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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
四英雄編
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21. 大事なことは何度でも

 いつまで経っても何も言ってくれないユリシーズの反応が怖くて、セラは恐る恐る口を開いた。


「に、似合わないかな……?」


「まさか!」


「よかった」


 すごい勢いでぶんぶん首を振って否定する様子にホッとして肩の力が抜けた。初めてユリシーズの前で古式のドレスを身につけたときは「似合っている」と間をあけずに言ってくれたから、言葉がなかったことが少しだけ残念だった。


「うわ、もうこんな時間かよ」


「もしかして寝てた? 後ろがぴょこんてなってるわよ」


「げっ。支度してくる」


 慌てて寝室に駆け込んでいく後ろ姿を見送って、セラは侍女達と顔を見合わせてクスクス笑いあった。




 ユリシーズを待っている間、一人でワルツのステップのおさらいをしていると、背後でかちゃりと扉の開く音がした。構わずに一、二の三とステップを刻む。北方大陸で踊った時のワルツと、西方大陸でよく踊られるワルツは同じ三拍子でも微妙に違うので、ともすると北方風の一、二、三と足が勝手に動いてしまうのだ。


「なんかどんくさいステップだな。転ぶなよ」


 笑い交じりの声がすぐ後ろで聞こえて顔を上げた。


「わ……!」


 少し丈の長い漆黒のコートは艶やかな光沢をした天鵞絨仕立てで、縦襟から膝上の裾まで金糸の細かい刺繍が施されていた。中に着ているジレは彼にしては珍しく白で、表地に細い金糸の刺繍が華やかに施されている。髪も軽く後ろに撫でつけているせいか実年齢の二十歳よりも少し上に見えた。


「騎士服じゃないのね」


「ああ。今日の夜会はお祝い事だから軍事色がないほうがいいだろうって皆と話して決めたんだ」


「とってもカッコいいわよ。どちらの青年貴族様がいらしたのかと思ったわ」


「俺もさっき、誰だこの綺麗な女の子って思った」


「え、もう一回言って」


「二度は言わん」


「言ってよ、そういう大事なことは。もっと綺麗になろうって励みになるでしょ? さん、はい!」


「強制的に黙らせるぞ」 


「なっ、何するつもり?!」


 くいっと顎に手がかかった所で、かちゃりと軽い音を立ててセラの寝室の扉が開いた。大変気まずそうな顔をしたハンナがそーっと顔を俯けて、すすすっと部屋の隅を横切っていく。にこやかに微笑むエマが後に続き「私達は外しますので、大事なことはちゃんとお伝えくださいね、ユーリ様」と、噛んで含める様に言い置いて扉を閉めた。


「ったく……余計なお世話だっつの」


「……」


「うわー真っ赤。何、キスされると思った?」


「……うん」


「帰って来てからしてやるよ。セラは赤が似合うな」


「ホント?」


「うん。すごくかわいい」


「……!」


 セラはぱぁっと顔いっぱいに喜色を浮かべるとユリシーズに思い切り抱き着いた。綺麗に着飾った姿を一番見て欲しい人に見て貰えて、欲しい言葉を貰えて今ここで踊り出したいくらいだ。

 トントントン、と控えめに扉が叩かれてユリシーズが「リオンか? 入って来いよ」と応えると、ゆっくりと扉が開いて遠慮がちにリオンが顔をのぞかせた。小脇に立派な造りの衣装箱を抱えている。


「さっきエマに空気を読めって言われたんだけど。俺ちゃんと読めてた?」


「まぁな。もう全員準備できた?」


「下で団長とデイムのお出ましをお待ちしておりますよ。あとこれ。バハルトのじーさんの使いがセラちゃんにって」


「ありがとう! えと、とりあえずこのテーブルに置いてもらっていい?」


「りょーかい。ごめんね、一応決まりだから迎賓館の衛兵と一緒に中を検めさせてもらったよ。本が三冊と手紙の束、それと寄木細工の箱でした」


「いいの、気にしないで。これね、私の祖母の遺品なの。バハルト将軍が私が持ってた方がいいだろうって」


 蓋を開けると、セラの両手にすっぽり収まる大きさの寄木細工の小箱に目が吸い寄せられた。見た瞬間にこれだという確信があった。夢の中でジュディスが渡そうとしていたものは、間違いなくこの小箱だ。


