第4話両親と絶望の対面!からの神対応に泣いた
石畳の街路は、紅蓮の炎に照らされていた。
かつて白亜を誇った美しき都市は、今や黒煙と焦熱の只中にある。それは、いわれなき理不尽な暴力によって同胞を奪われた、荒野の部族の怒りそのものであった。
燃え盛る炎の中、部族の戦士たちは大地を踏み鳴らし、拠点から奪われた命と尊厳を取り戻すかのように、都市のあらゆるものを略奪し、破壊していった。強固であるはずだった都市の守備隊はすでに半壊し、指揮系統を失って散り散りとなっている。逃げ惑う市民の悲鳴が、崩れ落ちる建物の轟音にかき消されていく。
その猛火と混沌の最前線を、部族の長であるバルドは悠然と歩んでいた。
そして彼の傍らには、妻となったセリアの姿があった。
かつての純白の甲冑はとうに捨て去り、荒野の獣皮を纏った彼女は、身重の体でありながらもバルドから離れることはなかった。彼女もまた、この過酷な運命を見届ける覚悟を決めた、部族の女だからだ。
やがて、見覚えのある壮麗な屋敷の前に差し掛かった時、セリアの足がピタリと止まった。
炎を背にして、二つの影が立ち塞がっていたからだ。
現役を退いたとはいえ、長年都市の防衛を担ってきた歴戦の騎士である父と、その傍らで気丈に振る舞う母。二人は剣を抜き放ち、この都市と共に死す覚悟で、迫り来る蛮族の長を待ち構えていたのだ。
血の気が引くのを感じながら、セリアは咄嗟に夫へ声をかけようとした。
「待って――」
引き留める言葉を口にするより早く、バルドは歩みを止め、眼前の老騎士たちを真っ直ぐに見据えたまま低く呟いた。
「お前の、親だな」
セリアの肩が微かに震える。バルドには、すでに全てが理解できていたのだ。
その時、対峙する両親の視線が、バルドの背後に立つ女の姿を捉えた。
「あ、ああ……嘘よ、そんな……」
母の口から、絶望に満ちた呻き声が漏れた。
誇り高き美貌の騎士団長であったはずの愛娘が、日に焼け、薄汚れた獣の皮を纏い、あろうことか憎き蛮族の長の傍らに寄り添っている。さらにその腹には、明らかな異変――新たな命が宿っていた。
狂気にも似た現実を受け入れきれず、母は両手で顔を覆い、首を激しく横に振った。
「セリア! 貴様、その姿は何だ!」
父の怒声が、燃え盛る炎の爆ぜる音を切り裂いた。
かつて娘に向けられていた温かな慈愛は微塵もない。そこにあるのは、都市の騎士としての誇りを汚されたという激しい憤怒と、底知れぬ軽蔑だった。
「この恥知らずめが! 己の使命を忘れ、よりにもよって蛮族の男と交わるとは……何と汚らわしい!」
その言葉は、研ぎ澄まされた刃のようにセリアの胸に深く突き刺さった。
全身の血が沸騰するような、身が燃えるほどの羞恥が彼女を襲う。自分が選んだ道に後悔はない。しかし、自分を育て、愛してくれた血を分けた親から向けられる絶対的な拒絶は、彼女の心に拭い去れない痛みを刻み込んでいた。俯き、唇を噛みしめるセリアの肩を、巨大で分厚い手が優しく、しかし力強く抱き寄せた。
「巣立った獣にとって親は、もう他人だ」
バルドの声は、どこまでも平坦で、表情一つ変えてはいなかった。ただ、その瞳の奥には静かな炎が宿っていた。
「生きる道が分かれたのなら、そこにあるのはただの命の奪い合いに過ぎない。お前が恥じることは何一つない」
「黙れ、野蛮人! 娘を惑わし、我が都市を蹂躙した罪、万死に値する!」
父は絶叫と共に地を蹴り、老いを感じさせない鋭い踏み込みでバルドへと斬りかかった。都市の剣術の粋を集めた、必殺の刺突。
しかし、バルドは避けることすらしなかった。
刃は鈍い音を立ててバルドの厚い胸板に突き刺さった。だが、かつてセリアの刃がそうであったように、その剣は強靭な筋肉に阻まれ、致命傷を与えるには至らない。
「な、に……!?」
驚愕に目を見開く父の頭上へ、バルドの巨大な拳が振り下ろされた。
圧倒的な、まさに魔人と呼ぶにふさわしい膂力。凄まじい衝撃音が響き、老騎士の体は反撃の暇も与えられず、一撃で石畳の上へと崩れ落ちた。ピクリとも動かないその姿に、母は張り裂けるような悲鳴を上げ、後ずさり、やがて狂ったように炎に包まれた街の奥へと逃げ出していった。
セリアはその場にへたり込み、血の広がる父の亡骸を抱きしめた。
喉の奥から、言葉にならない嗚咽が漏れる。
(……ああ、そうか)
涙で視界を滲ませながら、セリアは気付いていた。
バルドほどの戦士であれば、父の攻撃をいなし、無力化することなど容易かったはずだ。それをあえてその身で受け、迷いなく命を絶った。
もしここで父を生け捕りにしていれば、セリアは『都市の裏切り者として親を処刑する』か、『部族の長である夫を裏切って親を助けるか』という、究極の選択を迫られていた。バルドは、愛する妻にその残酷な決断をさせないために、全ての恨みを自身が被る形で、自ら即座に判断を下したのだ。
咽び泣くセリアを見下ろしながら、バルドは胸に刺さったままの剣を引き抜き、静かに口を開いた。
「俺が憎いか」
その声には、責めるような響きも、後悔の念もなかった。ただ、運命を分かち合う伴侶への覚悟だけがあった。
「憎いなら、次は胸ではなく、俺の首を刎ねるといい」
血に染まった手を震わせながら、セリアはゆっくりと顔を上げた。
悲しみは深い。喪失の痛みは、一生彼女の心を苛むだろう。しかし、その瞳にはかつて騎士として生きた女の、そして今、荒野を生き抜く女としての強烈な意志が宿っていた。
「……いいえ」
彼女は首を横に振り、涙を拭って立ち上がった。
「父もまた、この都市を守る戦士として、己の命を尽くしたのです。戦場で散ることは……本望だったはず」
それは、過去との完全なる決別であった。
もはや彼女は、都市に縛られたか弱い騎士ではない。嵐の中を自らの脚で歩み、全てを受け入れて進む、一人の誇り高き戦士の妻であった。
セリアは亡き父に一瞥をくれると、血を流しながらも微動だにしない巨漢の夫の隣へと歩み寄り、共に燃え落ちる故郷の先へと歩みを進めた。




