「アーノルド」+「ドーナツ」
「このドーナツは『時効』だ」
アーノルドはそう断言すると、冷蔵庫の中から紙袋を取った。
あとで『現場検証』されることを想定して、自分の指紋を残さないように注意する。誰が取ったのかわからなければ、この事件は『迷宮入り』だ。警察よ、無駄な努力はやめておけ。
アーノルドは笑いをこらえながら、紙袋の中身を確認してみる。
粉砂糖をまぶしたドーナツが一つ。このドーナツを買ったのは、同僚のベイカーだ。その場に自分もいたから知っている。昨日、二人でパトロール中に、警察署の近くにあるドーナツ屋に寄ったのだ。
紙袋の目立つ場所には、賞味期限の日付が書いてある。「お早めにお召し上がりください」という一文もだ。
そのタイムリミットが迫っている。あと二時間くらいで日付が変わるのだ。これはもはや『時効』も同然。
「このドーナツに罪はない。まだ食べていないベイカーが悪い」
なので、正義はこちらにあるはず。
「それではさっそく、いただきます」
ドーナツの袋に、アーノルドが手を突っ込んだ瞬間だった。
「警察署内で『窃盗』とは、いい度胸だ」
給湯室にある机の下から、銀髪の男が出てくる。こいつはベイカー。その長身をよくもまあ、そんな狭い場所にもぐり込ませていたものだ。
警察署内での異名は、『北欧の処刑人』。感情を殺して、無表情で任務を遂行するような男だ。
そんな奴から今、冷たい視線を向けられている。
しかし、アーノルドはあわてない。
実を言うと、気づいていた。給湯室に入った時、警察官としての勘が告げてきたのだ。「直前までここに誰かがいたぞ」と。
給湯室の近くで、アーノルドは誰とも出会わなかった。
だから、思った。
(そいつはまだ、給湯室の中に隠れているに違いない)
現在の時刻は午後の十時だ。警察署内にいる人数は、あまり多くはないだろう。
給湯室に来るまでに見た顔ぶれ、それを参考に消去法で考えると、隠れているのは「ベイカー」だと思った。銀髪の男、『北欧の処刑人』。
そのように予想したからこそ、わざわざ「あんな芝居」をしてみせたのだ。
「待てよベイカー、よく考えろ。俺を『現行犯』で逮捕したとする。その場合、このドーナツは『証拠品』として保管庫行きだ。戻ってくる頃には、カビが生えているかもな」
「そいつは困る」
ベイカーがニヤリとして、
「いいだろう、アーノルド。この事件はなかったことにしよう。誰かに見つかってはまずい。今すぐ二人で、この『証拠品』を『隠滅』するぞ」
その提案に、アーノルドはうなずいた。
ドーナツを二つに割ると、
「でかい方をやる」
「当たり前だ」
二人はドーナツを食べながら、自分たちの部署へと戻る。
警察署の外からは、荒れ狂う風の音だ。それがひっきりなしに聞こえてきている。この町は現在、台風の暴風域に入っていた。
(こんな夜には、署内でのんびりするのが一番)
しかし、ひとたび事件が起これば、そうもいかない。『初動捜査』は事件解決の糸口だ。警察官が入り口で転べば、犯人は笑顔で裏口から出ていく。『初動捜査』の失敗は、事件を『迷宮入り』へと誘うのだ。それほど重要。
アーノルドたちが部署に戻ると、同じ班の夜勤二人が席にいた。
チャーリーとデデーオー。
金髪の方が「チャーリー」で、丸眼鏡をかけている方が「チャーリー」だ。つまり、デデーオーは金髪ではないし、丸眼鏡もかけていない。
どちらも自分のノートパソコンを開いている。『独自調査』をしているようだ。
「何かハッピーなニュースはあるか?」
アーノルドがにやにやしながら尋ねると、
「あるぞ。なんと一週間後は、俺の誕生日だ。マイフレンドたちからの素晴らしいプレゼントを、心の底から期待している。豪華なキャンプ用品でいいぞ」
「なるほど。ところでチャーリー、質問だ。正直に答えてくれ。たしか先月に誕生会をやったばかりだと思うが、チャーリーの誕生日は一年に何回あるんだ?」
「そうだな・・・・・・」
チャーリーは少し考えてから、きっぱりと言う。
「それは、マイフレンドたちの懐事情次第だ」
「正直な答えをありがとう、ゴールデン・チャーリー」
アーノルドはそこで口調を冷たいものに変えると、
「マイフレンド? そんな名前の奴は、ここにはいない。たった今、おまえの次の誕生会は、五年以上延期になった。せいぜい長生きしろよ。アライグマ爺」
この班はアーノルドがリーダー。チャーリーが元リーダーだ。二人の異名は『不良紳士』と『金色混沌』。
サブリーダーはベイカーで、デデーオーは若手期待の星だ。『北欧の処刑人』と『電脳不眠者』。
この警察署きっての実力派チームで、これまでに数々の難事件を解決していた。
リーダーのアーノルドが、仲間の一人に尋ねる。
「デデーオー、俺が席を離れている間に、何か通報はあったか?」
「ないね。こんな天気だし、犯罪者たちはたぶん、建物内でバカンス中だよ。そうであって欲しいと、僕は思っている」
「良い心がけだ、若者よ。君の神はきっと、信じる者を見捨てないぞ、たぶんそこそこの確率で」
直後に電話が鳴った。アーノルドの机の上にある電話だ。
「おやおや、この中に不信心者がいるようだな。ほら見ろ、地獄からの電話だ」
そう言いながら、アーノルドは受話器を取る。
「はい、こちら警察署」
受話器を取った瞬間から、自動録音装置が動き出した。
「大変なんです! 人が殺されていて!」
この電話が麻薬常習犯からのものだったら、どんなに良かっただろう。それなら、「麻薬による幻覚」という可能性が考えられる。「そうですか。お大事に、ベイビー」とでも言って、ガチャ切りすればいい。
しかし、相手は知り合いだ。しかも、信用に足る人物。かなり興奮しているみたいだが、「麻薬による幻覚」とは考えにくい。
どうやら、殺人事件が発生したらしい。現時刻をもって、署内バカンスは終了だ。
電話をかけてきた相手は、大富豪のベテラン執事。普段は温厚、かつ、冷静沈着な人物だ。
アーノルドは以前、非番の日にひょんなことから、この執事と行動を共にして、『一〇〇〇〇本の赤ワイン事件』を解決している。




