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普通の青春をしたいだけなのに、隣の席も幼馴染も全然“普通”じゃない。~つくば市の県立高校に入学した俺は静かに青春するはずだったのに、隣の席の毒舌美少女と世話焼き幼馴染が放っておいてくれない~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第18話 証拠がないと強いやつは、だいたいそう言う

人を疑うのは、気分のいいことじゃない。


 いや、世の中にはもしかしたらそれを娯楽みたいに楽しめる人種もいるのかもしれないが、少なくとも僕はそうではない。疑うのは疲れる。頭も使うし、感情も削れる。しかも厄介なことに、疑いというやつは、当たっていても外れていても後味が悪い。


 当たっていれば、嫌なものが現実だったということになる。

 外れていれば、自分が勝手に人を嫌な目で見ていたことになる。


 どちらに転んでも、あまり景色は明るくない。


 だから本来なら、なるべく疑いたくはない。

 ないのだが。


 放課後の教室で、三田村が再配布された紙を受け取る時の顔を見ていると、さすがにそうも言っていられなかった。


「……ごめんなさい」


 遠山先生に向かって、三田村はそう言った。

 先生の方は別に怒っていない。むしろ事務的なものだ。


「次から気をつけてねー。じゃ、なくさないように今度はすぐファイル入れといて」


 はい、と三田村は頷く。


 その“はい”が、妙に小さかった。


 小さいのはいつものことかもしれない。けれど今日のそれは、声量の問題じゃない。自分で自分を少し責めている時の返事だった。


 あれは、良くない。


 なくし物そのものより、そっちが良くない。


 僕は自分の席で鞄をまとめるふりをしながら、その光景を見ていた。見ていて、正直、腹が立っていた。腹が立っているのだが、腹が立っている相手が“犯人”だとはまだ言い切れないのがさらに腹立たしい。


 証拠がない。


 こういう時にいちばん強い言葉で、いちばん弱い現実だ。


「あなた」


 静かな声が横ではなく、少し離れた席の方から飛んできた。


 エヴァだった。


 席替え後、彼女は物理的には少し遠くなった。でも厄介なことに、必要な時だけ話しかけてくる精度は前より上がっている気がする。監視カメラか何かだろうか。いや、もっと感じの悪い何かかもしれない。


「何」

「顔」

「最近そればっかりだな」

「分かりやすすぎるあなたが悪いのです」

「今日はどんな顔してる」

「疑いと苛立ちを、半分ずつ持て余している顔です」

「細かいな」

「当然です」


 木乃実と佐伯は、今日は部活見学らしく先に教室を出ていた。

 朱音は保健委員の用事で職員室へ寄るらしい。


 結果、放課後の教室には僕とエヴァ、それからまだ帰り支度中の何人かがいるだけだった。三田村は紙を受け取って、今は鞄へそれをしまっている。何度も確認していた。そうしていないと不安なのだろう。


