第3話蛮族、故郷を焼かれる
赤茶けた大地は、今や黒く焦げた死の匂いに覆われていた。
風が吹くたびに、火の海と化した集落から灰が舞い上がり、空を淀ませている。太い丸太と獣の皮で作られた天幕の残骸が、くすぶる炎に舐められてパチパチと乾いた音を立てていた。
都市の正規軍による奇襲は、圧倒的な物量と冷酷な殺意をもって荒野を蹂躙した。
しかし、ただ蹂躙されたわけではない。地の利を熟知し、個々の身体能力で遥かに勝るバルドの部族は、女騎士たちの戦術的助言も得て、神出鬼没の散兵戦を展開した。彼らは砂丘の陰から、あるいは枯れ谷の底から連携して襲い掛かり、重装歩兵の隊列を分断し、見事に包囲殲滅してみせたのだ。
敵の損害は九割にも及ぶだろう。砂煙の向こうには、立派な鎧を着たまま動かなくなった無数の骸が転がり、生き残ったわずかな敗残兵も完全に散り散りとなって逃げ去っていた。
だが、勝利の代償はあまりにも大きかった。
集落は見る影もなく荒らされ、血と泥に塗れた大地には、都市の兵士だけでなく、多くの同胞たちの遺体が横たわっていた。部族の戦士たちの六割が、この苛烈な戦いの中で命を落としたのだ。復興にはどれほどの時間を要するのか、想像もつかないほどの惨状であった。
「……どうして、こんな……」
煤だらけの顔を両手で覆い、一人の部族の男が崩れ落ちた。彼の足元には、息絶えた家族の冷たい手が覗いていた。男の肩は激しく震え、絞り出すような嗚咽が荒野の静寂を破る。
「俺たちは、ただ自然の恵みを受け取り、俺たちのやり方で生きてきただけじゃないか……。文字を持たず、石の城を持たないからといって、なぜこんな目に遭わなきゃならないんだ。ただ、文化が違うってだけで……俺たちは、このまま削られて、いつか滅んでいくのか……?」
その声は、生き残った多くの者たちの心を代弁していた。
どんなに個が強くとも、巨大な組織と終わりのない悪意を前にしては、抗い続けることなどできないのではないか。火の粉が舞う絶望の只中で、彼らの心は折れかけていた。
そこへ、重々しい足音が響き渡った。
血と泥に塗れ、無数の浅手を受けながらも、その歩みは揺るぎない。巨大な戦斧を肩に担いだバルドが、燃え盛る炎を背にして力強く立っていた。
「何を泣くことがある」
バルドの低く地鳴りのような声が、男の嗚咽をかき消した。彼は決して声を荒らげているわけではなかったが、その一言には、すべての者の顔を上げさせるだけの圧倒的な力が宿っていた。
「勇敢に戦い、部族のために命を散らした同胞を前に、なぜ絶望などという言葉を吐く。彼らは惨めに殺されたわけではない。誇り高く牙を剥き、俺たちの命を繋ぐために死んでいったのだ。その雄姿を、魂に刻み込んで称えろ!」
バルドは戦場を見渡し、生き残った者たちの目を一人一人射抜くように見つめた。
「見ろ、部族の兄弟たちはここにいる。共に戦った伴侶もいる。これ以上、何を嘆く必要がある。いいか、自然と共に生きるということは、時として理不尽な嵐に見舞われるということだ。俺たちはその嵐を憎みはしない。ただ耐え、凌ぎ、生き残るだけだ。生き残って、この地に立っている俺たちが、この戦いの勝者なのだ!」
その力強い言葉に、うつむいていた男たちの瞳に微かな光が戻り始める。バルドはただの慰めではなく、生きとし生ける者としての根源的な強さを説いていた。
だが、部族の長の言葉はそれだけでは終わらなかった。
「だがな……」
バルドは戦斧を地面に突き立て、ニヤリと獣のような笑みを浮かべた。その口元から覗く鋭い犬歯が、炎の光を受けて白く輝く。
「俺たちは、ただ嵐が過ぎるのを黙って耐え忍ぶだけの葦か? 否だ。俺たちには、大地を踏みしめ、前に進むための強い脚がある!」
彼の声が、徐々に熱を帯びて荒野に轟く。
「今日の戦いで、都市の連中の実力は底が知れた。あの練度、あの程度の士気で全軍を動かしたということは、今頃あの気取った石の城の中は、もぬけの殻も同然だろう。奴らが嵐となってこの地を荒らしたのなら、今度は俺たちが嵐となる番だ!」
「逆侵攻だ!」
バルドの咆哮が、黒い空を切り裂いた。
「俺たちを根絶やしにしようとした連中に、本物の嵐の恐ろしさを教えてやる! 大地を踏み鳴らし、城門を打ち砕き、奴らの喉元に俺たちの牙を突き立てるぞ!」
「おおおおおおっ!!」
絶望に沈んでいたはずの部族の戦士たちから、地響きのような歓声が上がった。哀しみは怒りへ、怒りは圧倒的な闘志へと変わり、燃え盛る集落の熱気をさらに高めていく。かつての女騎士たちもまた、伴侶たちと共に武器を天に掲げ、雄叫びを上げていた。
輪の少し外側で、セリアはその光景をじっと見つめていた。
夫であるバルドの言葉は、彼女の心にも深く響いていた。逆境を跳ね返し、絶望すらも力に変えてみせるその雄々しい姿に、深い感動を覚える。彼についてきた自分の選択は間違っていなかったと、心の底から確信できた。
しかし、その一方で、彼女の胸の奥には冷たい氷の欠片のような現実が横たわっていた。
バルドが宣言した『逆侵攻』。それはすなわち、セリアが生まれ育ち、かつて己の命に代えても守ると誓った故郷への侵攻を意味している。
都市がもぬけの殻であるなら、怒り狂った荒野の戦士たちに蹂躙されるのは火を見るより明らかだ。石造りの美しい街並みは略奪され、炎に包まれるだろう。
その時、城の奥深くにいるあの無垢な姫はどうなるのか。
誇り高く、厳格だった両親は。
(私は、彼らと戦わなければならないのだろうか……)
お腹に宿る小さな命の温もりを感じながら、セリアは自身の宿命を悟っていた。
自分たちを裏切り、見捨てた都市にはもう未練はない。だが、かつて愛した人々との因縁を、これほど早く清算する日が来るとは思っていなかった。姫の涙に濡れた顔、両親の絶望する姿が脳裏をよぎる。
それでも、彼女は足を踏みとどまるつもりはなかった。
都市の騎士としての未練を断ち切り、荒野の女として、バルドの妻として、これからの凄惨な運命を見届けなければならない。
「行きましょう、あなた……」
セリアは小さく呟き、夫が指し示す方角――かつての故郷がある西の空を、揺るぎない覚悟を秘めた瞳で見据えた。風が変わり、炎の煙が彼方の都市へと向かって流れ始めていた。




