第5話 自己紹介で普通をやるのが一番難しい
入学式の翌朝、僕は昨日より二十分早く目が覚めた。
なぜ二十分かと言えば、きっとそのくらいが人として無理のない不安の表れだからだ。これが一時間早かったらもはや重症だし、五分早いくらいだと逆に誤差だ。二十分。実に高校一年生の新学期二日目らしい、ほどよく情けない早起きである。
布団の中で天井を見上げながら、僕は静かに現実と向き合った。
今日、たぶん、自己紹介がある。
昨日は入学式だった。式典だ。特殊だ。非日常だ。多少ぎこちなくても、多少浮いても、「初日だから」で押し切れる。押し切れていたかどうかはともかく、押し切るという気概だけは持てる。
だが今日は違う。
今日はもう、“高校生活”の側だ。
つまり、いよいよ問われるのだ。
僕が普通の高校生を演じられるかどうか、その適性が。
いや、適性という言い方は違うな。適性があったらそもそもこんなに朝から悩んでいない。
「……自己紹介くらい、普通にやれるだろ」
誰にともなく呟いてみる。
信じていない時ほど、人は自分を励ます。
起き上がって制服に袖を通しながら、僕は昨夜のうちに考えておいた文面を頭の中で確認した。
神代恒一です。
読書と映画が好きです。
まだ慣れないことも多いですが、皆さんと仲良くできたら嬉しいです。よろしくお願いします。
完璧だ。
いや、完璧という言い方は危険だ。完璧を目指した時点で、だいたい普通から遠ざかる。だからこれは、普通だ。極めて普通。薄味。無難。角がない。高校一年生男子の自己紹介としては、正直ちょっと面白みがなさすぎるくらいだが、それでいい。僕は面白くなくていい。面白い男子高校生になりたいわけじゃない。静かに日常へ溶け込みたいだけだ。
笑いはいらない。インパクトもいらない。記憶にも残らなくていい。
残るのは、教科書の名前欄だけで充分だ。
そんな決意を胸に玄関を出て、三秒でその決意の平穏は崩れた。
「おはよう、恒一くん」
いた。
当然のようにいた。
門の少し先。いかにも偶然通りかかりましたみたいな顔をして、柊原朱音が立っていた。制服姿で、鞄を肩にかけて、朝の光の中で普通に美少女だった。腹が立つくらい普通に美少女で、しかもその“普通に”が僕には一番厄介だった。
「……おはよう」
「何その声」
「いや、だろうなとは思ってたけど」
「ひどいなあ。ちゃんと気を遣って、門の前じゃなくて少し離れたところで待ってたのに」
「待ってる時点で充分近いんだよ」
「幼馴染なんだからそれは近いでしょ」
「その言葉、便利な免罪符みたいに使うなよ」
「免罪符っていうか、事実だし」
「事実でも限度ってあるんだけど」
「じゃあ聞くけど」
朱音は本当に聞く顔で首をかしげた。
「幼馴染が朝いっしょに登校して、何が悪いの?」
「悪くはない」
「でしょ?」
「悪くはないけど、近い」
「それは恒一くんが遠いんだよ」
「急に僕の問題になるの?」
「なるよ。わたし、昔からこの距離だもん」
「昔からだから正しいとは限らない」
「でも恒一くん、昔から逃げてないよ?」
「逃げるほどじゃなかったからで」
「今は?」
「今は教室という観測者がいる」
「言い方が急にそれっぽい」
「君のせいだよ」
朱音はくすっと笑った。
悔しいが、その笑顔を見ると少しだけ気が抜けるのも事実だった。幼馴染というのは厄介だ。厄介さが長期契約で体に染みついている。
「今日はちゃんと空気読むから」
朱音が言った。
「昨日より?」
「昨日より」
「その“昨日より”が信用ならない」
「大丈夫だって。今日は入学式じゃなくて普通の日だもん」
「それ、昨日も聞いた気がする」
「昨日は昨日で特別だったし」
