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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
四英雄編
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22. 小さな王子の決意

 管弦楽団の演奏が始まった。


 侍従長が身分の高い招待客から順番に呼び上げている声が聞こえて来る。まずは自国の貴族から、その次が女王自らが呼び寄せた西方諸侯だ。ガルデニアでは誰よりも先に国王が入場して式典などの場で臣下や民を待つ形式なのだが、これは初代の王が『人のためにあれ』を信条とする精霊騎士だった名残だと聞いている。国によって仕来りが色々違うことを頭のなかでおさらいしながら気を引き締めた。


「そろそろ用意をされた方がいいですね。ケープを」


「そ、そうね。何だかすごい厳かな感じ」


「ホントですね……私、こういうの一生縁ないと思ってました」


「私も」


 手袋をした手でドキドキする胸を押さえていると、ユリシーズがその手を取って軽くキスをした。セラの瞳を真っ直ぐに見据える蒼い瞳は真剣そのものだ。


「縁が出来ちまったんだ、腹くくってくれるか?」


「もちろんよ!」


 間髪入れずにきっぱりした返した一言にユリシーズは瞳を和らげ、側近達も嬉しそうに笑いあった。良い感じにまとまったところで、扉が軽く叩かれる音が響いた。


「失礼いたします、レーヴェ卿。お入り頂く頃合いにございます」


「わかった」


「行ってくるね」


 セラはユリシーズにエスコートされて更に奥の通路へと進む途中、婚約者と腕を組んで待っていたクラリッサと行き会った。瞳と合わせた、目の覚めるような鮮やかな青いドレスに身を包み、サラサラの銀髪は下ろしたまま、横の髪を真珠の髪飾りでゆるく留めている。昼間とは別人のように完璧な淑女ぶりだ。


「わ……これはこれは! 三国一の姫君だね、セラ」


「そ、そう? クラリッサこそとっても素敵よ。水の精霊様みたい」


 セラとクラリッサがお互いを褒め殺しあっているとユリシーズの名が呼ばれた。ざわりと会場の声がひときわ大きくなる。どうやら西方諸侯の一番手らしい。解放戦争の立役者の一人の登場とあって、高揚する雰囲気がこちらにも伝わってくる。


「ルッツ、紹介は後でな」


「はい! セラフィナ様、後ほどお話いたしましょう」


 柔らかそうな茶色の巻き毛をした、人懐こそうな貴公子が礼儀正しくお辞儀をする。どうやら彼がクラリッサの婚約者、ルッツ・アークライト卿のようだ。二人に見送られてセラは足が沈みこみそうな赤い絨毯に一歩を踏み出した。そろりと見上げると蒼い瞳とばっちり視線が絡み合う。絡めた腕にポンと安心させるように大きな手が置かれて、涼やかな目線がスッと正面を向いた。つられたようにセラも正面を向く。すごい数のフィア・シリス王国の貴族がこちらを見ていてどくりと胸が鳴った。


「トラウゼン領邦、当代領主ユリシーズ・レーヴェ卿、並びに婚約者セラフィナ・エイル嬢」


 軽く一礼してゆっくりと足を運ぶ。どうやらフィア・シリス王国貴族は左、西方諸侯は右に並ぶようだ。玉座と思しき一段高い階の右側最前列は、為政者の「剣」となることを認められた存在の場所だ。コンスタンス女王陛下とセブラン王太子がそれだけユリシーズのことを信頼してくれているのだと思うと、我がことのように嬉しかった。


「謁見して、何曲か踊って、他の連中に挨拶したら帰れるからな。頑張れ」


「うん」


 耳元で艶やかな低い声が囁いて、セラは扇でにやける口元を覆いながら小さく頷いた。素敵な貴公子に何くれと世話を焼かれるのは悪くない。そうしている間も続々と西方諸侯達が顔を揃える。あの会合の時に一度顔を見た若い諸侯や帝都で少しだけ言葉を交わした騎士。見知った顔ばかりだ。現役の壮年層よりも圧倒的に若い世代が多い。すべて次代国王セブラン王子のために呼ばれた有力諸侯なのだろう。


「コンスタンス女王陛下、ならびに王孫セブラン殿下。お成りにございます」


 ざっと居並ぶ貴族たちが跪き、西方諸侯達は正式礼で出迎えた。女王に仕えているわけではない西方諸侯はあくまでも同等、盟友なので膝はつかないらしい。セラは面喰いながらも淑女の正式礼で女王の登場を待った。耳に優しい管弦楽の調べとともに、というのが何とも優雅だ。