「もしかして、これ初版『創世記』じゃないか? しかもこんな良い状態で……」


「ユーリ様、この本はセラちゃんのだよ?」


「いたいいたい腕折れる」


 本に手を伸ばそうとしたユリシーズの手首を笑顔で力いっぱい握るリオンの肩を叩いて止めると、本を仕舞って衣装箱の蓋を閉めた。


「そろそろ行かないとだし、後でゆっくり見ましょ。初版の『創世記』はもう持ってるから、これはユーリにあげるね」


「持ってる? でもセラが持ってきた本ってあれだけだろ?」


「先生が保管してくれてるの。先生のお屋敷の書庫は王宮並の設備が整ってるし安心だもん」


「そうか……」


「それじゃ俺は先に行って待ってるね」


セラは肘まであるドレスの共布で誂えた手袋とケープを身につけ、姿見の前で身だしなみを確認する。小さく深呼吸してから背筋を伸ばした。傍机に置かれた扇を手にすると、スッと白い手袋を嵌めた手が差し出された。


「お手をどうぞ、我が婚約者殿」


「ありがとう」


 セラはユリシーズのエスコートで迎賓館の廊下を進む。時々すれ違う他の諸侯の従者や迎賓館の侍女達が一瞬驚いた顔になり、足を止めて一礼していくので、小さな立ち振る舞いにも神経を使った。


「ちょっと緊張してきた」


「俺がそばにいるだろ。気楽に行け、気楽に」


 蒼い瞳が楽しそうに弧を描く。そばにいる、というその言葉が何よりもセラを勇気づけた。少し丸まっていた背をしゃんと伸ばして、迎賓館の玄関を潜る。そこには黒騎士達が勢ぞろいして団長とデイムを待っていた。


「見送りご苦労」


「一番隊、随行させて頂きます」


 アルノーが畏まった口調で一礼すると全員が揃った敬礼で倣った。セラは「いってらっしゃいませ」と侍女達に明るい笑顔で見送られ、笑顔で大きく頷く。ユリシーズに手を引かれ静々と居並ぶ黒騎士達の間を抜け、ドレスの端を左手で持つとゆっくりと馬車に乗り込んだ。


 後から乗り込んできたユリシーズが「出せ」と御者に声をかけて扉を閉めると、静かに馬車が走り出した。迎賓館の正門を出て城下町を抜けて行く。

日が暮れて街灯に火が入った城下町は幻想的だった。道を照らす街灯に鋼線が渡され、小さな色とりどりのランタンが点り、道行く人々がそれらを眺めながらそぞろ歩いている様子が見える。


「わぁ、綺麗……! 見てユーリ、あんなにたくさん!」


「そうだな。つい燃料費を計算してしまう自分が嫌になるぜ……」


「ふふっ」


 何となくお互い無言で馬車の窓を眺める。人々の楽しそうに笑う声、吟遊詩人の奏でる楽器の音、歌声。柔らかなランタンの光。音と光は明るい未来を暗示しているかのようだ。今夜は立太子式の前夜祭、城下町も外町も夜を徹してのお祭り騒ぎだ。

 しばらく走ると緩やかに馬車の速度が落とされて宮殿の正門を潜った。衛兵の誘導で宮殿入り口正面に馬車が停められる。扉が開いてひょこっとマルセルが顔を出した。


「え、御者ってマルセルだったの?」


「そうですよデイム。団長が何を言ったのか知りませんが、側近のなかでは俺が一番良い腕ですよ」


「そうだな。上手い上手い。とりあえず降りるから、そこどいてくれ」


 ユリシーズの手を借りて馬車から降り立つと、昼間に来た時とはまったく雰囲気が違っていた。等間隔に置かれた篝火があたりを柔らかく照らしている。礼装を纏った衛兵達が至る所で歩哨に立っていて、招待客を誘導する侍従が忙しそうに行き来していた。正面玄関に立つ背の高い近衛がこちらに気づいて、足早にやって来た。


「ユーリ、リベラートさんが来たわよ」


「殿下の筆頭護衛官がどうした、こんなところで」


「お早いお付きでしたね。殿下の命により、お二人をご案内するようにと仰せつかっております。どうぞこちらへ」


「護衛官ってのは難儀な仕事だな……」


「……栄光あるフィア・シリス王家にお仕えするのが我が誉れです」


 少し遠い目をしているリベラートの案内でセラとユリシーズは宮殿の左翼を進む。途中でマルセルと合流して、大広間の近くにいくつか設えてある劇場の観覧席のような控室に連れて来られた。控室といっても豪奢な調度が揃っている、非常に過ごしやすそうな空間だ。


「後ほどお呼びに参ります故、しばしお待ちを。何かございましたらこちらのベルで侍女にお申し付けください。では、私はこれで」


「ありがとう」


 セラが礼を言うと優雅に一礼してリベラートは下がっていった。窓から外を眺めると続々と招待客がやってきているのが見えた。


「俺とアルノーがここで待機、エーリヒは屯所、フーゴは警備所に待機することになってるから」


「わかった。お前の得物は?」


「さっきユーリのサーベルと一緒にリベラートに預けたよ」


 話し込むユリシーズとマルセルの邪魔をしないようにセラは大人しく座っていたのだが、先ほどから楽器の音合わせが聞こえてくるのが気になって大広間に繋がるカーテンをそっと捲った。