 その気持ちは分かる。

 分かるから、余計に嫌だった。


「疑ってる」

 僕が言うと、エヴァは小さく頷いた。

「ええ」

「黒崎を」

「それも、かなり」

「そこまで分かる?」

「あなた、そういう時だけ驚くほど素直ですわね」

「今そこ褒める?」

「褒めていません」

「だろうな」


 エヴァは椅子へ浅く座り直し、机の端へ指先を揃えた。こういう、少しだけ話し込む時の体勢までいちいち整っているのがこの人らしい。腹立たしいくらいに。


「疑うだけでは足りませんわ」

「……」

「それに、疑うことと動くことは別です」

「分かってる」

「本当に?」

「一応は」

「その“一応”が信用ならないのです」


 分かっている。分かっているのだが、やはり言われると少しだけ腹が立つ。腹が立つというより、痛いところを押される感じに近い。


「じゃあどうすればいい」

 僕は少しだけ投げやりに聞いた。

「証拠でも探せって?」

「探せるなら」

 エヴァは言う。

「でも、わたくしが言いたいのはそこだけではありません」

「そこだけじゃない?」

「ええ。もっと単純なことです」

「何」

「動くなら、言い逃れできない形が必要だということです」

「……」


 それは、たぶん正しい。


 でも、正しい言葉というのは往々にして聞いていてあまり気分がよくない。特に、こっちが感情で引っ張られている時ほど。


「言い逃れ、か」

「ええ」

「黒崎は、だいたいそこに逃げる」

「そうですわね」

「冗談だとか、気にしすぎだとか、本人がそう言ったとか」

「だから厄介なんです」

 エヴァは視線を三田村の方へやった。

「少なくとも今の件は、“本人がなくしただけ”でも通ってしまう」

「そうなんだよ」

 僕は少しだけ強く言った。

「それが嫌なんだ」

「ええ」

「嫌っていうか、腹が立つ」

「ええ」

「……そこで二回とも静かに頷かれると、逆にしんどいな」

「感情を上乗せしても意味がないからです」

「冷たい」

「冷たくはありません」

 エヴァはあっさり言う。

「ただ、順番の話をしているだけです」

「順番?」

「ええ。嫌だと思う。腹が立つ。そこまでは自然です」

「うん」

「でも、その次に“だから動く”へ行くなら、その間に一つ必要なものがある」

「……考える、か」

「そうです」

 エヴァは小さく頷いた。

「何を守りたいのか。誰のために動くのか。どこまでなら踏み込むのか。そのくらいは考えておかないと、相手の思うつぼです」

「思うつぼ」

「ええ」

 彼女は少しだけ目を細めた。

「相手が悪意を隠している時、感情だけで飛び込んだ方が損をします」

「……」

「黒崎蓮司は、たぶんそれを知っている側です」


 そこまで言われると、少しだけ息が詰まった。


 知っている側。

 上手に言うものだと思う。


 あいつはたぶん、何をすればどこまでなら許されるのか、どこから先が先生や周囲にとって面倒になるのか、その境界を薄く分かっている。

 だから、ぎりぎりを歩く。


「エヴァ」

「何ですの」

「君さ」

「はい」

「思ってたより、ずっと慎重なんだな」

「……どういう意味ですの」

「もっとこう」

 僕は言葉を探した。

「ばっさり言うだけの人かと思ってた」

「失礼ですわね」

「それはそう」

「しかも、わたくしは今もかなりばっさり言っている方だと思いますけれど」

「たしかに」

「なら何ですの」

「でも今のは」

 僕は少しだけ笑う。

「冷たいんじゃなくて、慎重なんだなって」

「……」

「そういうところ、前より見える」

「……近くにいなくなったからですか?」

「え」

 思わず聞き返すと、エヴァは少しだけ視線を逸らした。

「別に」

「いや今、別にじゃないだろ」

「別にです」

「そこは強く押すんだ」

「押しますわ」

「そういうとこ、やっぱりちょっと面倒だな」

「あなたにだけは言われたくありません」


 その時、教室の扉が開いた。


「ただいま」


 朱音だった。保健委員の用事を終えて戻ってきたらしい。

 そして、戻ってきた瞬間の空気でだいたいの会話の内容を察した顔をした。やめてほしい、その長年の観察眼。便利すぎる。


「……黒崎くんの話?」

「分かるんだ」

 僕が言うと、

「分かるよ」

と朱音は当たり前みたいに答えた。

「恒一くん、今そういう顔してるし」

「また顔か」

「だって分かるんだもん」


 朱音は僕の机の近くへ来て、エヴァにも軽く視線を向ける。


「エヴァさんは何て言ってたの?」

「何て、って」

 僕が答えるより先に、エヴァが口を開いた。

「疑うだけでは足りない、と」

「へえ」

 朱音は少しだけ目を細めた。

「たしかにそうかもね」

「意外ですわね」

 エヴァが言う。

「何が」

「あなたなら、もっと感情で押すかと思っていました」

「押すよ?」

 朱音は即答した。

「嫌なものは嫌だし」

「……」

「でも、証拠がないまま言うと相手が逃げるって話でしょ?」

「ええ」

「それはそう」

 朱音は頷いた。

「でも」

「でも?」