 目の前を過ぎる女王陛下は濃紺の地に金糸の刺繍が美しいドレスに、金糸の縁取りをした白絹の肩帯、そして黄金の小さな冠を載せていた。セラと一瞬目があって、黒い瞳が少しだけ和らいだがすぐ元の厳しい為政者の表情になった。

あとに続くセブラン王子も濃紺の膝丈の上着と真っ白なクラバット、銀糸の縁取りがされた白絹の肩帯という初めて見る正装姿だ。物語に出てくる王子様の縮小版さながらでとてもかわいらしかった。


「楽になさい。それから招待に応じてくださった西方諸侯には孫ともども、心よりお礼を申し上げます。今宵は我が国の次代を担う立太子式の前夜祭、どうか無礼講で楽しんでいってください。そして我が孫が皆に感謝の言葉を伝えたいと申しております故、少しだけお耳を貸してくだされば幸いです」


 女王陛下の言葉が終わると同時に、セブラン王子の小さな姿が前に進み出て深々とお辞儀をした。


「今宵は、私と祖母の招致に応じて頂き、心よりお礼を申し上げます。私はまだ十にも届かぬ幼き身であれど、明日よりこの国の王位継承者として精進していく所存です。長きに亘る戦乱の爪痕がいまだ残る西方大陸の民のため、そして自国の民のために。私は音楽家として心を癒す音楽で人々の心に添い、支えていきたい。正式な宣誓は立太子式で述べさせていただきますので、私の決意を込めた曲をここに捧げます」


 女王陛下に一つ頷いて、立派な黒塗りの鍵盤楽器に前に進み出てちょこんと椅子に座った。どうやら一曲披露してくれるようで、フィア・シリス王国の貴族も西方諸侯達もそれを見守った。


 静かな調べから始まるその曲は優美で甘い旋律が歌いかける様に響く。十音以上の和音、左右の交差、高速の半音下りと素人の耳には聞き取れないほどの技巧が盛り込まれたその曲は、徐々に盛り上がっていく。盛り上がりの明るく情熱的な余韻を残しながら、冒頭と同じように甘やかな調べがそっと終わった。わずか数分だったが、大広間に集まったすべての人々が小さな王子の演奏に聞き入った。


「ご清聴を感謝します。いつかまた、皆の前でこの曲を披露した時に、今との違いを感じ取っていただければ幸いです」


 正式礼を完璧な形でやりとげて、セブラン王子は玉座で待つ女王の傍へと戻っていった。振るような拍手が惜しみなく小さな王子に捧げられる。


「”愛しうる限り”か。やるな、セブラン殿下」


「すごい……! すごいね、セブラン様。この曲は愛の歌なの?」


「いや。すべての人に愛を捧げる、って意味の曲。何代か前の王が作曲した夜想曲だよ」


「ユーリって音楽もよく知ってるわよね。楽器も弾けるんでしょ」


「まぁな。謁見が始まるぞ。たぶん順番から言って俺達から」


「!」


 セラは背筋をしゃんと伸ばして前を見た。侍従長がこちらを見て会釈をする。どうしようとユリシーズを見上げると再び腕を取って掴まらせてくれた。全身に色々な人々からの視線がチクチク刺さるのを何とかやり過ごして、ゆっくりと裾を蹴る様に足を踏み出す。女王陛下の玉座が据えられた階の前まで来ると、ユリシーズが騎士の正式礼を取るために腕を抜いた。きっとセラに合わせてくれるはずと信じて、彼の方を全く見ずに正式な淑女の礼を取るためにドレスの端を摘まみ、優雅に嫋やかな腰を折ってゆっくりと頭を下げた。その姿勢のまま、ユリシーズの口上を待つ。


「女王陛下、セブラン王子殿下。今宵はお招きいただきありがとうございます。先ほどの演奏、お見事でした。我らトラウゼンの民は、盟友としてこれからも変わらぬ親愛を誓いましょう」


「ありがとう、レーヴェ卿。今後ともよろしく頼みます」


「レーヴェ卿、セラフィナ嬢、来てくれて本当にありがとう!」


「礼には及びません、セブラン殿下」


「お招きいただき、本当に嬉しく存じます。とても素敵な演奏に感動いたしました」 


 二人は深々と正式礼をしてからフィア・シリス王国の女王と王孫の前を辞した。これで今日の御役目は終わり。あとは「気楽」に西方諸侯達との誼を結ぶだけだ。他の謁見者の邪魔にならないように、舞踏会が始まるまで大広間の壁際へと移動する。


