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普通の青春をしたいだけなのに、隣の席も幼馴染も全然“普通”じゃない。~つくば市の県立高校に入学した俺は静かに青春するはずだったのに、隣の席の毒舌美少女と世話焼き幼馴染が放っておいてくれない~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第51話 大人の話を出すやつは、だいたい一回脅している

脅しというのは、もっと分かりやすいものだと思っていた。


 胸ぐらを掴むとか。

 声を荒げるとか。

 露骨に「痛い目見るぞ」と言うとか。


 そういうものを想像していた。


 でも実際には、もっと曖昧で、もっと日常の中に紛れる形の方がよほど面倒なのかもしれない。


 たとえば。


 先生って立場あるし。

 学校もいろいろあるし。

 うちの親、そういうの詳しいし。


 その程度の言葉でも、言う人間と場面次第では十分に脅しになる。


 しかも、言った本人はたいてい「別に脅してないけど?」の顔をしている。そこが一番厄介だ。


 最近の黒崎蓮司は、まさにそういう方向へ進み始めていた。


 朝の教室は、いつも通りの顔をしていた。


 木乃実は朝から元気で、佐伯は朝から眠そうで、三田村は補足メモがなくなっていないことを確認する癖がまだ少し抜けていない。小坂は静かに教科書を出していて、エヴァは相変わらず必要な時だけ口を開きそうな顔で座っている。


