思い出料理人
【思い出料理人】
二人は暫く乗車口のドアに持たれていたが、拓郎に抱かれていたガトの鼻がピクピクと動き、首を起こし辺りを見回した。
「ガト、どうしたんだい?」
「何か匂わないか?」
拓郎も辺りの匂いを嗅いでみる。
「本当だ!美味しそうな匂いがする。」
二人は匂いに誘われて次の車両入口のドアノブを引いた。するともっとはっきりした美味しそうな匂いが拓郎とガトに押し寄せてきた。
「中華料理だ!」
「いや、焼き魚だ!」
「違うよ、スパゲッティだ!」
「いや、いや、カレーだな!」
いろんな料理の匂いが次から次へと二人の鼻奥をノックしてくる。
「拓郎、猛烈に腹が減ってきたぞ!」
「うん、我慢ができないよ。」
二人は落ち込んだことなど忘れてしまっていた。
美味しそうな匂いに誘われて車両の奥へ進めば進むほど次々と違う料理の匂いがしてくる。ここはレストラン車両である。通路は車両真ん中に伸びその両側にテーブルが設置されている。適度に混みあって皆思い思いの料理を食べている。中華料理、フランス料理、イタリア料理、インド料理、日本料理、エスニック料理など…何でもある。
拓郎とガトは車両真ん中に空きテーブルを見つけ二人並んで腰掛けた。座ってすぐにオーダーロボットが現れた。
「いらっしゃいませ。何にしましょう?」
「メニューを下さい。」
「当店はメニューはございません。お客様が食べたいものを何でも好きなだけ提供させていただきます。」
「何でも?」
「はい、何でも。三途の川鉄道が心を込めてお贈りする最後の食事をゆっくりと味わって頂きます。」
「へぇ〜、そうなんだ…」
「俺は秋刀魚の塩焼き。」
「んー、じゃあ僕は…あっ、カレーライスを下さい。」
「かしこまりました。どの岸ですか?」
「えっ?」
拓郎は何の事だか分からなかった。ガトは猫男の助手だとオーダーロボットに伝えた。
「結構です。あなたは?」
「どの岸…」
「はい、三途の川鉄道は名前の通り三途の川に沿って走っていてあちら側に渡るために幾つかの岸があります。この列車に乗車する時にどの岸を渡るのか改札で聞かれているはずですが。」
「三途の川…、岸…」
拓郎は考え込んでしまった。東京から三途の川線に乗ったのだろうか。それに東京駅で駅員に岸の話しをした記憶などない。
だが、家を出る前に叔母と兄の一郎が九州に行くと話していたのを思い出した。
「あのぉ…、きゅうしゅう…です。」
「まぁ、なんて素敵なんでしょう!あなたはもう一度喜怒哀楽世界にお戻りになるんですね。」
オーダーロボットの驚く声に周りのテーブルに座っている人たちが振り向き拓郎を見てひそひそ話をし始めた。拓郎は自分だけが他の人たちと違うことが恥ずかしかった。
「それでは急ぎ料理を準備致します。少々お待ち下さい。」
そう言うとオーダーロボットはその場を去って行った。すると隣のテーブルに座っていた身なりの小綺麗な初老の男性が話し掛けてきた。男性のテーブルにはステーキにナポリタン、焼き鳥に寿司、その他沢山の食べかけの皿が載っている。
「私はね、今朝横断歩道を渡っている時に交通事故に遭ってね、ここにいるんですよ。私は食べることが趣味なんです。いつも死ぬ前には絶対に好きな物を腹一杯食べるつもりだったのに叶わなかった。私は死ぬ間際に後悔したんです。なんで昨晩食べておかなかったんだと。でも自分がいつ死ぬかなんて自分では分からないものです。ところがこの列車に乗って驚きました。この列車では皆平等に最後の晩餐ができるじゃありませんか。
あちらに行ったら何も食べられませんからね。勿論空腹知らずですが…。でもね、私はきっと口が寂しくなると思うんです。
この際あなただって何でも食べておくことですよ。」
「はぁ…」
