第73話 気づいたやつは、今度は“被害者ぶらない形”で圧をかける
露骨に被害者ぶるやつは、まだ分かりやすい。
俺は何もしてないのに、とか。
なんで俺ばっかり、とか。
そういう言葉を前に出してくれるなら、まだこっちも「いや、そういう話じゃないだろ」と返しやすい。
厄介なのは、そこをやらないやつだ。
被害者です、という顔はしない。
でも、少しだけ困ってるように見せる。
責めてはいないと言いながら、ちゃんと相手へ視線を向けさせる。
“自分は普通にしてるだけなんだけど”の形で、周りに圧だけを残す。
そういうやつは、たぶん本当に面倒くさい。
そして黒崎蓮司は、やっぱりそっち側だった。
別の先生の目が少し入った。
教室の空気は少し固くなった。
その変化に、黒崎が気づかないはずがない。
なら、次に何をするか。
たぶん、わりと嫌な方向へ賢くなる。
朝の教室は、見た目だけなら穏やかだった。
木乃実はいつも通り元気だし、佐伯は相変わらず眠そうだし、三田村も最近ではかなり落ち着いている方だ。エヴァは必要な時だけ会話へ入る顔で静かに座っていて、朱音は朝から妙に黒崎の方をよく見ていた。
そして黒崎は、今日も感じがよかった。
感じがいい、のだが。
今朝はそこへ、ほんの少しだけ別の匂いが混ざっていた。
「神代くん」
木乃実が振り向く。
「何」
「今日、黒崎くんちょっと違う」
「……」
「何が」
「何か」
木乃実は頬杖をついたまま首をひねる。
「普通にしてるんだけど、“俺べつに何もしてないけど?”がちょっと濃い」
「……」
「図星っていうか」
僕は苦笑した。
「それ、たぶん僕も思ってた」
「でしょ?」
「うん」
「最近の神代くん、ほんと顔に出る」
「その標語まだ生きてるのか」
「かなり元気」
「しぶといな」
後ろから佐伯も入る。
「俺も思った」
「何が」
僕が聞くと、佐伯は肩をすくめた。
「黒崎、朝からちょっと“気を使ってる側”っぽい」
「……」
「気を使ってる側?」
木乃実が聞くと、佐伯は眠そうな顔のまま言う。
「何か最近、周りの空気が固いの、自分も感じてますよ、って顔」
「……」
「うわ」
木乃実が顔をしかめた。
「それ、一番だるいやつ」
「かなりな」
僕が答える。
「しかも被害者です、とは言わない」
「うん」
「でも“俺もやりづらい”は薄く置く」
「……」
「それ」
佐伯が言う。
「今の黒崎、やりそうだろ」
「やりそうだな」
少し離れた席から、エヴァの声が届く。
「予想通りですわね」
「何が」
僕が聞くと、エヴァは平然としている。
「“普通にしているだけなのに、なぜか変に見られている側”の空気です」
「……」
「朝から言い切るな」
「言い切れます」
エヴァは淡々と続けた。
「別の先生の目が入りました」
「うん」
「教室の空気も少し固くなった」
「うん」
「なら次は、自分が加害の顔をしないまま、やりづらさだけ周囲へ置く」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は息を吐いた。
「やっぱり君、そこを本当に迷わず切るなって」
「迷う理由がありません」
「強いな」
「必要なので」
「便利な理屈だ」
「あなた方ほどではありません」
朱音は、その会話を聞いて露骨に嫌そうな顔をした。
「それ、ほんと嫌い」
「何が」
僕が聞くと、朱音は腕を組む。
「被害者ぶらない被害者ムーブ」
「言い方が強いな」
「でもそうじゃん」
朱音は黒崎の方を見たまま言う。
「“俺は普通にしてるだけ”って顔で」
「うん」
「周りに、“なんか最近こっちもやりづらい”って思わせるやつ」
「……」
「そこが嫌」
「かなりな」
僕が答えると、朱音は小さく頷いた。
「でしょ」
一時間目のあと、その“やりそう”は思ったより早く来た。
休み時間。
教室の前の方で、黒崎が男子二人と話している。
大きな声じゃない。けれど、近くにいると十分聞こえるくらいの音量だ。
「いや、別にさ」
黒崎が笑う。
「俺は普通にしてるだけなんだけど」
「うん」
「最近ちょっと、気使うんだよな」
「何に?」
「いや、何か」
黒崎は肩をすくめる。
「いろいろ見られてる感じあるじゃん」
「……」
「え、そうなん?」
「いや、分かんないけど」
黒崎は笑っている。
「でも、最近クラスちょっと固くね?」
「あー」
「それはちょっと分かるかも」
「……」
言い方が、うまい。
誰かの名前を出していない。
責めてもいない。
でも、“自分もやりづらい”“クラスが固い”だけは置く。
それでいて、全部を冗談みたいな顔で流せる。
「うわ」
木乃実が小さく言った。
