閑話(3):サリ・ペスティという魔女-1
丘の上は夜になっても、星明かりで見晴らしがよいままだった。
(……なにしに来たんだろう、わたしは)
さっき竜の咆吼が聞こえたときは、まわりは騒然としていたが、自分はなんともなかった。元より、あの程度の魔力で乱れる心は持っていない。
いつの間にか覆い被さるように添い寝していたセンエイを無理やりひっぺがして蹴り倒したが、やったことと言えばそのくらいだ。
なのに、その後でなぜか心がざわめき、わたし、サリ・ペスティは一人、この丘へとやってきている。
心がざわめくというのは、わたしにとっては、あまりいいことではないのだ。
こんなきれいな星空を見ていると、昔のことを思い返す。
この地方へやってきて、右も左もわからないわたしを最初に支えてくれたのは、師匠だった。
といっても、名前もろくに覚えていないし、一ヶ月程度しか師事していない。簡単な言葉と、わたしの体質の意味。魔技手工として最も基本である『端末』と『魔剣化』の魔術。それからルーン文字の意味。教えてもらったのは、そのくらいだ。
一通り教え終わったら、後は自分でなんとかしろと言って師匠は去っていった。そこから先は、ずっと一人だ。
一人で、無茶をしてでも食べなければいけなかったため、何度も危ない仕事に手を出した。
その過程で、後にわたしの代名詞となる、あの逆さ螺子山地の依頼を引き受けた。
どう見ても無茶な仕事だとまわりの親切なひとから止められたりしたが、仕事を選んでいられなかったわたしである。三日もかかってしまったが、なんとか依頼通り魔物の駆除を達成した。
その後しばらくして、わたしはその事件が噂として広まっているということを知った。なぜ知ったかと言えば、名指しで依頼が来ることが増えたからだ。懐具合も、その頃からだいぶよくなっていった。
わたしと組みたい、という魔人のひとも来るようになったが、丁重にお断りした。
わたしの体質からして、それは絶対に避けなければならなかった。
なぜなら――
どくん、という力の揺らぎを感じて、歯を食いしばる。
(最近はおとなしいと思っていたけど……やはり、簡単にはいかないか)
身体の支配率を確認する。――うん、大丈夫。八割は安定して制御できている。
このままひとりで、ゆっくりと身体を抑えていけば、今夜のこれは無事に収まるだろう。
わたしの身体には、魔物が取り憑いている。
もう、八年は経つだろうか。最初は半分意識がないような状態が続いていたが、師匠に状況を教えられ、無理やりコントロールする手法を編み出してからは、なんとか普通に一人で生きていける程度にはなった。
治し方はわからない。ずっと探しているけど、もしかしたらないのかもしれない。
魔物の身体は、普通の人間として暮らすには不便だ。なにしろ、いつ魔物に乗っ取られ、暴れ出すかわかったものではないのである。
だが、魔女として魔物退治を行うには、都合がよいことも多かった。
傷がついてもある程度は自動回復してくれる。それに、『目』のこともある。
わたしは、眼帯で押さえつけている左目に、意識を集中する。
本来の黒い目ではなく、魔物の力で赤く染まったこの目は、代わりに未来を見る力を得た。
正確に言うと、未来に起こる『破滅』を見る力だ。
人が死んでたり、街が燃えていたりといった『悪い』未来を、この目は見ることができる。もちろん、見えるだけではない。わたしが行動予定を変える度に、その未来は変動する。そして、場合によっては見えなくなる。
見えなくなるということは、『破滅』が回避できるということだ。
だからわたしは、未来が見えた時には必ず、『見えなくなる』ような行動を取るようにしている。そうすることで、将来の破滅が回避できる。
この魔物の力のおかげで救えた人間はそれなりに多い。それが、わたしの密かな誇りだ。
――そういうこともある。だから、まだ生きているだけの価値がある。
そう言い聞かせて、ずっと生きてきた。
はあ、とわたしは吐息を吐き出す。
遠く、草原を見る。今日は弧竜がずいぶん荒ぶっていた。火炎の吐息を吐き出して、草原の一部を焼いたりしていた。さっきコゴネルが、念のために見てくるとか言っていた気がする。
もちろん、それも重要だ。『破滅』は、なにもわたしが見えるものばかりとは限らない。用心のために動くのは悪いことではない。
ただ、少なくともわたしはいま、それほど深刻な危惧を抱いていなかった。
わたしの目がなにも見てないということから、若干の安心をしてもいた。
だから。
「あ、れ……?」
草原の一部が光り、大きな音と共に吹き上がったとき、わたしは視界に異常を感じた。
そして、すぐに、
ライの、ぐちゃぐちゃになった死体が見えた。
「――っ」
それはなんという油断だったのだろう。
「あ、ぐっ」
かくん、と膝が折れる。支配率を確認する。三割を切ってることを確認して非常事態と判断。右手で剣を抜く――抜けない。右手はすでに支配を奪われている。喉に右手が食らいつく。こふっ、と息が漏れる。左目が焼けるように熱い。左手が何かを求めてさまよう。全身を怖気が走る。右足が走り出そうとして左足で慌てて踏ん張ってこける。こみ上げてくる嘔吐感。過去に見たひどい光景がフラッシュバック。耳鳴りがする。目はとうに支配権を剥奪された。左手に激痛。右手から焼けるような音。暗闇。嗚咽。絶叫。
――身体と精神を総動員した、魔物とわたしによる身体の奪い合いが始まった。




