23.二人だけの約束(アレクシス目線)
午後の書斎は静かだった
書類を片付けながら、私は無意識にいつもの日常に身を委ねていた
「そこに置いてください、レティシア」
彼女が紅茶を机に置く気配を感じ、礼を言おうとした、その瞬間だった
「ありがとう、レティ」
口にした途端、自分で自分の言葉に引っかかる
――今、何と呼んだ?
隣の空気が変わるのが分かった
私は書類から目を上げる前に、すでに失態を悟っていた
「……今、何と?」
控えめだが、震えており微かに戸惑いを含んだ声
私は隣にいる彼女を見上げる
少し戸惑い、目線を彷徨わせている
それでいて頬がわずかに赤くなっているのが見て取れる
「すみません。呼び方を誤ってしました」
努めて冷静に対処しなければ
「誤った、ですか?」
その言葉を聞いたレティシアは寂しそうに微笑んでいた
不安にさせないようすぐに訂正をしなければ
「ええ、無意識にそう呼んでしまいまして
もし、気を悪くしたなら謝ります」
伺いを立てる、言い訳のように聞こえるだろうか?
彼女は否定も肯定もせず、しばらく視線を彷徨わせていた
レティシアが嫌だとは思っていないのは顔や反応で分かるのに、この沈黙の時間の中で、私は胸の内に幾通りもの最悪の結末を描いてしまう
彼女を見ると、未だ頬は赤く僅かに気恥ずかしげにしている
その姿を見て不安を打ち消す
本当にわかりやすい人だ
貴族の令嬢としては、それは弱みとなり得る欠点だ
彼女以外の者であれば、感情を隠せぬ愚か者と切り捨て、駒として計略に組み込めるかどうかを冷静に思案するだろう
だが、彼女となると話は別だ
その隙さえも愛おしく、好ましく、好意的に受け取ってしまう
「あの、謝らないでください
少し、驚いてしまっただけで……嫌では、ありませんでしたから」
最後の方になっていくにつれて小さくなっていく声
けれどはっきりと私の耳に届いた
私は内心で息を吐き安堵しする
確信していても彼女の言葉を聞くまでは安心できなかった
まだ婚約まで漕ぎ着けていない、考えもなく、無意識に零れた言葉で、それが万が一を招くこともある
表情を崩さぬよう気をつけながら言葉を紡ぐ
「では、誰もいない時だけレティと呼んでいいでしょうか?礼儀は守らないといけませんから」
そう言ってから、少しだけ間を置き声を落としながら
「それと、悪意ある噂や好奇の目からも」
彼女は小さくうなずいた
2人だけの約束
レティと呼んでもいい事を自分から選んだ瞬間
無意識に出た言葉で距離を縮められるとは
これで彼女はより一層私と離れ難くなる
ソファでは本を手にページを捲るレティの姿が見える
だか心ここに在らずといった様子だ
私がいつ呼ぶのか、どう呼ぶのか色々考えているのだろう
満足感と独占欲と愛おしさが心に満ちるのを感じながら私は再び書類に視線を落とす
書斎の空気は先ほどより和らぎ窓からは穏やかな陽の光が注いでいた




