二日目(1):悪党と広大な世界
丘の上の見晴らしは良好だった。
「おー、いい見晴らしだなあ」
俺、ライナー・クラックフィールドは固い黒パンをそのままがりがりとかじりながら言った。
目の前に広がるのは、さっきまで街道を囲んでいた森ではない。街道の曲がり角、北から東に方向転換するその丘の北側に広がっていたのは、だだっ広い草原だった。
傍らにいたサリは、同じパンをスープにひたして柔らかくしながら、
「ライ。状況はわかってる?」
「わかってるよ。隊商護衛のための下見、偵察だろ。
にしても、俺の生まれた街からこんな近くに、ここまででっかい草原があるってのは初めて知ったよ。狩人たちとも交流はあったんだけど、なんで誰も教えてくれなかったんだろう?」
「たぶん、あれが原因」
「え?」
サリが指さした方角を見た俺の視界に入ってきたものは。
「あれは……竜、か?」
「うん。『弧竜』って呼ばれてる」
サリはやわらかくなった黒パンをもっしゃもっしゃと無表情に食べながら、そう言った。
竜。弧竜は、雄大に翼を広げながら、大空を優雅に飛翔している。
「この『帰らずの草原』は弧竜の縄張り。大型の動物が入ったら食料として狩られるか、敵対者として焼かれるかのどちらか。
わたしたち魔人は、結界で身を隠して北の港町ステッジ・コースまでの近道とすることもある。けど、普通の狩人たちは「絶対に近づかない」し、近づいたらまず生きて帰れない」
「そういうことか……」
そういえば、『帰らずの草原』という名前だけは聞いたことがある気がする。もっと遠くだと思っていたけれど。
しかし、意外と言えば意外である。
「こんな人里の近くに竜がいて、退治されてないのは意外だな」
俺の言葉に答えたのは、もう一人の同行者だった。
「それはまあ、魔人たちの不文律のせいだろうね」
言ったのはシン。昨日も少しだけ会話した、サリと同じく魔人の男である。昨日は短い付き合いになる予定だったから気にしてなかったが、背が高くすらっとした都会風の伊達男で、服に描かれた文様を無視すれば普通の人にしか見えない。
「不文律って?」
「魔物ではない生き物をみだりに殺すべからず、ってことさ。魔人は魔物退治の専門家だ。だからたとえ依頼があったとしても、竜退治なんて簡単には引き受けないんだよ」
「魔物じゃないのか? 竜が?」
「ほら、昨日の『夜走り』を思い返してみるといい。あれは自然の生き物じゃないし、殺したら死体は消えただろう?
だけど竜はそうじゃない。神話世界にきちんと組み込まれた『普通の生き物』だ。あれを狩るのは魔人の仕事じゃなくて、狩人の仕事なのさ。まあ……」
シンはそこで、苦笑して言った。
「二千年以上草原を支配した古き竜を狩れる狩人なんて、そうそういないと思うけどね。魔人だって、狙うならもっと安全な若い竜を狙うよ。難易度が高すぎる」
「そっか」
うなずく。年経た狡猾な竜は怖い、というのは、俺もどこかで聞いたことがあった。
そして、若い竜なら狙うこともあるというのを、俺は聞き逃さなかった。
「竜退治って儲かるの?」
「竜の死体は霊薬になるからね。普通は神殿が二束三文で買い上げるんだけど、闇市場に回せばまあ、それなりに」
「それなりってどのくらい?」
「ライ氏の剣が元の値段通りでも、即金で支払えるくらいかな」
「高っ!?」
「挑戦してみるかい? 竜退治」
冗談めかして言うシンに、俺は苦笑して首を横に振った。
「やめとく。他にも儲ける方法くらいあるっしょ」
「うん。それがいい」
サリはあいかわらずもっしゃもっしゃ食べながら、そう言った。
ちなみに、借金を踏み倒して逃げるというのも考えたが、それについてはサリにあらかじめ釘を刺されている。
『呪術的な剣だから、神殿からはにらまれるだろうし、いつ呪いが暴発してライに降りかかるかわからない。だからしばらくは隊商から離れない方がいい』
『なんで隊商だと大丈夫なんだ?』
『メサイの隊商は、慣例として魔人たちと一緒に行動する。魔人なら、呪いに対処できる人材もそれなりにいるから』
