪党と岩巨人の事情
「くそ、急げライナー、こちらだ!」
「ライさま急いで! もう竜がすぐ近くに!」
「わ、わかってる! くそ、えいやー!」
ずしゃあああ、と滑り込んだ俺のすぐ後ろを竜の顎がかすめていく。
「おい、へばるなライナー! この狭い通路は竜自身は入れないが、酸の息が来る! せめて距離を稼ぐぞ!」
「そ、そんなこと言っても……! ちょっと、息が、切れ……」
「風の帳!」
ジロロの声と共に、ぶわっ! と俺の後ろに壁のような空気の膜ができた。
「少し時間稼ぎにはなりますが、根本的なものではありません! 急いで!」
「ああもう、わかったよ!」
俺は走り始めた。
さっきからなにに追われているかというと、もちろん洞窟緑竜である。
シンから『竜の巣に走り、竜母の庇護下に入れ』と言われて馬鹿正直に向かった俺たちを待っていたのは、餌場をセンエイに荒らされて怒り狂っていた洞窟緑竜の群れだった。
とんでもない多勢である。それに、そもそも一匹だけだったとしても竜に対抗するには戦力が絶望的に足りない。逃げるしかない。
だが。
「くそっ、囲まれてるぞこれ。いまはなんとかやり過ごせているが、このままだと追い込まれるのも時間の問題か……!」
「どうする?」
「それがわかってればすぐにでも案を出してる。だが、現実的になんとかできる案はあるのか?」
カシルの言葉に、俺は思わず沈黙し、
「なくはないです」
と、ジロロが声を上げた。
「え、マジ?」
「はい。可能なら使いたくなかったのですが、この際は仕方がないでしょう」
「どんな案だ?」
カシルの問いに、ジロロは肩をすくめた。
「そもそも、この地の竜と我ら岩巨人は交流を持っています。刺激さえ与えなければ、交渉が可能です」
「…………。
いや、あの暴れた状態からか?」
「ですから、暴れている原因が問題なんですよ」
ジロロは言って、キスイと俺を見た。
「たしかに餌場を荒らされた経緯もあるでしょうが、それ以上に竜種は、この世界の力の流れに敏感な種族です。高い神格の持ち主が揃っているこの状況では、警戒して攻撃的になるのも無理もありません」
「え、つまり俺たちのせい?」
「はい。ですから……」
ジロロはうなずいて、さっきまで来ていた方を振り返った。
「私が単独で行って、彼らをあなたたちのいない方角に誘導します。私一人ならば、襲われる危険も少ないでしょう」
「……いいのか?」
カシルの言葉に、ジロロはちらりと彼女を見て、
「キスイさまの命は預けました。……この意味、わかりますよね?」
言葉にカシルは直立し、
「了解した、ラ・ジロロ。岩巨人として当然の責務を果たそう」
「では、行ってください。私はこれで」
「ジロロ、大丈夫なんですよね?」
「ご心配なく、キスイさま。……では」
言って、彼女は一人、その場を離れた。
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「……で、岩巨人として当然の責務、って、なんだ?」
それからしばらくして。
なんとなく気まずく、沈黙したまま歩みを進めていた俺たちだったが。そのままでは不毛なので、俺は一応口火を切ることにした。
カシルは肩をすくめて、
「そりゃ、もちろん『生贄』を守る義務だよ。聞いててわからなかったのか」
「まあ、岩巨人にそういう義務があるって話はわからないでもないけど……そもそも、おまえはその『生贄』を拉致しに来た奴じゃん」
「だから『いいのか?』って聞いたんだよ。私は」
カシルはため息をついた。
「そもそもジロロ殿の言によれば、竜が興奮していた理由は神格の存在だ。ア・キスイやおまえならともかく、私は無関係だろう。
だから彼女は、私を連れて戻る手もあった。だが、そうしなかったわけだ」
「つまり?」
「さっきのフレイアみたいな、問答無用で襲ってくる相手が他にも残っているかもしれないだろ。そういうときに、ア・キスイをお守りしろということだよ。
そのための戦力を残しておく方が、私を『生贄』から遠ざけるよりも重要だと彼女は踏んだんだ。つまり、ここから先も危険がいっぱいということだな」