「わたしだったら、それでも一回は釘刺すかな」

「早いな」

 僕が言うと、

「だってさ」

 朱音は少しだけ真面目な顔になった。

「嫌なことしてるやつに、“見えてるよ”って先に分からせるのって、けっこう大事だと思うんだよね」

「……」

「証拠とか理屈とかは、そのあとでも考えられるけど、最初の牽制は早い方がいい」

「それは」

 エヴァが言葉を選ぶ。

「短期的には有効かもしれません」

「でしょ?」

「でも長期的には雑です」

「うわ、言う」

 朱音は笑った。

「いやでも、雑なのは認めるよ」

「認めるんですの?」

「認める」

「そこは認めるんだ」

 僕が言うと、

「だってそうだもん」

 朱音は肩をすくめた。

「わたし、そこまで綺麗に組み立ててから動くタイプじゃないし」

「知ってる」

「知ってるんだ」

「長いからな」

「その言い方、最近恒一くんも使うようになったよね」

「便利だから」

「便利だよね」

 朱音がにこっとする。

「そこは分かる」


 エヴァが少しだけため息をついた。


「あなたたち」

「何」

「本当に、変なところで息が合いますわね」

「嫌そうだな」

「嫌です」

「そこ即答なんだ」

「でも」

 エヴァはほんの少しだけ言い直した。

「分かりやすくて、助かる時もあります」

「え」

 僕が言うと、

「何ですの、その顔は」

とエヴァが返す。

「いや、そこ素直に言うんだなって」

「毎回ひねくれた返事ばかりするのも疲れます」

「それはちょっと分かる」

「あなたが言わないでください」


 朱音はその会話を聞きながら、少しだけ考える顔をした。


「でも、どっちにしても」

「うん」

「三田村くん、ちょっと自信なくしかけてるよね」

 その一言で、教室の空気が少しだけ静かになる。


 そう。

 たぶん、今いちばん良くないのはそこだ。


 プリントをなくしたことそのものじゃない。

 黒崎が嫌なやつだということだけでもない。


 三田村が、“自分が悪いのかもしれない”を少しずつ飲み込み始めていること。

 そこが、いちばんまずい。


「さっき」

 僕は小さく言った。

「三田村が、“やっぱり俺、どっかで落としたのかな”って顔してた」

「うん」

 朱音が静かに頷く。

「してた」

「していましたわね」

 エヴァも続けた。

「だから」

 僕は自分でも少し驚くくらい、ゆっくり言葉を選んだ。

「守るっていうと大げさだけど」

「うん」

「物を探すとか、犯人を見つけるとか、それ以前に」

「うん」

「“また三田村が悪いんじゃないか”って空気そのものを、止めないとまずい気がする」

「……」

「それ、分かる?」

 朱音が聞く。

「分かる」

「エヴァさんは?」

「分かりますわ」

 エヴァは頷いた。

「証拠がなくても、止められるものはあります」

「それが空気?」

「ええ」

「……」

 僕は少しだけ息を吐いた。

「そっちか」

「やっとですの?」

「やっとかも」

「遅い」

 朱音が言う。

「でも、たどり着いたからいいんじゃない?」

「優しいな」

「優しいよ」

「今日はそこを自分で認めるんだ」

「だって優しいし」

「言い切るなあ」


 放課後の教室に、少しだけ日が傾く。


 普通の高校生活というものは、もっと単純だと思っていた。

 授業があって、友達と笑って、たまに寄り道して、たまに悩んで、それで済むものだと思っていた。


 でも実際には、その中にもっと面倒なものが混ざっている。


 誰かが悪いことにされる空気。

 本人が自分を疑い始める空気。

 そしてそれを、周囲が“まあ仕方ないか”で流してしまう空気。


 物よりも、そっちの方がよほど困る。


 そう思った時点で、たぶん僕はもう、ただ静かにしていればいい側ではいられないのだろう。


 その帰り際、三田村がまた僕の席の近くで少しだけ止まった。


「あの」

「うん?」

「今日……その」

「何」

「ごめん」

「……何で謝る」

「なんか、最近ちょっと頼っちゃってる感じあるから」

「別にいいよ」

「でも」

「いいって」

 僕は少しだけ笑う。

「分からないこと聞くくらい、普通だろ」

「……」

「それに」

「うん」

「今のクラス、そういう“普通”をちゃんと普通にした方がいい気がするし」

「……よく分かんないけど」

 三田村は少しだけ困ったように笑った。

「ありがとう」

「どういたしまして」


 そのやり取りを少し離れた場所で見ていたエヴァが、小さく言った。


「遅いですけれど、間違ってはいませんわね」

「何が」

「今の」

「どういう意味だよ」

「そのうち分かります」


 隣ではなくなったのに、見てくるやつはやっぱり見てくる。

 そして必要な時だけ、ちゃんと言葉を置いてくる。


 困る。

 少しだけありがたい。

 だから余計に困る。


 黒崎はまだ動いている。

 でも、こっちもようやく“何を止めるべきか”が見え始めていた。

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