「セラがゆっくりお辞儀してくれて助かったぜ。俺に合わせると優雅さに欠けるしな」


「良かった。ユーリなら合わせてくれるって思ったの」


「当たり前だろ」


「ユリシーズ様、セラフィナ様。少しだけよろしいかしら?」


「ロミーナ様」


 セブランの母、ロミーナが王族の身内だけが座る一角へと誘った。ユリシーズが何か思い当たった顔になり「行こう」とセラの背を押して促す。

ロミーナについて行くと車椅子に乗った三十代半ばくらいの男性が穏やかに微笑んで待っていた。その黒い瞳はセブラン王子にそっくりだ。ロミーナに車椅子を押してもらいセラ達の前にやってくると、深々と頭を下げた。


「お久しゅうございます、ユリシーズ殿。初めましてセラフィナ様。私はコンスタンスが一子、ヴァレールと申します。息子のセブランが大変お世話になりまして……そして今宵は我らのためにおいでくださったこと、本当に嬉しく思います」


「お加減は良さそうですね、ヴァレール様。祖父も御身を案じておりました」


「あの、初めまして、ヴァレール様。私の方こそセブラン様にお気を安くしていただき、とても感謝しております」


「ははっ! 見苦しい姿で申し訳ない。かつての盟友の娘御、黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)のデイムへ敬意を」


 思わず見とれるほど優雅な『騎士の礼』を受けて、セラも略式ではない『淑女の礼』を返した。元王太子ヴァレールは四年前の大戦役で負った怪我が元で身体が思うように動かず、政務につくことが難しいと聞いている。此度の廃嫡も彼自らが言い出したことで、優しげに見えても自分にとても厳しい武人なのだ。顔を上げたヴァレールは晴れ晴れとした表情でセラとユリシーズの顔を見て、本当に嬉しそうに破顔した。


「この度はご婚約、本当におめでとうございます。お二人の幸せが末永く続くことを心よりお祈りいたします。あの小さかったユリシーズ殿がもう結婚するのかと思うと感無量ですよ。まるで年の離れた弟のように思っていましたからね」


「ありがとう存じます、ヴァレール様」


 ドレスの端を摘まんで軽くお辞儀をして謝意を伝えると、ユリシーズも照れたように笑いながらセラに倣った。


「もったいないお言葉です」


「婚礼の式にはお花を荷馬車で山ほどお送りいたしますわ。私の父が丹精している温室のお花を増やしましたからお楽しみに」


「ありがとうございます、楽しみです!」


「それにしてもセラフィナ様はお父上に目元が本当に良く似ておいでだ。見事な紅茶色の髪をされているから、絵の佳人が生きて動いていると一族のものが皆はしゃいでいましたよ」


 ユリシーズが「ああ……入り口に飾ってありますからね」と笑って、セラのふわふわした紅茶色の髪を見る。胸元に流れる髪は緩やかに波うっていてもまったく同じ色だ。


「祖母譲りなのだと私も初めて知りました。父も同じような色でしたけど、もう少し淡い色でしたし」


「……お会いできて本当に良かったですね。かの方も我が子に会いたいと一度だけ申されて……私もセドリックも、ずっとそれが心に残っておりましたから」


「はい。ユリシーズ様のお父上と、ヴァレール様のお心遣い、本当に嬉しく思います。探して頂いてありがとうございました」


「いえ。礼には及びません。それにここにいるユリシーズ殿が”まだ見ぬ友のために”と一番頑張っていましたからね。礼なら彼にどうぞ」


「もちろんです。無二の友であり、掛け替えのないただ唯一の方に、生涯お仕えすると固く心に誓っております」


「そうでしたね。これでようやく、私も背負っていたものが下ろせそうです。良かったですね、ユリシーズ殿? 紅薔薇の姫君の唯一とは何と果報なことだ」


「そうですね……」


「まぁっ、セラフィナ様の言葉に真っ赤になってるわ。珍しいものをみたわね」


「……」


 ロミーナの軽口に言い返せずにいるユリシーズに何と言っていいものか、セラも赤くなったユリシーズの耳を見ながら言葉に詰まった。便乗して冷やかしたらしばらく口を聞いてもらえない気がする。


「こらロミーナ、よしなさい。それでは私達はこれで。どうか楽しんで行ってください」


 苦笑したヴァレールがロミーナに車椅子を押させて辞去を告げ去っていくのを見送って、セラは先ほどから黙り込んでいるユリシーズを見上げた。そっと手を伸ばして腕に触れると目元がうっすら赤い顔が振り返って困ったように笑った。


「戻るか。小さい頃の俺を知ってるお二人から冷やかされると、やっぱりちょっと照れるな」


「あ、わかるそれ。私も先生とウルリーカ様に冷やかされた時すっごい恥ずかしかったもん」


「だろ?」


 するりと大きな手が腰に回って、セラは自分の右腕を力強い腕に絡める。そうしてからお互いの顔を見合わせて笑いあい、ゆっくりと大広間に戻っていった。

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