「その理屈、今後ずっと使う気?」
「使えるうちは使うかな」
「正直なんだよなあ」
並んで歩き出す。
朝のつくばは昨日と同じなのに、昨日とは少し違って見えた。駅へ向かう人の流れ、高校生たちの自転車、研究学園都市らしい広い道。昨日は“景色”だったものが、今日は少しだけ“通学路”に近づいている。
それは小さな変化だったが、僕にとってはかなり大きい。
たぶん僕は、そういう些細な変化にいちいち感動しすぎるのだろう。普通の高校生が普通に持っている日常を、いちいち宝箱みたいに見てしまう。自覚はある。あるが、どうしようもない。
「今日、自己紹介あるかな」
朱音がふと思い出したように言った。
「あるかも」
「考えた?」
「まあ、一応」
「見せて」
「見せるものじゃない」
「じゃあ聞かせて」
「もっと嫌だ」
「なんで?」
「採点されそうだから」
「するよ?」
「ほら」
「だって恒一くん、普通を狙うとたまに変な方向へ完璧を目指すから」
「そんなことない」
「あるよ」
「ない」
「あるって。昨日だって――」
「昨日の話は今しないで」
「都合が悪くなると急に遮るよね」
「幼馴染はそこ優しくしてくれるものじゃない?」
「そこは優しくしないかな」
「なんで」
「面白いから」
「最低だ」
でも、少し笑ってしまう。
校門に着くころには、昨日ほど肩に力は入っていなかった。昨日のように校長や理事長が現れたらどうしよう、という恐怖はもちろんゼロじゃない。ゼロじゃないが、毎日あれをやられたらさすがにこちらも高校生活どころではない。学校側だってそこまで愚かではない、と思いたい。
思いたいだけで、確信はない。
だが今日は、本当に何もなかった。
校門をくぐっても誰も妙にうやうやしくしない。先生がいても普通に「おはよう」と声をかけるだけだし、僕も昨日より一段階だけ自然な会釈で返せた。ここ重要だ。昨日より一段階。二段階ではない。一段階である。人の成長はそんなものだ。
「今日は平和だね」
朱音が言う。
「その言い方やめてくれる?」
「どうして?」
「フラグみたいだから」
「何の?」
「僕の高校生活崩壊の」
「もうだいぶ崩壊してる気もするけど」
「まだ序章だよ」
「序章の時点で疲れすぎじゃない?」
「それは本当にそう」
教室へ向かう廊下も、昨日より少し賑やかだった。まだ二日目なのに、もう何となく“このクラスの空気”というものが生まれ始めている。名前を覚えた者同士が挨拶をして、昨日あまり話せなかった者が近づいて、ちょっとした輪ができる。
そういう光景を見ていると、胸のどこかがちくりと痛む。
羨ましい、ではない。もう少し複雑で、もう少し前向きな痛みだ。自分もそこへ入りたいという欲と、うまくやれるかという不安が、同じ場所でごちゃついている感じ。
教室の前で一度深呼吸してから中へ入る。
「遅くはありませんわよ」
声は、昨日と同じ位置から飛んできた。
隣の席。窓側。エヴァ・ファン・オルデンブルクは今日もきっちりとそこに座っていた。彼女は教科書も筆箱も、机の上に無駄なく並べる。無駄のなさに無駄があるタイプだと思う。つまりいちいち綺麗すぎるのだ。人のことは言えないが。
「おはよう」
「おはようございます」
「今日も刺すのが早いね」
「刺してはいません」
「じゃあ何」
「観察結果の共有です」
「共有って、僕にメリットある?」
「自覚が持てますわ」
「すでにだいぶ持ってる」
「足りません」
「厳しいなあ」
「自分に甘い方よりはましです」
「その理屈、すごく正しそうで嫌だ」
僕が席へ着くと、エヴァは少しだけこちらを見て、それから、ほんのわずかに頷いた。
「昨日よりは自然ですわね」
「本当に?」