 そして黒崎は、今日も何でもない顔で笑っていた。


 でも最近は、その“何でもない”が逆に不自然だ。


「神代くん」


 木乃実が振り向く。


「何」

「今日、また黒崎くんのこと考えてる」

「最近その入りしかないな」

「だってそうだもん」

 木乃実は悪びれずに言う。

「しかも今日は、“外で何言ってくるか”だけじゃなくて、その先も考えてる顔」

「……」

「図星」

「おまえ本当に人の顔見るの上手くなったな」

「神代くん限定だけどね」

「嬉しくない」

「でも当たってる?」

「かなりな」

「ほら」


 佐伯も後ろから会話に乗ってくる。


「昨日の昇降口のやつだろ」

「うん」

「“教室の外でも見てるだろ”ってやつ」

「……」

「で、その次に来るなら」

 佐伯は少しだけ声を落とした。

「もうちょい大人の話混ぜてくる気がする」

「大人の話?」

 木乃実が聞くと、佐伯は肩をすくめた。

「親とか先生とか学校とか」

「……」

「うわ」

 木乃実が顔をしかめる。

「それ、かなり嫌」

「かなりな」

 僕が答える。

「でもありそう」

「だよね」


 少し離れた席から、エヴァの声が届く。


「ようやくそこを警戒し始めましたのね」


「その言い方、だいぶ前から見えてたみたいだな」

 僕が言うと、エヴァは平然としていた。


「かなり前からです」

「はっきり言うな」

「必要なので」

「便利な理屈だ」

「あなた方ほどではありません」

「で?」

「で、とは何ですの」

「大人の話、って」

 僕が聞くと、エヴァは少しだけ目を細めた。

「黒崎蓮司の今までの余裕の根拠が家庭にあるなら」

「うん」

「次はそこを“言葉”として出してくる可能性が高い」

「……」

「つまり?」

「“先生も立場がある”」

「……」

「“学校も面倒なことは嫌う”」

「……」

「“うちの親はそういうの詳しい”」

「……」

「そのあたりですわね」

「嫌なくらい具体的だな」

「嫌だからこそ具体的です」


 朱音は、その会話を聞いて静かに頷いた。


「うん」

「何」

「わたしも、今日それ来る気がする」

「何で」

「黒崎くん」

 朱音はさらっと言う。

「最近、教室の中の空気だけじゃ押しきれなくなってきた」

「うん」

「だから次は、“その先”を匂わせる方が早い」

「……」

「それ、だいぶ嫌な読みだな」

「嫌だよ」

 朱音は僕を見た。

「でも、来たらちゃんと聞いて」

「聞いてるだろ」

「聞くだけじゃなくて」

「……」

「“それ、脅しに近い”って自分の中でちゃんと認識して」

「……」

「そこ、大事」

「……分かった」

「うん」


 一時間目、二時間目は何事もなく過ぎた。


 黒崎はやっぱり教室の中では静かだった。

 静かなまま、感じのいい顔も崩さない。


 でも三時間目と四時間目のあいだ、廊下の窓際で、その時は来た。


 僕が一人で教室へ戻ろうとした時だった。

 木乃実は購買、佐伯はトイレ、三田村は職員室へ提出物。朱音もエヴァも近くにいない。


 つまり、ちょうどいいくらいに人が薄い。


「神代」


 黒崎が呼ぶ。


「何」

「最近さ」

「うん」

「ほんとにいろいろ見てるよな」

「そうかもな」

「そうかも、で済ますんだ」

「済ますよ」

「へえ」

 黒崎は窓に軽く寄りかかった。

「おまえさ、自分が何してるか分かってる?」

「何してるように見える」

「面倒なこと増やしてる」

「……」

「しかも」

 黒崎は笑った。

「先生の前で変に細かく順番とか言い出して」

「……」

「最近、遠山も少し面倒くさそうだし」

「遠山“先生”な」

 僕が言うと、黒崎は肩をすくめた。

「そういうとこだよ」

「何が」

「細かいの」

「……」

「で?」

「で、って」

 黒崎は目を細める。

「先生って立場あるじゃん」

「……」

「学校もいろいろあるし」

「……」

「変に空気悪くしたり、面倒にしたりするやつ、普通好きじゃないだろ」

「……」

「何が言いたい」

 僕が聞くと、黒崎は笑った。

「別に」

「別に、じゃないだろ」

「いや」

 黒崎はほんの少しだけ声を落とした。

「うちの親、そういうの詳しいからさ」

「……」

「先生とか学校って、どこまで何言えるかとか」

「……」

「だから、あんま変なとこまで行かない方がいいと思うよ」


 それは、露骨ではなかった。


 露骨ではないのに、十分に嫌だった。


 あんま変なとこまで行かない方がいい。

 先生って立場ある。

 うちの親、そういうの詳しい。


 ここまで並ぶと、もう意味は一つしかない。


 おまえがそこを越えると面倒になるぞ。

 そういう話だ。


 つまり、脅しだ。


 しかも、証拠の残らない種類の。


「……それ」

 僕は静かに言った。

「何」

「かなり脅しっぽいな」

「は?」

 黒崎が笑う。

「何言ってんの」

「今の話」

「ただの忠告だけど」

「便利な言い方だな」

「おまえ最近それ好きだな」

「おまえもだろ」

 僕は黒崎を見る。

「先生って立場ある」

「うん」

「学校もいろいろある」

「うん」

「うちの親はそういうの詳しい」

「……」

「その並びで“変なとこまで行かない方がいい”って」

「……」

「かなりそっち寄りだろ」

「考えすぎ」

「そうかもな」

 僕は頷く。

「でも、そうやって言えば逃げられるのも分かってて言ってる」

「……」

「そこまで込みで、だいぶ嫌だ」


 黒崎は一瞬だけ黙った。


 その沈黙で分かる。

 今の言葉の輪郭を、向こうもちゃんと分かっている。


「神代」

 黒崎が言う。

「おまえさ」

「何」

「ほんと最近、めんどくさいな」

「知ってる」

「自覚あるんだ」

「かなり」

「……」

「でも」

 僕は続けた。

「今のは覚えとく」

「何を」

「おまえが、大人の話を出したこと」

「……」

「先生の立場とか、学校とか、親とか」

「……」

「そういうの混ぜた時点で」

 僕は少しだけ首を傾ける。

「もう“ただのクラスの軽口”じゃ済まないだろ」

「……」

「考えすぎ」

「そうかもな」

 僕はまた頷いた。

「でも最近、おまえの“考えすぎ”ってほんと便利だな」

「……」


 黒崎はそこで笑った。

 笑ったが、前みたいな余裕のある笑いじゃない。


「好きにしろよ」

 とだけ言って、そのまま歩き去る。


 その背中を見ながら、僕は少しだけ息を吐いた。


 やっぱり来た、と思う。

 そして来た以上、これはもう教室の中の空気だけの話ではなくなっていく。


 昼休み。

 僕はその会話を、木乃実と佐伯と三田村、それからあとで合流した朱音とエヴァにも話した。


「うわ」

 木乃実が真っ先に言った。

「それ、かなり嫌」

「うん」

 僕が頷くと、佐伯が低く言う。

「親の話出したのか」

「出した」

「それで“変なとこまで行かない方がいい”は」

 佐伯は顔をしかめる。

「だいぶそっちだな」

「だよな」

「かなり」

 三田村も珍しくはっきり言った。

「それ、俺でもちょっと分かる」

「……」

「何」

「いや」

 僕は少しだけ苦笑する。

「三田村がそこまで言うの、だいぶ大きいなって」

「そうかな」

「そうだよ」

 木乃実がすぐ言う。

「今の、誰が聞いても嫌だもん」


 朱音は最初からかなり不機嫌だった。


「だから言ったのに」

「何を」

「大人の話、来るって」

「……」

「当たっただろ」

「当たったな」

「嬉しくない」

「だろうな」

 朱音は腕を組んだ。

「しかも予想より早かった」

「うん」

「つまり黒崎くん」

「うん」

「もう普通に、そこ使う気ある」

「……」

「そこ、かなり嫌」

「かなりな」


 エヴァは、話を聞いたあと少しだけ黙った。


 その沈黙が、逆に重かった。


「……ようやく出しましたわね」

 彼女はやがて言った。

「何を」

「背景です」

「……」

「今までは、家庭の匂いがありました」

「うん」

「でも今日は、そこを言葉として出した」

「……」

「“先生って立場ある”」

「うん」

「“学校もいろいろある”」

「うん」

「“うちの親はそういうの詳しい”」

「……」

「その三つが並んだ時点で、かなり意図は明確です」

「……」

「何ですの」

「いや」

 僕は少し息を吐いた。

「君がそうやって整理すると、やっぱりこれはちゃんと嫌なやつなんだなって確認できる」

「もともと嫌でしたわよ」

「それはそう」

「ただ」

 エヴァは僕を見る。

「今までは教室内の理不尽でした」

「うん」

「でも、今のはそれを越えかけています」

「……」

「そこはもう、認識を変えるべきです」

「認識」

「ええ」

「ただの嫌な同級生ではない」

「……」

「背景を使うつもりのある人間です」

「……」

「そこ、かなり重いな」

「重いです」

 エヴァは頷いた。

「だから今、軽くしてはいけません」


 その言い方が、妙に胸に残った。


 軽くしない。

 たしかに、そこが大事なのかもしれない。


 軽口みたいに受けない。

 いつもの黒崎の延長で流さない。

 大人の話を出した、ということ自体をちゃんと重く受け取る。


 そこから、次の見方が変わる。


 放課後の少し前、窓の外を見ながら僕は思っていた。


 教室の中の小さな理不尽は、まだ教室の中で止める話だった。

 でも、親や学校や先生の立場を混ぜてくるなら、それはもう少し別の話になる。

 そしてその別の話を、僕はたぶん次から本気で考えなければいけない。


 嫌だな、と思う。


 でも、ここまで来て“やっぱ見なかったことにする”は、たぶんもう無理だった。

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