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普通の青春をしたいだけなのに、隣の席も幼馴染も全然“普通”じゃない。~つくば市の県立高校に入学した俺は静かに青春するはずだったのに、隣の席の毒舌美少女と世話焼き幼馴染が放っておいてくれない~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第35話 親切に見える方が、先生には先に届く

親切に見える方が、だいたい先に勝つ。


 これは別に学校に限った話ではないのかもしれない。社会とか大人の世界とか、そういうもっと面倒な場所でも、たぶん似たようなことはよく起きているのだろう。けれど少なくとも、高校の教室という小さな場所では、その法則がやけにはっきり見える時がある。


 誰かが困っている。

 そこへ手を貸す。

 先生が見る。

 「助かるね」と言われる。


 それだけで、その人の輪郭は少しだけ良くなる。


 実際に助かったのかどうかは、その次だ。

 その“次”まで見える人は、案外少ない。


 最近の僕は、その“次”ばかり見てしまう。

 それが良いことなのかどうかは、正直まだよく分からない。


 昼休みの終わりが近かった。


 次の授業は地理総合で、先生が前の時間から「資料集を忘れた人は隣と見なさいね」と言っていた。教室というのは不思議なもので、ああいう“忘れたら隣と見なさい”が出た瞬間、忘れたやつの周囲の空気だけ少し変わる。