「うげー、マジか……」
「……それだけではありませんよ?」
言ったのは、キスイだった。
カシルは目をぱちくりして、
「それだけではない? どういうことです、ア・キスイ」
「あなたはセンエイさんにずっとおびえていたから気づいてないと思いますが、ジロロは合流してから、あなたのことをずっと観察していたんですよ。
そして、信頼に足ると判断したということです」
「いえ、しかしですね。私は『生贄』であるあなたを誘拐しようとした敵で――」
「ですから」
キスイは肩をすくめて、笑った。
「ジロロはこう言ったんですよ。『あなたの主が『生贄』を害そうとした際には、命を賭してそれを阻止しろ』――そういうことです」
言葉にカシルは一瞬呆けたような表情になり、それからため息をついた。
「……そういうことか。くそ」
「まあ、それ以前にわたしは、あなたのような岩巨人がどうして今回のような戦いに巻き込まれているかがよくわからないのですが。なにか事情があったのですか?」
「しょせん我らは傭兵ですので。金以上の事情はございませんよ」
「ふむ。……では、あなたの主についての質問です。そもそも『生贄』を取り戻したとして、その後どうするつもりだったのですか?」
「それは……」
カシルは少し考え、
「もちろん、サーラフィージョの都へとお連れするつもりかと」
「その場合、わたしは次の皇帝を決めることになるのですか?」
「そうなります」
「では、皇帝を決めるに当たって、わたしはどんなルールを用いればよいのですか?」
俺は歩きながら、二人の会話を聞いていた。
しょせん、岩巨人の間のもめごとについて俺は部外者である。キスイが危ないとなれば参戦するが、そうでないならば特に干渉する理由もない。
ただ、少しずつカシルがキスイに気圧されていく雰囲気だけは、感じ取っていた。
「ルール……いえ、伝統的なルールを用いればよろしいのでは? 岩巨人の皇帝は『生贄』が神託で決めると……」
「それでいまの皇帝以外を選んだとして、いまの皇帝はおとなしく譲ってくれるでしょうか?」
「…………」
「いえ、これは意地悪な言い方でしたね。視点を変えましょう。
カシル、わたしが気になっているのは、あくまであなたの雇い主の目的なのですよ。『生贄』をサーラフィージョの都に返す、それによってあなたの雇い主にはどんな利があるのです?」
「それは……いえ、しかし『生贄』の帰還は帝国にとっての悲願で――」
「それこそ、いまの皇帝はそれを望んでいるでしょうか? あるいは皇帝の座を狙う人物は、それを望むでしょうか?」
「…………」
「『生贄』は、制御不能の存在です。誰を皇帝として指名するかわからないし、それに逆らうと面倒なことになる」
キスイはあくまで柔らかく微笑みながら、しかし断言した。
「制御できる権力を欲している人物にとっては、むしろ邪魔でしかないのですよ。百五十年前の戦争だってそれで起こったようなものです。いまの帝国にはわたしの帰還を願う大貴族など、どこにもいないのではないでしょうか?」
「それでも! 岩巨人の民たちは、未だ『生贄』の帰還を熱望していて……」
「民たちの話ではないんです。これは政治の話なんですよ、カシル」
キスイは諭すように言った。
「あなたの主はそこそこの大貴族だとお見受けします。二千名以上の兵力を動員して、帝国から遠く離れたこの地まで遠征に来れるだけの財力と権力があるわけです。そのような方にとって、わたしが帝国に帰還することで、いったいなにが得られるのですか?」
「それは……」
「『生贄』を帝国に取り戻した名誉を得られる。まあ、そんな回答が典型的でしょうが、この遠征にかかった費用と労力を鑑みて、それだけで動きますか?」
「し、しかし……それ以外に、なんの目的があり得るのです? この集落で我らにとって価値があるものといえば、『生贄』たるあなただけでしょう」
「違いますよ、カシル。価値があるのはこれです」
キスイはそう言って、胸にかけているペンダントを指さした。
……つまり、『生贄』の力を保障する、女王の神器を。