「そうでしたな。あなたは喜怒哀楽世界に戻るのでしたな。しかしね、ここの料理は抜群に美味い。いや、高級と言うわけではないのです。あなたが過去に食べたレストランやお袋の味ってやつを見事に再現してくれるんですよ。だから口に入れた瞬間、誰だってあの頃の記憶が甦って涙が溢れてくるんです。これが本当のご馳走っていうものだということが初めて分かりましたよ。ハハハ…
おっと、思い出料理人がやってきましたよ…」
思い出料理人と呼ばれた男は拓郎とガトの料理をこちらへ運んでくるところであった。しかし大変肥っている為に、「はぁ、はぁ…」息を切らせながら歩いている。それがまたこのレストランで食事をしている乗客たちを和ませて車両を明るい雰囲気にしていた。
「はぁ、はぁ、お待たせしました。ご注文は秋刀魚の塩焼きとカレーでしたね。どうぞ温かいうちに召し上がれ。」
思い出料理人は拓郎とガトを見下ろしながら人なっこい笑顔を見せた。目の前に置かれた料理の香りに拓郎とガトも笑顔になった。
「いただきまーす!」
スプーンいっぱいのカレーライスを口いっぱいに頬張った。
「んー、モグモグ…。これお母さんが作ってくれたカレーと同じ味だ!それにじゃがいもや人参も切り方が同じだ!」
「シシシ!これは婆さんの秋刀魚じゃないか!」
「えっ、でも秋刀魚はどれも同じでしょ?」
「分かってないな。北の海と南の海で捕れる秋刀魚は脂ののりが違うんだ。この秋刀魚は絶対に和歌山産だぜ。北の海から泳いで来た秋刀魚は脂が抜けて身がパサパサ歯応えがいいんだ。婆さんは猫の好みを知っていた。だからいつもエサは和歌山の秋刀魚と決まっていたんだ。これを食べるとあの記憶がない婆さんでもいいからもう一度会いたくなってしまうなぁ。」
そう言うとガトはちょっと硬めの秋刀魚の身をじっくり噛み締めた。
一方拓郎も家の食卓を思い出していた。遊びから帰って玄関のドアを開けるとその日の料理はすぐに分かる。特に大好きなカレーライスだと一気にテンションは上がり、手も洗わずそのまま台所に直行して母親から叱られた記憶が何度もあった。そして食事の時に兄一郎とカレーに入っている具の量で喧嘩をして再び母親に叱られた。でもその時母親はニコニコしていたように思う。
「いかがですかな?」
「すっごく美味しいです!」
「それは良かった。」
思い出料理人は分厚い頬を膨らませ満足そうな顔をした。
「何故僕たちの本当に好きな食べ物が分かるんですか?」
思い出料理人はニッコリ微笑みながら言った。
「私はあなたを知っています。そしてあなたのことなら何でも分かります。」
「嘘だ…今初めて会ったじゃないか。」
「このポークカレーを食べてあなたは昔玄関でカレーの匂いがすると手も洗わず台所に走って行ってお母さんに叱られたことを思い出したね。そしてお兄ちゃんとカレーの具の量の多さで喧嘩してまたお母さんに叱られたことも思い出しましたね。」
「えっ、」
拓郎はあまりの驚きに開いた口が塞がらなかった。
「ここにいるあなた以外の人々はいずれ三途の川の川を渡ります。二度とあちらの世界には戻れません。だからこの食事はこの世とのお別れの意味があります。でもあなたにとっては違う意味があります。
あなたは元の世界に帰らなくてはいけない人です。さぁ、これ以上ぐずぐずしていてはおお兄さんの所に二度と帰れなくなりますよ。」
「はい。僕帰ります。」
そう言うと拓郎とガトはテーブルを立ち通路を歩いていった。そして食堂車のドアの所まで来ると、くるりと振り返り一礼をした。
そこには思い出料理人や隣の初老の男、そして食事をしていた人々が拓郎の方を見て微笑んでいた。
拓郎は再び前を見てドアノブを横へスライドさせ外へ出た。
ガトも拓郎の後を追って車両の外へ出た。しかしドアが閉まるまでの一瞬ガトが振り返ってみると、明るいレストランだった景色は既に消え、寝台ベッドの薄暗い車内に変わっていた。




