第77話 係の仕事は、見てる先生が近いぶん少しだけ嘘が混ざりにくい
係の仕事というのは、地味だ。
地味なくせに、意外と大事でもある。
プリントを配る。
黒板を消す。
日誌を運ぶ。
提出物を集める。
そういう、誰も物語の中心だと思っていないような仕事が、教室という場所を妙にちゃんと学校らしくしている。
そしてたぶん、そういう地味な場の方が、少しだけ嘘が混ざりにくい。
先生が完全には離れていない。
でも、ずっと見張っているわけでもない。
生徒同士のやり取りも自然に起きる。
しかも“わざとその場を作った”感じになりにくい。
今の僕たちに必要なのは、たぶんそういう場所だった。
待つと遅い。
狙うと不自然。
だから、自然に見える近さの中で、ちゃんと前後を見られる場。
その意味で、係の仕事というのはかなり都合がいい。
朝の教室。
いつものように木乃実が先に僕を見た。
「神代くん」
「何」
「今日、ちょっとだけ前向き」
「何だよその雑な診断」
「でもそうなんだもん」
木乃実は頬杖をつく。
「しかも今日は、“何か起きるかも”じゃなくて、“起きるならこのへん”って顔」
「……」
「図星」
「最近ほんとに、人の顔でそこまで分かるんだな」
「神代くんが分かりやすすぎるの」
「その標語、まだ使うのか」
「名作だから」
「やめろ」
後ろから佐伯が小さく笑う。
「でも今日は分かりやすいだろ」
「何が」
僕が聞くと、佐伯は肩をすくめた。
「係」
「……」
「配布物」
「……」
「掃除」
「……」
「そのへん見てる顔」
「……」
「何だよ」
「いや」
僕は少し苦笑した。
「そこまで見抜かれると、もう今さら隠す気もなくなるなって」
「それは助かる」
「何が」
「神代の顔読む手間が減る」
「最低だな」
少し離れた席から、エヴァの声が届く。
「ようやく、場が具体的になってきましたのね」
相変わらず、この人は迷いなく言う。
「何だよその言い方」
僕が聞くと、エヴァは平然としていた。
「昨日までは、“自然な場”という抽象でした」
「うん」
「今日は違う」
「……」
「係、配布、掃除、日直」
「うん」
「つまり、教師が比較的近くにいて」
「うん」
「生徒同士の前後も自然に出る場」
「……」
「そこへ意識が向いている」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は息を吐いた。
「ほんとに最近の君、そこをためらいなく言葉にするなって」
「ためらう理由がありません」
「強いな」
「必要なので」
「便利な理屈だ」
「あなた方ほどではありません」
朱音は、その会話のあとで机の横に来た。
「今日、たぶん掃除」
「具体的だな」
僕が言うと、朱音は肩をすくめる。
「だって配布は朝のうちに終わりがちだし」
「うん」
「日直は先生の前に出すぎる」
「うん」
「でも掃除は」
「……」
「先生が近くにいる時もあるし、いない時もある」
「……」
「前後が出やすい」
「……」
「何その顔」
「いや」
僕は正直に言った。
「おまえ、ほんとにこういう時だけ異様に実戦向きだなって」
「こういう時“だけ”は余計」
「でも事実だろ」
「まあ」
朱音は少しだけ笑った。
「今日はかなり当たる気がする」
「自信あるな」
「便利だから」
「その言葉ほんと万能だな」
一時間目のあと、係の確認があった。
週の途中だから、日誌係と配布係、それから掃除分担の見直しみたいな、いかにも地味なやつだ。
たいていの生徒は適当に聞き流す。
でも今日は、僕にはその地味さ自体が少しありがたかった。
地味な場は、気を張りすぎなくていい。
みんなが“イベント”として見ないぶん、余計な演技も少し薄くなる。
遠山先生が言う。
「今日、放課後ちょっと早めに清掃入るから」
「はーい」
とクラスが緩く返す。
「窓側、黒板、後ろ、廊下側、それぞれ確認してね」
「……」
僕はその時点で、頭の中に自然と配置を並べていた。
木乃実は後ろ。
三田村は廊下側。
僕は窓側。
黒崎は黒板寄り。
かなり都合がいい、と思った。
都合がよすぎるので、逆に意識しすぎないようにしなければならないくらいだった。
昼休み。
後ろの棚の近くで、その話をすると、木乃実がすぐに言った。
「それ、かなりいい配置じゃない?」
「言い方」
僕が苦笑すると、木乃実は頷く。
「いや、だって」
「うん」
「掃除って自然だし」
「うん」
「先生も途中で見に来たりするし」
「うん」
「しかも、こっちがわざわざ集まる感じじゃない」
「……」
「そう」
僕は頷いた。
「たぶん今欲しいの、そこ」
「うわ」
木乃実が少し笑う。
「最近の神代くん、本当にそういう見方するようになったね」
「嬉しくない変化だな」
「でも必要だったし」
「そこなんだよ」
三田村も小さく言った。
「掃除って」
「うん?」
「何か落としたり、手伝ったり、自然に起きやすいよね」
「……」
「そう」
僕は頷いた。
「しかも、先生がちょっと近い時もある」
「うん」
「だから、今までより前後が見えやすい」
「……」
「何だよ」
「いや」
三田村は少し考えてから言う。
