第76話 見せたい場面は、狙うと不自然で、待つと遅い
見せたい場面ほど、うまく見せられない。
これはたぶん、何でもそうだ。
自然な笑顔を作ろうとすると不自然になるし、気にしていないふりをしようとすると逆に気にしている感じが出る。つまり、意識しすぎた時点で少しずれる。
だから“先生にこの場面を見てもらえたらいいのに”と思うこと自体は間違っていない。
でも、そのために露骨に何かを仕掛け始めたら、たぶんそれはもう違う。
罠みたいになる。
誘導みたいになる。
そしてそうなった瞬間、こっちの正しさまで少し濁る。
でも逆に、ただ待っているだけでも遅い。
黒崎蓮司が勝手に崩れるのを待つ。
先生がたまたまちょうどいい角度で全部を見るのを待つ。
そんな都合のいい偶然を待っていたら、たぶん向こうの方が先にやり方を変える。
つまり今の僕たちに必要なのは、
狙いすぎず、でも見逃さないこと
なのだろう。
その匙加減が、思ったよりずっと難しかった。
朝の教室。
昨日までの流れで、空気は相変わらず少しだけ不安定だった。
表面上は普通だ。
誰かが笑っていて、誰かが眠そうで、木乃実は朝からうるさいし、佐伯は朝からやる気がない。三田村は前より落ち着いている。黒崎も何でもない顔で座っている。
でも、その“何でもない”の下に流れているものを、今の僕は知ってしまっている。
「神代くん」
木乃実が振り向いた。
「何」
「今日、ちょっと難しい顔してる」
「最近それしか言われてないな」
「だってそうだし」
木乃実は頬杖をつく。
「しかも今日は、“見せたいけど見せようとすると変になる”って顔」
「……」
「図星」
「そこまで読むの、だいぶ嫌だな」
「でも当たってる?」
「かなりな」
「ほら」
「そこで勝つなよ」
後ろから佐伯も入る。
「昨日の続きだろ」
「うん」
「孤立しない方がいい」
「うん」
「でも、先生がちゃんと見る場面は必要」
「うん」
「で、それを狙いすぎると不自然」
「……」
「何だよ」
「いや」
僕は少し苦笑した。
「おまえらほんとに最近、僕の思考を要約するのうまいなって」
「神代が分かりやすすぎる」
「その標語、ほんとしぶといな」
少し離れた席から、エヴァの声が届く。
「ようやく、その難しさに気づきましたのね」
「何だよその言い方」
僕が聞くと、エヴァは平然としていた。
「そのままの意味です」
「……」
「今のあなたが欲しいのは」
「うん」
「先生が、黒崎蓮司の“前後”まで見る場面」
「うん」
「でも、それを作ろうと意識しすぎると」
「……」
「罠を張る側に寄る」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は息を吐いた。
「やっぱり君、そこを遠慮なく言うなって」
「遠慮して曖昧になる方が危ないからです」
「便利な理屈だ」
「あなた方ほどではありません」
朱音は、その会話のあとで机の横に来た。
「でも、待つだけも違う」
「……」
「おまえも同じ結論か」
「同じっていうか」
朱音は肩をすくめる。
「そこ以外ないでしょ」
「雑だな」
「でも本当」
朱音は真顔だった。
「だって今の恒一くん、たぶんそこ迷ってる」
「うん」
「“偶然に任せると遅い”」
「うん」
「“狙いすぎると不自然”」
「……」
「何その顔」
「いや」
僕は素直に言った。
「最近のおまえ、そこ外さないなって」
「長いからね」
「またそれか」
「便利だよ」
「ほんと万能だな、その言葉」
一時間目のあと、廊下で少しだけエヴァと話す時間があった。
窓から差す光が白くて、廊下の床に斜めの線を作っている。
こういうどうでもいい景色が見える時ほど、逆に頭の中ではどうでもよくないことを考えているから不思議だ。
「場面を作るのと、罠を張るのは違う」
僕が言うと、エヴァはすぐに頷いた。
「ええ」
「でも、どう違うんだろうな」
「簡単です」
エヴァは平然としていた。
「先生に“ここを見てください”と誘導するのが前者」
「……」
「違うだろ」
「では訂正します」
エヴァは一拍おいて続けた。
「先生が見やすい場に、自分たちも自然にいるようにするのが前者」
「……」
「そして」
「そして?」
「相手が嫌な言い方をするよう、状況そのものを仕組むのが後者」
「……」