というわけで、俺はこの隊商から離れられなくなってしまったのだった。
命には代えられない。しばらくはここの護衛として、それなりに真剣に働かないといけなくなった俺である。
(まあ、途中で可能な限り副業をして、とっとと借金だけでも返さないとな)
とは思っている。隊商を利用するならともかく、借金のカタに隊商で働かされるというのは、大悪党らしくない。
借金取りには拳と同時に金をたたきつけろというのがクラックフィールド家の家訓なのだ。
…………
いや、なんで拳が前提なんだろうな、この家訓。よっぽど借金取りを殴りたかったんだろうか。
と、そのとき、俺は草原の中に不自然に光るものを見つけた。
「なあ、サリ。あれはなんだ?」
太陽を浴びて宝石のように光るものを見て、サリはのんびり答えた。
「宝石虫じゃないかな」
「宝石虫?」
「うん。きらきらしているから、宝石とよく間違えられる虫。死ぬとどす黒くなるから売れない」
「なんでそんな光ってるの?」
「宝石虫もどきっていう魔物に擬態してるんだと思う」
「…………。
その宝石虫もどきは、なんで光ってるの?」
「宝石と勘違いした人間を襲って殺す。普通に怖い」
サリの言葉に俺は納得し、ため息をついた。
「世の中、怖いものが多いなあ……」
「まあ、だからこその修行なんだよ。僕がここに同行してきた理由、聞いてるだろう?」
「聞いてるけど……」
シンの言葉に、俺はシンの全身を眺めやった。
「なあ、本当にシンは長剣使いなのか? どこにも剣を下げてるように見えないんだけど」
「魔人だからね。いろいろあるのさ」
シンは平然と言った。
護衛として雇われたはいいものの、剣の使い方なんて知らない俺である。なので、サリの推薦によって、シンが一時的に俺の剣の訓練を担当することになったのだった。
最初はてっきりサリが教えてくれるのかと思ったが、サリ曰く、短剣使いである彼女には長剣の使い方は指導できない、のだそうだ。
「ん。トゥト、来たみたい」
と、サリがスープの器を置いて立ち上がった。
「一人で行くかい?」
「うん。シンは、ライと訓練しといて」
「わかった」
シンがうなずくと、サリはその場で――ほとんど消えるような、とんでもない速度でその場を走り去った。
一切の音もなく、である。前々から思っていたが、サリの身のこなしはおかしい。魔女だからと思っていたが、シンはそこまででもないので、あれはサリ特有なのだろう。
「ところであいつ、なにしに行ったんだ?」
「先行して偵察していた仲間と合流して、情報を交換するのさ」
「なるほどなー」
俺はうなずいて、それから言った。
「なあ、シン」
「なんだい、ライ氏」
「おまえら、今回のターゲットは人間だろ?」
言うと、シンは微笑とも苦笑とも取れる、微妙な表情になった。
「やはり抜け目ないな、君は。どこでそんな情報を?」
「んー、まあ、勘だったんだけどさ」
魔人というのは、『魔物』を専門に狩る職種だと聞いている。
神殿は『魔術』を忌避しているが、魔物を狩るという目的のためだけになら、魔術の使用を許可する。
というより、魔術の使い手たる魔人にのみ、魔物を狩ることを許可している。他の人間には、たとえ害悪を撒き散らす魔物であろうと、狩ることを含めて一切の接触を禁止しているのだ。
だから本来、魔人たちの仕事は魔物狩り、なのだが。
「率直に言って、単純な魔物狩りレベルの戦力に思えないんだよな、おまえら。だからまあ、人間かなって」
「当たりだよ。そうだね、魔人の大半は、雇われ魔物狩りで生計を立てている。だが中には、本当に外れてしまった者もいてね。魔物を使役したり、世界の転覆を企てたり、そういった外道を誅するのも、僕らの仕事たり得るわけだ」
「……相手の素性はわかっているのか? 戦力は?」
「ぬかりないよ。なにしろ僕が雇われているんだからね」
少し心配になって聞いた俺を安心させるように、シンは微笑んだ。
「敵の名はグラーネル・ミルツァイリンボ。『北の妖術師』の異名を持つ大魔導師で――かつて、僕に魔術を指導した、師匠なんだ」




