22.二人だけの約束
午後の書斎は、いつもと同じ静けさに包まれていた
アレクシス様は机に向かい、私は頼まれた紅茶をそっと差し出す
「そこに置いてください、レティシア」
「はい、アレクシス様」
私は小さくうなずいて、カップを机の落ちないような位置に気をつけて置いた
紙をめくる音
「ありがとうございます。レティ」
一瞬、耳を疑った。
胸の奥がきゅっと縮まり、思わず彼の背中を見つめてしまう
今、確かにそう聞こえた
けれど、それが本当に私の愛称だったのか、確かめる勇気が出ない
「……今、何と?」
声にすると、少し震えてしまった
アレクシス様が少し間を置き、私を見上げる
落ち着いた表情だけれど、ほんのわずかに動揺が滲んでいるように見えた
「すみません。呼び方を誤ってしました」
そう言った時にはもう動揺の色はなくて
「誤った、ですか?」
誤った、間違い、その言葉に少し寂しく感じてしまう自分がいる
「ええ、無意識にそう呼んでしまいまして
もし、気を悪くしたなら謝ります」
無意識
その言葉に、今度は一瞬で胸がざわめき始める
私は何と言えばいいのか分からず、視線を落とした
年上で、いつも理性的な方
そんな人が、ふいに私を親しげに呼んだ事実だけが、心に残る
何か、言わないと
「あの、謝らないでください
少し、驚いてしまっただけで……嫌では、ありませんでしたから」
気付いた時には、そう答えていた
だんだんと小さくなっていく声
最後の方は聞こえているかもわからぬほど
アレクシス様は少し間を置き、穏やかに言った
「では、誰もいない時だけレティと呼んでいいでしょうか?礼儀は守らないといけませんから」
それから少し間を置いて声を落としながら低い声で
「それと、悪意ある噂や好奇の目からも」
私は小さくうなずく
婚約者ではないのに愛称で呼ばれる
それは社交界でどれほどの好奇の目に晒されるのか、外の世界に行かない私でも分かる
しかも私は今、アレクシス様に保護してもらい屋敷に住まわしてもらっている身
侍女という事になっているが、きっとそう言う場では噂の的になっているであろう事は明白だ
ありもしない事を、さも見てきたかのように話す人たち
そこに悪意が加われば一体どんな事を酷いことを言われているのか
……それを想像して少し恐ろしくなる
けれど、胸の奥に残った温かさは消えなかった
2人だけの約束
次に名前を呼ばれる時、どんな響きで呼ばれるのか
呼ばれた後、普通に受け答えできるのだろうか
――いつ、呼ばれるのだろうか
そんな事をソファに座り持ってきた本を開きながら延々と考えてしまう
勿論本の内容は頭に入ってこず、ただページを巡るだけになってしまっているが
書斎の空気は先ほどより和らぎ窓からは穏やかな陽の光が注いでいた