「本当に」
「よかった」
「ただし」
「やっぱり付くのか」
「その“よかった”の抜き方が、少しだけ場慣れした人の余裕でしたわ」
「もうやだ」
「今のは少しだけ同情します」
「同情で済む問題かな」
「問題の規模としては小さいです」
「小さいの?」
「ええ。あなた全体で見ると」
ひどい。全体で見るな。部分で見てくれ。今日の僕は今日の僕として評価してほしい。
「おはよう、ふたりとも」
木乃実だった。朝からやたら元気だ。元気の供給源がどこにあるのか聞いてみたい。ついでに少し分けてほしい。
「おはよう」
「おはようございます」
「お、今日の神代くん、昨日より顔がまし」
「言い方」
「いや褒めてるって」
「“まし”は褒め言葉にしてはだいぶ荒い」
「でも昨日ほんとに張ってたもん。なんか“これより重要儀式を執り行います”みたいな顔してた」
「そんな顔してた?」
「してたよ」
後ろから佐伯も会話に乗ってくる。
「今日の方が人間っぽい」
「それも地味にひどいな」
「いや、ひどくないって。親しみやすくなったって意味」
「言い換えって大事なんだなあ……」
木乃実は、席へ着く前に僕の机に両手をついて、じっと顔を覗き込んできた。
「で」
「で?」
「自己紹介、考えてきた?」
「なんで分かるの」
「分かるよ。顔がしてる」
「どんな顔だよ」
「準備してきたのに、それを見破られた人の顔」
「限定的すぎるだろ」
「図星なんだ」
「……少しだけ」
「ほらー!」
「声でかい」
「いやだって面白いじゃん」
「面白くないように準備してきたんだけど」
「その時点で面白いんだって」
「どうしろと」
「もっと雑でいいのに」
「雑ができたら苦労しない」
「それな」
佐伯が笑う。
「神代って、そういうとこ真面目だよな」
「褒めてる?」
「今日は七割くらい褒めてる」
「昨日より増えたな」
「成長したからじゃない?」
木乃実がうんうん頷く。
「神代くんも、私たちも」
「一日で?」
「一日で」
その断定に、少し笑ってしまう。
こういうのだ。こういう、何でもない会話の軽さが、僕にはまだちょっと眩しい。
「恒一くん」
後ろから朱音が言った。
「今日の自己紹介、変に頑張らなくていいからね」
「その忠告は遅い」
「え、もう完成してるの?」
「……一応」
「見たい」
「見せない」
「なんで」
「採点されるから」
「するよ?」
「だから嫌なんだって」
「でもわたし、甘めに採点するよ」
「君の甘めは信用ならない」
「ひど」
「事実でしょ」
「……ちょっとだけ」
「認めるんだ」
そこへ遠山先生が教室へ入ってきて、ざわついていた空気が少しだけ落ち着く。
「はーい、おはよう。じゃあ席ついてね。昨日は入学式でばたばたしてたから、今日は改めて簡単に自己紹介してもらおうかな」
やはり来た。
心の中でだけ小さくうなずく。予想通り。ここまでは予定通りだ。問題はここからだが、少なくとも“予想外の展開”ではないだけ救いがある。
「名前と、好きなこととか、頑張りたいこととか、そのくらいで大丈夫。あんまり気負わなくていいからね」
先生がそう言う時に限って、人は気負う。
席順で前から順番に立っていく。皆の自己紹介を聞きながら、僕は脳内で自分の文面を最終確認していた。
だが、確認すればするほど不安になる。
神代恒一です。
読書と映画が好きです。
まだ慣れないことも多いですが、皆さんと仲良くできたら嬉しいです。
いや、“嬉しいです”って少し固いか?
“仲良くしてくれたら嬉しいです”の方が柔らかい?
でも“してくれたら”は相手に委ねすぎている感じがする。
“仲良くなれたら嬉しいです”――いや、これだと距離を置きすぎか?