「来た」
「来たな」
僕も答える。
「しかも思ったよりきれいな形で」
「きれいって言い方やだ」
「分かる」
僕は苦笑する。
「でも構造としては、かなりきれい」
「最悪寄りの褒め方だな」
「かなりな」
三田村も少し青い顔で言った。
「これ」
「うん」
「言い返しづらいね」
「うん」
「“誰が”って言ってないもん」
「そう」
僕は頷く。
「そこがたぶん狙い」
「……」
「何だよ」
「いや」
三田村は小さく息を吐いた。
「黒崎くん、こういうの本当にうまいなって」
「嬉しくないうまさだな」
「かなりな」
そのあと、似たような場面がもう一度あった。
今度は廊下。
黒崎が別の女子と話している。
「いや、俺は別にいいんだけど」
「うん」
「最近ちょっと、何か言うと気にする人いるじゃん」
「えー」
「めんどくない?」
「そこまで?」
「いや、分かんないけど」
黒崎は笑っていた。
「こっちも普通にしてるだけなんだけどなって」
これだ、と思う。
被害者ぶらない。
でも、ちゃんと“こっちも困ってる”を置く。
しかも“分かんないけど”で逃げ道まで用意する。
そこまで含めて、本当に面倒だった。
昼休み。
後ろの棚の近くで、僕たちは自然とその話になった。
「これさ」
木乃実が言う。
「黒崎くん、今度は“自分は普通なのに、周りが変に気にしてる”に寄せ始めたよね」
「うん」
僕は頷く。
「かなり明確に」
「で」
木乃実は顔をしかめる。
「そこがまた嫌」
「何で」
僕が聞くと、木乃実はすぐ答えた。
「だって、あれ聞いた人からしたら」
「うん」
「“黒崎くんもやりづらいのかも”って思いやすい」
「……」
「しかも、本人は責めてる感じ出してない」
「うん」
「だから余計にだるい」
「かなりな」
僕が答えると、佐伯も頷いた。
「向こう、今の空気を逆利用し始めたな」
「逆利用」
「うん」
佐伯は言う。
「先生が増えて空気固くなった」
「うん」
「そしたら今度は、その固さを“自分も気を使ってる側”に変える」
「……」
「それ、だいぶ面倒」
「かなりな」
三田村は少しだけ迷ってから言った。
「これって」
「うん?」
「俺たちの方が、神経質みたいに見えたりする?」
「……」
その問いは、重かった。
でも正直に言うしかない。
「見えるかもしれない」
僕は答えた。
「……」
「うわ」
木乃実が顔をしかめる。
「そこ、正直すぎる」
「ごまかしても意味ないだろ」
「それはそうだけど」
木乃実はため息をついた。
「でも嫌だなあ」
「かなりな」
僕が答えると、三田村も小さく頷いた。
「やっぱりそうか」
「うん」
「ただ」
僕は続ける。
「だからって、向こうのやり方が消えるわけじゃない」
「……」
「今のは今ので、ちゃんと見とくべき」
「……」
「何だよ」
「いや」
三田村は少しだけ顔を上げた。
「神代くん、最近そういう言い方するよね」
「どういう」
「怖いことは怖いって置いたまま」
「うん」
「でも、見るのはやめない」
「……」
「そこ、前より強い」
「……」
「それ、褒めてる?」
「かなり」
「最近そこ割合なし多いな」
「今日は本気」
少し離れたところから、エヴァが静かに言った。
「今の黒崎蓮司は、“無実っぽさ”を厚くしていますわね」
「無実っぽさ、か」
僕が聞くと、エヴァは頷く。
「ええ」
「何か言い方いやだな」
「嫌だからこそ正確です」
エヴァは続ける。
「被害者です、とは言わない」
「うん」
「でも、“普通にしてるだけなのに見られている”は置く」
「うん」
「それによって、一部の人間には“神代たちが敏感すぎるのでは”と思わせる」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は小さく息を吐いた。
「今の、かなり本質だなって」
「そうでしょうね」
「そこは迷わないな」
「迷う理由がありません」
朱音は、その会話のあとで少しだけむっとした顔をした。
「じゃあやっぱり」
「何」
「今の空気、一回戻りかける」
「……」
「戻りかける?」
「うん」
朱音は僕を見る。
「“黒崎くん別にそこまでじゃないかも”って」
「……」
「それ、出る」
「……」
「何その顔」
「いや」
僕は素直に答える。
「そこまで読むの、ほんと嫌なくらい鋭いなって」
「長いからね」
「またそれか」
「便利だよ」
「その便利、ほんとに無敵だな」
被害者ぶらない形の圧。
それは露骨じゃないぶん、前より止めにくい。
でも同時に、向こうが焦ってやり方を変えてきている証拠でもある。
そこをどう見るかで、たぶん次の動きも変わるのだろう。