「なるほどな」
「何ですの」
「いや」
僕は少しだけ苦笑した。
「今の、かなり欲しかった線引きだなって」
「そうでしょうね」
「そこは迷わないんだ」
「迷う理由がありません」
エヴァは少しだけ視線を下げてから続けた。
「たとえば」
「うん」
「係や掃除、配布物の回収」
「……」
「先生が完全に離れていない場」
「うん」
「しかも、誰かが自然に近くへいられる場」
「……」
「そういうところを意識するのは、不自然ではありません」
「……」
「待つだけではなく」
「うん」
「でも、仕組むわけでもない」
「……」
「そこが今のあなたに必要な匙加減です」
「……」
「何だよ」
「いや」
僕は息を吐いた。
「最近の君、やっぱりそういう時にすごいなって」
「褒めても何も出ません」
「今のはかなり褒めてる」
「……困りますわね」
「最近それ認めるな」
「認めないと面倒でしょう」
「また人のせいにした」
「事実です」
昼休み。
後ろの棚の近くで、その話を木乃実、三田村、佐伯、朱音にも共有した。
「なるほど」
木乃実が最初に言った。
「“見せる”んじゃなくて、“見やすいところにいる”か」
「そう」
僕は頷く。
「たとえば?」
「係の仕事とか」
佐伯が言った。
「先生がわりと近くにいるやつ」
「うん」
「でも別に、不自然ではない」
「そう」
「それ、いいかも」
木乃実は頷いた。
「掃除とか配布とか日直とか」
「うん」
「そういう時って、先生も完全には離れてないし」
「うん」
「しかも、木乃実とか三田村が自然に近くにいても変じゃない」
「……」
「何だよ」
「いや」
僕は少し笑った。
「そこまで自然に理解してくれるの、助かるなって」
「でしょ?」
「自分で言うんだ」
「便利だから」
「その言葉ほんと万能だな」
三田村は少しだけ慎重に聞いた。
「でも」
「うん?」
「それって、やっぱり“狙ってる”感じにならない?」
「そこなんだよな」
僕は頷いた。
「だから、誰かに何かさせるわけじゃない」
「……」
「ただ」
「うん」
「先生が近い場では、こっちもちゃんと前後を見る」
「……」
「それだけ」
「なるほど」
三田村は少し考えてから頷いた。
「それなら、罠じゃないかも」
「うん」
「たぶん今、大事なのはそこ」
朱音は、その会話を聞きながら珍しくわりと落ち着いていた。
「それ、いいと思う」
「即答だな」
僕が言うと、朱音は肩をすくめる。
「だって、やっとちょうどいい」
「ちょうどいい?」
「うん」
「何が」
「今までって」
朱音は指を折るみたいに言った。
「待つか」
「うん」
「その場で止めるか」
「うん」
「その二つに寄りすぎてた」
「……」
「でも今のは違う」
「……」
「自然な場で、ちゃんと見る」
「……」
「それ、かなりちょうどいい」
「……」
「何だよ」
「いや」
僕は正直に言った。
「今日のおまえ、かなりいいこと言うなって」
「今日は本気」
「最近それ多いな」
「だって今そこ大事だし」
午後の授業中、僕は少しだけ教室全体を見ていた。
誰がどの係をしているか。
先生がどの時間に近くへ来るか。
掃除当番は誰か。
配布物の回収はどのタイミングか。
それは別に、作戦会議みたいな大げさなものじゃない。
でも最近の僕にとっては、そういうルーチンの中にこそ“自然に見える場面”がある気がしていた。
待つと遅い。
狙うと不自然。
なら、そのあいだしかない。
放課後の少し前、窓際でエヴァが静かに言った。
「ようやく、“自然さ”を捨てずに戦う方法を考え始めましたのね」
「戦うって言い方はやめろ」
僕が言うと、エヴァは少しだけ目を細めた。
「では、訂正します」
「何て」
「守る、です」
「……」
「今のあなたは、静かな青春を守りたいのでしょう?」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は少しだけ息を吐いた。
「今の、かなりずるいなって」
「何がですの」
「その言い方」
「事実を言っただけです」
「でも、かなり効く」
「そうでしょうね」
見せたい場面は、狙うと不自然で、待つと遅い。
だから今は、そのあいだを探すしかない。
たぶんこの章のいちばん面倒で、いちばん大事なところはそこなのだろう。