待て。今そんな修正をしてどうする。ここでいじるとろくなことにならない。
「佐伯くん」
「はい」
佐伯はさっと立って、自然に自己紹介をした。短い。分かりやすい。適度に雑で、適度に自分が出ている。こういうのでいいのだ。いや、こういうのができれば苦労しないのだが。
「柊木乃実です。駅の近くから通ってます。甘いものとしゃべるのが好きです。友達いっぱいできたら嬉しいです。よろしくお願いします!」
明るい。軽い。強い。会話が始まりそうな自己紹介だ。
そして。
「神代くん」
遠山先生がこちらを見る。
立つ。
そこでまず、やってしまった、と思った。立ち上がる時の動きが少し綺麗すぎた。いや、綺麗すぎるって何だという話だが、そうとしか言いようがない。椅子を引く音の少なさとか、背筋の通り方とか、そういう細部がどうにも“習ってきました感”を出してしまう。
だが、もう止まれない。
「神代恒一です」
声は抑えた。昨日よりは確実に抑えた。
「読書と映画が好きです。まだ慣れないことも多いですが、皆さんと仲良くなれたら嬉しいです。よろしくお願いします」
ぺこり、と軽く頭を下げて座る。
悪くない。たぶん悪くない。少なくとも昨日の“返事ひとつで体育館の後方まで届きそう”な事故は避けられた。内容も無難。修正も成功していたと思う。
よし、と思った、その直後。
木乃実が机に突っ伏しそうになりながら、肩を震わせていた。
だめだったか。
自己紹介が一巡して、先生の連絡が少し入る。そのあと「じゃあ残り時間少しだけ自由にしていいよ」と言われた瞬間、木乃実が振り返った。
「神代くん」
「何」
「やっぱり面接だった」
「自己紹介だよ」
「自己紹介の皮をかぶった面接」
「意味が分からない」
「こっちの台詞だって。なんで高校一年の自己紹介で“まだ慣れないことも多いですが”がそんなにしっくりくるの」
「そんなに変だった?」
「変っていうか、整いすぎ」
佐伯が笑う。
「内容は普通なんだよ。普通なんだけど、空気だけちょっと“どうぞよろしくお願いいたします”感がある」
「そんなに?」
「そんなに」
木乃実が頷く。
「でも昨日より全然まし」
「そこは認めてくれるんだ」
「うん。昨日はもっと面接官に気を使ってた」
「高校の自己紹介に面接官はいない」
「心の中にはいたんでしょ?」
「……いたかもしれない」
「いたんじゃん!」
周囲から小さな笑いが起きる。
恥ずかしい。かなり恥ずかしい。
けれど、昨日みたいな“何か変なことをしてしまった後の冷や汗”とは少し違う。これは、笑われているのにちゃんと会話の輪にいる恥ずかしさだ。人として前向きな種類の羞恥だと思いたい。
「頑張った痕跡は見えましたわ」
隣からエヴァが言った。
その一言で、僕は救われたような、さらに刺されたような微妙な気持ちになる。
「それ、褒めてる?」
「ええ、多少は」
「多少か」
「ただし」
「やっぱり付くんだ」
「失敗でしたけれど」
「前向きになりかけた心を折るなよ」
「折っているのではなく、現実を教えているだけです」
「その現実、もう少し柔らかく教えることはできないの?」
「できません」
「即答だなあ」
「でも」
エヴァは少しだけ言い直した。
「昨日よりは、ずっとよかったですわ」
「……そこだけ切り取るとすごく優しいな」
「切り取りなさい」
「いいの?」
「今だけです」
木乃実が目を丸くする。
「え、エヴァさん今ちょっと優しかったよね?」
「優しくありません」
「いやでも“ずっとよかった”って言った」
「事実です」
「事実をわざわざ言ってくれるの、たいてい優しさなんだよ」
「そういう文化なんですの、日本は」
「いや日本全体かは分かんないけど、少なくとも教室ではそう」
「勉強になりますわ」
「絶対納得してない」
「していませんもの」
そこで朱音が、待ってましたとばかりに入ってくる。
「でも恒一くん、ほんと昨日より自然だったよ」
「朱音まで」
「ほんとだって。ちょっとだけ肩の力抜けてたし」
「ちょっとだけ、ね」
「うん、ちょっとだけ」
「そこは盛ってくれてもよくない?」
「盛ったら後で本人が調子乗るかもしれないし」
「僕、君の中でそういう扱いなんだ」
「でも昔から、人前だと少し固いよね」
「ほらそれだよ」
「何が?」
「詳しすぎる」
