記憶の畑
【記憶の畑】
そこは不思議な寝台車両だった。入った瞬間に二人は湿気を感じた。しかし怖くは無さそうである。
拓郎がベッドのカーテンを開けてみると、寝台ベッドには全て土が敷き詰められている。向かいのカーテンも開けてみるとそこにもベッドの幅いっぱいに土が敷き詰められている。
「ガト、なんだろう?」
「うーん、花壇のようだな。」
二人は土に顔を近づけた。すると土の中から小さな芽がポンと出てきて可愛い葉を広げた。
「なんだ、やっぱり植物の芽じゃないか。」
「それは記憶の芽じゃよ。」
背後から唐突に声がして驚いた。二人は振り返って声の主を見た。通路には小さな老婆が笑顔で立っていた。身なりは農作業の服装である。
「あなたは?」
「フホホホ、ワシかい。見ての通りの婆さんだよ。まさか見たことないのかい!?」
「い、いえ。」
「婆さん、ここで何してるんだ?」
「おっ、猫が話した!驚いたぁー!でも長生きはするもんだねぇ、喋る猫なんかにお目にかかれるなんて。フホホホ!こんな猫なら飼ってみたいよ。」
「婆さんは猫を飼ったことはないのか?」
すかさずガトが質問した。
「フホホホ!無い、無い。」
ガトは一瞬悲しそうな顔をした。
「おっと、質問されてたんじゃったな。ワシはこの畑の世話をしているんじゃよ。」
「世話…ですか?」
「そうじゃ、この芽たちを育てるんじゃ。」
「野菜か果物でもできるんですか?」
「フホホホ!!違う、違う。生き物の記憶を育てるんじゃよ。」
「…?」
拓郎は何を言っているのか理解できず不思議そうな顔をした。
「フホホホ!分からんかい?分からんじゃろうなぁ。この葉っぱ一つ一つが記憶なんじゃよ。幹が太くなり葉っぱがどんどん増える。生まれる葉っぱもあれば死にゆく葉っぱもある。全部を覚えていたら頭の中がパンクしてしまうんじゃ。だからわしが見守ってるんじゃよ。」
老婆は愛おしいそうに葉っぱを撫でながら続けた。
「しかしな病気の葉っぱもある。ほらあれなんか黒ずんでるじゃろ!?あれは死が近い。記憶が死んでいく途中なんじゃ。
あの黒ずみをそのままにすると、別の葉っぱに移って悪さをするからもいでやるんじゃ。」
そう言いながら老婆は手を伸ばして黒く変色しかけた葉をもいだ。
「この中に僕の記憶もあるのかなぁ?」
「当たり前じゃよ。」
拓郎はまさか自分の記憶がこの中にあるはずなんかないと思っていたから驚いた。
「何処ですか!?」
「お前のは二つ先のベッドにあるよ。猫、お前さんはどうじゃ?」
「俺はいい…」
ガトは重い口調で遠慮した。
「さぁ、坊やこっちへおいで。」
老婆が歩き出し、拓郎とガトは後を着いていった。
途中のベッドには小さい芽から大きい芽、葉っぱがたくさん付いているものや少ないものまで所狭しと植えられていた。
そして二つ目のベッドの間に入り込むと片側のカーテンを開けた。
そこにも大小様々な芽が出ていたが、老婆が指差しした芽は小さめであったが、葉っぱはピンとして青々しかった。
「ほら、お前さんの葉っぱは立派で生き生きしているじゃないか。」
拓郎は自分の葉っぱが誉められて嬉しかった。思わずガトの方を向いて自慢気にニッコリ微笑んだ。しかしガトは怖そうな顔をして葉っぱを見ていた。
「ガト?」
声を掛けられてガトは我に返り微笑んだが元気がない。
「拓郎、もう行かなくていいのか?」
「えっ、あぁ、そうだね。」
その時、ガトが老婆に言った。
「婆さんの葉っぱはあるのかい?」
「はっ?フホホホ、そんなものあるわけないじゃないか。ワシはここの住人だよ。記憶は決して無くならないさ。変なことを聞くねぇ、お前さんは。」
「ははは!そうだよな、ここの住人だもんな。悪いこと聞いちまった。それじゃあ俺たち行くわ。」
「えっ?ガト、もう…?」
「そうかい。元気でな。」
「さよなら。婆さんも元気でな。さぁ、拓郎、行くぞ。」
「あ、あぁ。お世話になりました!」
ガトは速足で通路を進んでゆく。拓郎は何か気に入らないことでもあったのかと不信に思い、ガトに尋ねた。
「ガト、どうしたのさ?ずっと機嫌が悪かったけど。」
ガトは答えずズンズン進んでゆく。拓郎は駆け足になった。
「ガト!ねぇったら!」
ガトは車両のドアの所で止まった。
「はぁ、はぁ、ガト、速いよ。いったい…」
「早くドアを開けてくれ!」
「どうしたんだよ。」
拓郎はそう言いながらドアノブを引いた。同時にガトは車両から飛び出すと車両の乗車口ドアの所で立ち止まり、深呼吸をした。
「ガト、どうしたんだよ。」
「…」
「黙ってちゃ分からないよ。」
「覚えてなかった…」
「えっ?」
」覚えてなかったんだ…。あの婆さん、俺のことを覚えてなかったんだ。」
振り向いたガトの目には涙が溢れていた。
「どういうこと?」
「さっきお前に話した、俺を救ってくれた婆さんだったんだよ。忘れないなんて言ってたのにすっかり俺のことを忘れやがって…」
「え…」
拓郎は何も言えなかった。ただ泣いているガトを抱き上げた。そして乗車口の窓にもたれて外を見つめてた。