「俺、前まではこういうの全部、神代くんが考えてることだと思ってた」
「……」
「でも最近は、自分でも分かるようになってきた」
「……」
「それ、かなり大きいな」
僕が言うと、三田村は少しだけ照れたみたいに笑った。
「そうかな」
「そうだよ」
木乃実が即答する。
「かなり」
少し離れたところから、エヴァが静かに言った。
「係の仕事は、比較的“前後”が剥がれやすいですものね」
「剥がれやすい、か」
僕が聞くと、エヴァは頷く。
「ええ」
「どういう意味」
「教師の目は近い」
「うん」
「でも、ずっと固定ではない」
「うん」
「つまり、誰かが“親切に見える行動”をした時」
「うん」
「その前後にある小さな言い方も、こちらにはかなり残りやすい」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は小さく息を吐いた。
「今の、かなり欲しかった整理だなって」
「そうでしょうね」
「そこは迷わないな」
「迷う理由がありません」
放課後。
教室の空気は、昼より少しだけ軽かった。
授業が終わったあとの解放感があるからだろう。誰かが机を寄せ、誰かが早く帰る準備をして、誰かが雑巾を取りに行く。
掃除の時間というのは、案外いろんな小さい行動が出る。
「じゃ、さっさとやるか」
佐伯がだるそうに言う。
「その言い方で一番動かないの、いつもおまえだよね」
木乃実が返す。
「偏見」
「事実」
「便利な言葉だな」
「流行ってるからね」
「嫌な流行だな」
僕は窓側へ行き、木乃実は後ろの棚の周辺、三田村は廊下側の机を動かし始めた。
遠山先生は教卓の方で何か書類を見ている。
ずっと見ているわけではないが、完全に離れてもいない。
その距離感が、今は大事だった。
黒崎は黒板近くの掃除に入っていた。
動きは相変わらず感じがいい。
誰かが雑巾を取り損ねると、さっと手を伸ばす。黒板消しを片づける手際もいい。
それだけ見れば、本当にただの“ちゃんとしたやつ”だ。
でも今の僕たちは、そこだけを見ていない。
少しして、小坂が机を動かす時に、椅子の脚を引っかけた。
大きな音ではない。
でも、ガタンと鳴って、手元の雑巾を落とした。
その直後だった。
「ほんと不器用だな」
黒崎が、小さく言った。
声は低い。
でも近くにいた僕と三田村にははっきり聞こえた。
木乃実も、後ろから少し顔を上げる。たぶん聞いている。
次の瞬間には、黒崎が雑巾を拾っていた。
「ほら」
と何でもない顔で渡す。
「ありがと」
小坂が少し戸惑いながら言う。
「気をつけろよ」
黒崎は笑う。
その言い方だけ切り取れば、少し面倒見がいいやつに見える。
そして、そのタイミングで遠山先生が顔を上げた。
「大丈夫?」
先生が言う。
「はい」
小坂が答える。
「黒崎くん、ありがとう」
「いや、全然」
黒崎が笑う。
そこまでだった。
でも、今のはかなり大きかった。
先生が近い。
こちらは前後を見ている。
しかも複数で同じ一言を聞いている。
「……今の」
木乃実が小さく言う。
「うん」
僕も返した。
「聞こえた」
「私も」
三田村がすぐ言う。
「“ほんと不器用だな”」
「うん」
「で、そのあと拾った」
「そう」
僕は頷く。
「先生は拾ったところから」
「……」
「何だよ」
木乃実が聞く。
「いや」
僕は正直に言う。
「やっぱり、こういう場なんだなって」
「掃除?」
「うん」
「自然だし」
「うん」
「先生も近いし」
「うん」
「前後もこっちに残る」
「……」
「かなりね」
木乃実が小さく言った。
三田村は少しだけ息を吐いた。
「今の」
「うん?」
「前より分かりやすかった」
「何が」
「先生が見たところと、こっちが引っかかったところ」
「……」
「うん」
僕は頷く。
「しかも、同じ場面として残せる」
「……」
「それ、かなり大きいよね」
木乃実が言う。
「かなり大きい」
僕が答えると、少し離れたところからエヴァが静かに言った。
「だから申し上げたでしょう」
「何を」
僕が聞くと、エヴァは平然としている。
「係の仕事は、教師が近いぶん少しだけ嘘が混ざりにくいと」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は苦笑した。
「やっぱり、今日の君かなり冴えてるなって」
「いつもです」
「そこは強いな」
「事実です」
朱音は、そのあとで小さく言った。
「ほらね」
「何が」
「掃除」
朱音は少しだけ得意げだった。
「今日たぶん掃除って言ったでしょ」
「言ったな」
「当たった」
「そこ自分で回収するんだ」
「便利だから」
「ほんとにその言葉好きだな」
掃除が終わったあと、僕はノートの最後のページに短く書いた。
放課後清掃、教室内、先生近く。
僕・木乃実・三田村・小坂。
小坂が雑巾落とす。
黒崎『ほんと不器用だな』。
そのあと拾って渡す。先生は拾う場面から反応。
短い。
でも、それで十分だった。
係の仕事は、見てる先生が近いぶん少しだけ嘘が混ざりにくい。
今日はたぶん、そのことがかなりはっきり見えた日だった。