「幼馴染なんだから詳しいよ」
「そういう意味じゃなくて、教室でそれを出しすぎると」
「だめ?」
「少しは抑えて」
「でも本当のことだし」
「本当でも調整ってあるんだよ」
「難しいなあ」
朱音はまったく困っていない顔でそう言った。困っているのはこっちだ。
「やっぱり朱音さんって、だいぶ神代くんのこと知ってるよね」
木乃実が言う。
「うん、まあ、長いから」
朱音はあっさり答えた。
「そういうの、ちょっと羨ましい」
「羨ましい?」
「神代くん、まだ何考えてるか分かりにくいし」
「そんなに分かりにくいかな」
僕が聞くと、木乃実と佐伯が同時に頷いた。
「分かりにくい」
「分かりにくい」
「重ねなくていいだろ」
「いやでも本当に」
木乃実が笑う。
「感じ悪くはないんだよ。ちゃんと話してくれるし。でも、どっかでずっと“一回考えてから返してる”感じがある」
「それは……」
「考えてる?」
「だいぶ」
「だよねえ」
「だって変なこと言いたくないし」
「もうだいぶ言ってるよ?」
「そういう意味の変じゃなくて」
「意味が増えてる」
「あと、なんていうか」
佐伯が言葉を探しながら続ける。
「神代って、ちゃんと入ろうとしてくれてるのは分かるんだよ」
「入ろうとしてる?」
「クラスに。会話に」
「……それは、まあ」
「でもその“入りたいです”のやり方が、ちょっとだけ丁寧なんだよな」
「雑談にも入室マナーがあるみたいな?」
木乃実が言う。
「そう、それ」
「最悪だ」
「いや悪くないって。むしろ真面目でいいやつ感ある」
「褒めてる?」
「今日は八割褒めてる」
昨日より一割増しだ。
僕の高校生活、妙な指標で評価されているなと思う。
「でも」
木乃実が少しだけ真面目な顔になった。
「さっきの自己紹介の最後、あれよかったよ」
「最後?」
「“仲良くなれたら嬉しいです”ってとこ」
「そこ?」
「うん。なんか、ちゃんと神代くんの言葉っぽかった」
「え」
「面接っぽかったけど」
「台無しだよ」
「でもそこはよかったんだってば」
「褒めたいのかいじりたいのか、どっちかにしてくれない?」
「両方かな」
両方らしい。教室とはそういう場所なのかもしれない。
僕は少しだけ肩の力を抜いた。
完全には無理でも、昨日よりは確かに会話の中へ入れている。そう思えた。
その時、ふと前方の席に座る黒崎が目に入った。
彼は昨日と同じように、教師の前では感じのいい顔をしていた。自己紹介でも、家業がどうとか、地域とのつながりがどうとか、そういう話をさりげなく混ぜて先生受けの良さそうな空気を作っていた。
なのに今は、後ろの席の大人しそうな男子に向かって、何かを小さく言っている。言われた方は笑って流しているが、笑い方がちょっと硬い。
大したことじゃない。今のところは。
でも、嫌な感じがする。
「あなた、また見ていますわね」
エヴァが前を向いたまま言った。
「何を」
「嫌なものを見る時の顔です」
「そんな顔してた?」
「ええ」
「よく見てるなあ」
「隣ですもの」
「その言葉、便利だね」
「あなたも昨日使っていたでしょう」
「使ったっけ」
「使いました」
「記録取ってる?」
「取っていません」
「じゃあなんで覚えてるの」
「覚えているだけです」
「それはそれで怖いな」
「失礼ですわね」
そのやり取りへ、朱音がすっと視線を差し込んでくる。
「エヴァさん、ほんと恒一くんのことよく見てるね」
「隣の席ですから」
「ふうん。便利だね、その理由」
「あなたに言われたくありませんわ」
「どうして?」
「……なんとなくです」
「なんとなくで刺してるの?」
「刺していません」
「でもちょっと刺さってるよ?」
「気のせいでは?」
「気のせいじゃない気がするなあ」
まただ。
またこの、笑顔と毒舌と微妙な圧が三方向から飛んでくるやつだ。
僕は心の中でそっと天井を仰いだ。
静かな青春。
そんなものが本当に存在するのかは、すでにだいぶ怪しい。
少なくとも僕の周囲には、入学二日目にしてその気配すら薄い。
右を見れば毒舌、後ろを見れば幼馴染、前を見ればクラスメイト。
ついでに教室の隅には、少し嫌な予感まで置いてある。
ずいぶん盛りだくさんな高校生活だ。
でも。
盛りだくさんなくせに、少しだけ楽しいと思っている自分がいるのだから、困ったものだった。