 誰が忘れたのか。

 誰が貸すのか。

 誰が嫌な顔をしないのか。


 そういう細かいことまで、教室の空気は地味に覚えている。


 そして今日、その“忘れた人”は三田村だった。


「あ……」

 三田村が鞄の中を覗いて、小さく固まる。

「どうした?」

 僕が聞くと、三田村は気まずそうに言った。

「資料集、家だ」

「うわ」

 木乃実が顔をしかめる。

「今日に限って」

「いや、昨日の夜たぶん机に出したままで」

「……」

「ごめん」

「僕に謝るなよ」

「最近の三田村くん、すぐ謝るね」

 木乃実が言う。

「良くない癖ついてる」

「……」

「いや、責めてないよ?」

「分かる」

 三田村は少しだけ苦笑した。

「でも最近、先に謝っといた方が楽かなって思っちゃって」

「……」

 その言葉は、思ったより重かった。


 先に謝っておいた方が楽。


 それはつまり、“何かが起きると自分が悪い方へ寄る”のを、もう身体が覚え始めているということだ。

 よくない。

 かなりよくない。


 僕が何か言う前に、黒崎が前の列から振り返った。


「三田村、また?」

 軽い声。

 軽いのに、棘がある。


 そして今日は、その棘の出し方が少し違った。


「ほら」

 黒崎は自分の机の横から資料集を持ち上げる。

「俺の使えよ」

「え」

 三田村が目を瞬かせる。

「いいの?」

「いいって」

 黒崎は笑う。

「俺、今日そこまで書き込まないし」

「でも」

「いいから」

 その言い方だけ聞けば、たしかに親切だった。


 しかもタイミングが最悪にうまい。

 ちょうどそこへ、地理の先生が教室へ入ってきたのだ。


「はい、じゃあ始める……あら?」

 先生が前の方の空気に気づく。

「どうしたの?」

「三田村が資料集忘れたみたいで」

 黒崎が先に答える。

「だから俺の貸します」

「あら、黒崎くん助かる」

 先生がすぐに言った。

「優しいね」

「いや、全然」

 黒崎は肩をすくめる。

「三田村、最近こういうの多いんで」

「……」

「もう少し気をつけなさいよー」

 先生は軽く笑って言った。

「黒崎くん、ありがとうね」

「はい」


 それで終わる。


 終わるのだが、そこに詰まっているものが、今日はひどく見えた。


 たしかに、資料集を貸したこと自体は親切だ。

 先生がそう受け取るのも分かる。

 でもその一連の流れの中で、三田村の“またこういうの多い”だけは、きっちり先生の耳に入っている。

 しかも、それが“助けた側の補足説明”として入るから厄介なのだ。


 先生から見れば、黒崎はむしろ好印象だろう。


 気が利く。

 困っているやつを助ける。

 軽口は叩くが、明るい。


 そう見える。

 そう見えるようにやっている。


「……うわ」

 木乃実が小さく言った。

「何」

 僕が聞くと、木乃実は少しだけ眉をひそめた。

「今の、先生から見たら完全に黒崎くんいいやつじゃん」

「そうだろうな」

「でも、絶対そこだけじゃない」

「うん」

「分かるのが嫌」

「分かる」

 僕は小さく答える。


 少し離れた席から、エヴァの声が届いた。


「だから、見え方の方が先に届くのです」


 それは、あまりにも正確だった。


「エヴァ」

 僕が名前を呼ぶと、

「何ですの」

と彼女は何でもない顔で返す。

「今の、だいぶきれいにまとまってたな」

「当然です」

「いや、でも」

 僕は少しだけ苦笑する。

「ほんとそうだなって」

「ええ」

 エヴァは頷いた。

「今の黒崎蓮司の行動は、“資料集を貸した”が先に届く」

「うん」

「そのあとに混ぜた“最近こういうの多い”は、助けた側の軽口くらいにしか見えない」

「うん」

「だから教師には、好意の方が残る」

「……」

「事実より見え方が先に届くのです」

「……嫌な話だな」

「ええ」

 エヴァはあっさり認めた。

「かなり」


 授業が始まっても、僕の頭の中にはその一連の流れが残っていた。


 黒崎は、先生の前で親切だった。

 実際に資料集も貸した。

 だから、そこだけ切り取れば良いことをしている。


 でも同時に、“また忘れた”“最近多い”もちゃんと置いていった。


 そして先生は、その全部を“ちょっと面倒見のいい明るいやつ”として受け取った。


 そこが面倒だ。


 正しくないとは言い切れない。

 でも、それだけでは足りない。


 地理の先生が板書している間、三田村は黒崎の資料集を使っていた。

 使っているのだが、その手つきがどこか固い。ありがたさより、居心地の悪さの方が勝っているみたいだった。


 そりゃそうだよな、と思う。

 助けられている。

 だから文句も言いづらい。

 でも、その助け方の中で自分だけが少し下に置かれている感じもある。


 あれは、かなり嫌な形だ。


 休み時間になると、木乃実がすぐに振り向いた。


「神代くん」

「何」

「今の、先生にどう見えたかもう分かる?」

「だいたいは」

「黒崎くん、感じいいやつ」

「うん」

「ついでに、三田村くんちょっと抜けてるやつ」

「うん」

「……最悪」

「かなりな」

「でも先生がそう受け取るのは、分かるのがまた最悪」

「うん」

 木乃実は頬杖をついてため息をついた。

「だって今の、表面だけ見たら普通に助けてるもん」

「そうだね」

「そこを“嫌なやつだ”って即言えないの、ほんと面倒」

「それが最近の結論だな」

「ほんとに」


 佐伯も混ざってくる。


「神代」

「何」

「今ので一番分かったことある」

「何」

「黒崎って、先生の前で印象稼ぐのうまい」

「……」

「うまいっていうか、狙ってる感じある」

「あるな」

「しかも、やってること自体は否定しづらい」

「うん」

「だる」

「すごく正しい感想だな」

「だろ」


 その会話に、朱音が遅れて入ってきた。


 さっきまで保健委員の用事で別教室にいたらしい。

 なのに、戻ってきた瞬間に空気だけでだいたいのことを察した顔をするのが、この人らしい。


「何かあった?」

「地理で」

 木乃実が説明する。

「三田村くんが資料集忘れて」

「うん」

「黒崎くんが貸して」

「うん」

「先生に“優しいね”って言われた」

「……あー」

 朱音はそれだけでだいぶ理解した顔をした。

「嫌なやつだ」

「分かる?」

 僕が聞くと、

「分かるよ」

と朱音は即答する。

「だって今の、完全に“親切に見える方が勝つ場面”じゃん」

「……」

「しかも、助けながら少しだけ下げるやつでしょ?」

「うん」

「最悪寄り」

「寄るなあ」

「でも、そうだよ」

 朱音は僕を見る。

「恒一くん、今かなり嫌そう」

「分かる?」

「うん」

「最近みんなほんとにそればっかりだな」

「だって顔に出るし」

「嬉しくない」

「でも」

 朱音は少しだけ声を落とした。

「今ので、やっとはっきりしたよね」

「何が」

「黒崎くんを止めるって、黒崎くんの行動だけじゃ足りないってこと」

「……」

「先生からどう見えるかまで崩さないと、たぶんずっとやりやすいまま」


 その言葉は、かなり核心に近かった。


 そうなんだろう。

 僕が最近うまく言葉にできていなかったものの、かなり近くに。


 黒崎を止める。

 それだけでは、たぶん足りない。


 黒崎の“見え方”を崩さないと、先生にとってはいつまでも“少し口は悪いけど面倒見のいい明るいやつ”のままだ。


 そこまで考えた時、急に少しだけ疲れた。


「……面倒だな」

 思わず漏れる。

「ええ」

 と、エヴァが言った。

「かなり」

「そこ、ほんとに即答するな」

「今のはそうでしょう」

「そうだけど」

 僕は苦笑した。

「いや、でもさ」

「何ですの」

「ここまで来ると、黒崎の何を止めればいいのか一段増えるなって」

「ええ」

「行動だけじゃなくて、見え方」

「そうです」

「……」

「何ですの」

「いや」

 僕は少しだけ肩をすくめた。

「やっぱり最近、君の言ってることが一番整理されてるなって」

「褒めても何も出ませんわよ」

「今のはかなり褒めてる」

「……困りますわね」

「困るんだ」

「困ります」

「最近それ認めるの増えたな」

「あなたが無駄に真っ直ぐだからです」

「また人のせいにした」

「今回は事実です」


 昼休みの終わり際、三田村が小さく僕の机の近くへ来た。


「神代くん」

「うん?」

「さっき」

「うん」

「黒崎くん、別に悪いことしたわけじゃないよな」

「……」

「でも、何かちょっと嫌だった」

「……」

「それ、変かな」

「変じゃない」

 僕はすぐに言った。

「変じゃないよ」

「……」

「助けられたことと、その助け方が気持ちいいかどうかは別だ」

「……そっか」

「うん」

「……やっぱ神代くん、そこはすぐ言うね」

「最近、それ必要だと思ってるから」

「……」

「何」

「ちょっと安心する」

「それ、前より言うようになったな」

「そうかも」


 その一言が、少しだけ嬉しかった。

 でも同時に、それだけじゃ足りないとも思う。


 安心する相手が一人いることと、教室の構造が変わることは違う。


 放課後、帰る支度をしながら僕は少し考えていた。


 黒崎を止めるだけでは足りない。

 黒崎の見え方を崩さないと、先生には先に届かない。

 でも、そのためにはただ“嫌なやつです”と言うだけでは弱い。


 そこをどうするのか。


 たぶん次は、もう少しだけ“届く形”を考えないといけない。


 教室の窓から差し込む夕方の光は、相変わらず平和そうだった。

 でも、その光の中にある細かい差まで、もう僕は見過ごせない。

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