「わ……」


 煌びやかなシャンデリアの光に照らされるステンドグラスの嵌った高い天井、よく磨かれた大理石の床に繊細な彫刻の施された白亜の柱。そして楽団が座るための沢山の椅子、大きな黒塗りの鍵盤楽器が置かれていた。

 ガルデニアでは王命で「最初のダンスを踊る」という一大事に遭遇したが、ここではユリシーズと純粋に楽しめそうだ。


「何か珍しいものでもあったか?」


「うん。すごい数の楽団がいるのね。さすが芸術の都」


「王立劇場楽団と王宮楽団が合同で演奏するんだよ。彼らの演奏でダンスとか贅沢だよなぁ」


「ホントね。あれ、マルセルは?」


「皆を迎えに行った」


「一番隊の副隊長さん、今晩は大忙しね」


「宮殿に入れる人数が限られてるからな。こういう時はいつも皆で分担してるんだ」


「そうなんだ。舞踏会って色々大変なのね」


「大変で面倒だよ。俺は夜会だの社交場だのは昔から苦手だな。セラが出たいなら付き合うけど」


「私も遠慮したいところだわ。あ、でもレギーナ様がユーリが社交場で女の子に囲まれてたって言ってたけど?」


「そういうことは……いや、ない。ないない」


「そうだったとしても別に怒らないわよ。やっぱりおモテになるのねぇ」


 そう言いながらじっと蒼い瞳を見つめるとさり気なく目を逸らされた。心当たりはあるようだがそれは過去のこと。顔色一つ変えなかったという話も聞いているし、ユリシーズの性格上派手な異性交遊をしていたとは思えない。当時の事情を考えればそんなことにかまけている暇も余裕もなかったはず。それでも何となくモヤっとするのは複雑な女心というものだ。


「セラが心配するようなことはなかったし、これからも一切ないから! 俺は自分で言うのもアレだが、好きになったらすごく一途だし」


「うん、知ってる。一途というには重すぎる愛を貫いてくれるんでしょ? あなたのこれからに期待しているわ」


 扇で口元を隠してニンマリ笑うと、泣く子も黙る黒騎士団の団長様は「剣に誓って」とまるで出陣前のような厳しい顔で頷いた。それを見計らったように扉が軽く叩かれて、ユリシーズが入室を促すと側役とアルノー、マルセル。それから侍女達が続いて入って来た。


「お邪魔でしたか、俺達」


「いや。皆の空気を読む力は素晴らしいよ」


「皆もお疲れさま」


「さっき招待された方々を見てきましたけど、セラ様ほど赤を着こなしている貴婦人はいらっしゃらなかったですよ!」


 グッと拳を握って主張するハンナに「ありがと」と微笑んだ。一番褒めて欲しい人に「綺麗」と言って貰えてすっかり心は満たされていたが、やはり似合うと言ってもらえると嬉しい。


「意外と人を選ぶ色ですからね。本当によくお似合いですよ、デイム」


「アキムさんが言うと、ものすごい説得力があるね……」


「そうだね。何でだろう」


 アルノーとマルセルが自分達の脚を見て、長い足を組んで座るユリシーズを見て、最後に扉の前にいるリオンを見て、互いに顔を見合わせ納得した様に頷きあった。ユリシーズは呆れた顔をして二人を見やってから、セラの髪を整えるエマに声をかけた。


「セラはコルセットでろくに食えないらしいから、飲み物だけもらおうか」


「食べるわよ? 全然平気だし」


「満腹の腹を締め付けたまま動き回ったら気持ち悪くなるぞ」


「私をさんざん踊らせたあげく空腹のまま帰れって言うの?」


「なら帰ってから食えば」


 セラは隣に座るユリシーズにずずいと顔を近づけると、目力をみなぎらせて蒼い瞳をねめつけた。


「夜九時過ぎに、ごはん食べたら、太るでしょ……?」


「俺はセラが丸っこくなっても余裕で愛せるよ」


「私は丸っこくなりたくない……」


 運ばれて来た軽めの食事と飲み物をつまみながら時間をつぶしていると、音合わせの楽器が鳴る音がぴたりと止まり、大広間が静かになった。中庭から時を告げる水琴の奏でる音が聞こえて来た。いよいよセラの『奥方様(仮)』のお仕事の大詰めだ。ぎゅっと扇を握りしめて、お召がかかるのを待った。

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